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そして、ひとりの議員が真珠湾について質問した。
「総理。政府は、一九四一年十一月二十七日という日付が正しいと判断しているのですね」
「現在までの観測結果では、その可能性が極めて高いと判断しています」
「ならば、十二月八日には真珠湾攻撃が行われます」
それまで散漫だった議場の注意が、一斉にその議員へ集まった。
「正確には、攻撃準備はすでに始まっています。南雲機動部隊は昨日、択捉島の単冠湾を出撃しているはずです。政府はこの攻撃を阻止するつもりですか」
高畠はすぐには答えなかった。防衛大臣へ一瞬だけ目を向けた。防衛大臣は顔を上げたが、何も合図を送らなかった。
「政府として、阻止するためにどのような手段が可能なのか検討しています。ただし、これは単に一つの軍事作戦を中止させれば済む問題ではありません。真珠湾攻撃を阻止すれば、その後の歴史が大きく変化する可能性があります」
別の議員が立った。
「だから史実どおり攻撃させるというのですか」
「そうは申し上げていません」
「われわれは結果を知っています。攻撃によって多数の人命が失われ、日本とアメリカは戦争状態に入る。その後、日本でも多数の国民が死亡する。知っていながら何もしないことも、ひとつの選択ではありませんか」
反対側から声が上がった。
「歴史を変えた結果、もっと多くの人間が死ぬ可能性だってある!」
議場が一気に騒然となった。議長が静粛を求めたが、与党席からも野党席からも発言が飛び交った。真珠湾を止めれば日米開戦そのものを避けられるという意見がある一方、アメリカの欧州参戦が遅れ、ドイツとの戦争や独ソ戦にどのような影響が生じるか分からないという反論も出た。歴史を変える権利が現代日本人にあるのかという意見まで現れた。
高畠はそれらを黙って聞いていた。誰にも正解は分からない。歴史書にも答えはない。そこに書かれているのは、真珠湾攻撃が行われた世界の歴史だけだった。
やがて議長が議場を鎮めた。協議の末、真珠湾攻撃の阻止を政府に求める決議案が提出された。議場に再び緊張が走った。これは通常の法案でも、予算でもなかった。これから起きるはずの歴史上の事件を、知っている未来人が意図的に変えるかどうかを問う採決だった。
投票が始まった。
問題の重大さにかんがみ、党議拘束はかけられなかった。つまり純粋な議員それぞれの判断にゆだねられたのである。
テレビ画面の前でも、動画配信を見ている者たちも、固唾をのんで結果を待った。SNSの書き込みさえ、それまでとは比較にならないほど少なくなった。
集計結果が議場に示された。
賛成と反対の差は、わずかだった。
真珠湾攻撃を阻止する。
決議は可決された。
議場の一部から拍手が起こったが、それはすぐに消えた。勝利を祝うような雰囲気ではなかった。反対票を投じた議員も、賛成票を投じた議員も、表示された数字を見つめている。誰も、自分たちが正しい未来を選んだとは断言できなかった。
高畠は静かに席を立った。
防衛大臣も同時に立ち上がった。
二人は議場を出ると、廊下の一角で向かい合った。周囲では官僚や警備員、記者たちが慌ただしく動いていたが、防衛大臣は高畠だけを見ていた。
「決まりました」
高畠は言った。
「真珠湾攻撃を阻止します」
防衛大臣は驚かなかった。深くうなずいただけだった。
「承知しました」
「すぐに準備を始めてください」
「準備は終わっています」
高畠は思わず防衛大臣の顔を見返した。
「もう?」
「国会がどちらを選ぶかは分かりませんでした。しかし、止めると決まってから計画を作り始めたのでは間に合いません」
防衛大臣は抱えていた資料を開いた。そこには航空機、艦艇、通信、捜索区域、旧日本海軍の行動記録などがびっしりと並んでいた。南雲機動部隊だけではない。ハワイ方面へ先行した潜水艦部隊についても、史料から推定した位置が記されている。
「防衛省と自衛隊では、タイムスリップが事実である場合を想定し、複数の接触案を検討していました。機動部隊の捜索、潜水艦部隊の確認、旧海軍が使用していた通信系統への呼びかけ、それにハワイへの連絡手段です」
「もし国会が反対していたら?」
「すべて破棄していました」
防衛大臣はためらわず答えた。
「しかし、決まりました」
資料を閉じた。
その顔から、閣議のときまで残っていた迷いは消えていた。
「総理、ここからは時間との勝負です」
高畠はうなずいた。
「お願いします」
防衛大臣は一礼した。それから踵を返し、待っていた制服組と官僚たちのほうへ歩き出した。その歩調は速かった。途中で立ち止まることも、振り返ることもなかった。
高畠はその背中をしばらく見送った。
国会がいま決めたのは、たった一つの攻撃を止めることではないのかもしれない。
一九四一年十二月八日以後の歴史を、知っている歴史とは違うものにすることを決めたのだ。




