3
テレビ局の報道フロアは朝から異様な騒ぎになっていた。海外との通信が一斉に途絶え、人工衛星も使えず、政府からは日本列島が1941年へ移動したという、にわかには信じがたい発表があったばかりである。どの放送局も通常番組を中止して特別報道を続けていたが、肝心の解説が追いつかなかった。政治評論家は政府の対応を論じ、軍事評論家は旧日本軍との接触を心配し、経済評論家は株式市場と金融制度の混乱を予測した。しかし、そもそも日本列島がどうして過去へ移動したのかという質問になると、誰も答えられなかった。そこで、ある民放局のプロデューサーが思いついたのが、ハードSF作家をスタジオへ呼ぶことだった。
招かれた作家は、科学考証の厳密さで知られるベテランだった。宇宙開発や相対性理論を題材にした作品を何冊も発表し、科学雑誌への寄稿も多い。だが、本人は出演依頼を受けたときから困惑していた。SFを書くことと、現実に発生した未知の物理現象を説明することは、まったく別の仕事だからである。それでも局側から、専門用語を使わなくてもよいから一般視聴者に分かりやすく説明してほしいと懇願され、結局引き受けることになった。
「さて、先生。今回のタイムスリップですが、SFの世界ではおなじみの現象ですよね」
司会者が期待に満ちた顔で話を振った。
「物語の題材としては、そうですね」
「では、どういう原理で起きたとお考えでしょうか」
「分かりません」
あまりにあっさりした答えだったので、司会者は一瞬、次の言葉を失った。
「ええと、例えばワームホールとか、時空の歪みとか、そういうものでは?」
「そういう仮説を使った小説なら書けます。しかし今回の現象がそれで起きたという証拠はありません」
「でも、先生は時間旅行を題材にした作品を何冊も書いていらっしゃいますよね」
「ええ。小説ですから」
「小説だから?」
「フィクションです。現実に起きることを保証するものではありません」
司会者は手元の進行表へ目を落とした。予定では、このあたりで作家が時間旅行の理論を解説し、CGを使った時空の図解へ移ることになっていた。しかし当の作家が、何一つ断言してくれない。司会者は気を取り直し、別の角度から質問を試みた。
「では、アインシュタインの相対性理論では説明できませんか」
「相対性理論には時間の進み方が観測者によって異なるという話があります。しかし、それと日本列島が八十年以上過去へ移動したという話は別です。現在の物理学で、この現象を説明できるとは言えません」
「つまり、現代科学では不可能だと?」
「いいえ。不可能だと証明されたわけでもありません。現象が実際に起きたのなら、まず何が起きたのかを調べる必要があります」
「では、可能性はある?」
「可能性を数字で示せる段階ではありません」
司会者の顔から笑みが消えかけていた。作家はそれに気づいていたが、どうしようもなかった。科学的な態度とは、分からないことを分からないと認めることでもある。テレビ番組が期待するような、明快で刺激的な答えを出せるはずがなかった。
そこへ新しいニュースが飛び込んできた。国内の新方式発電施設の前に、数百人規模の市民が集まっているという。局は急遽、中継映像へ切り替えた。画面には発電施設の正門と、その前に集まった人々が映し出された。警備員と警察官が入口を守り、道路にはプラカードを掲げた集団が押し寄せている。発電設備の稼働が日本列島のタイムスリップを引き起こしたという噂が、インターネットを通じて急速に広まっていたのである。
「こちら、発電施設の正門前です。現在、施設の即時停止を求める人々が集まっており、警察が交通整理に当たっています」
現場のリポーターが声を張り上げた。背後では、発電所を止めろというシュプレヒコールが続いていた。ところが、群衆の一角にはまったく違う主張をする集団がいた。彼らも同じ発電設備がタイムスリップの原因だと考えていたが、結論は正反対だった。
「止めたら元の時代へ戻れるんだ!」
一人の男が叫んだ。
「馬鹿を言うな! 今止めたら時空の均衡が崩れるぞ!」
別の男が怒鳴り返した。
「均衡なんかあるか! あの装置が時空をねじ曲げたんだろうが!」
「だから止めちゃいけないんだ! 時空の固定が解除されたら、今度は恐竜時代まで飛ばされるぞ!」
「だったら最初から動かすな!」
「今さらそんなこと言ってどうする!」
リポーターは両者の間に入り、何とか事情を聞き出そうとした。しかし質問するたびに新しい理論が飛び出してきた。時空共鳴、量子位相、重力波干渉、四次元エネルギー、地球磁場の反転、宇宙の波動。どれも科学用語らしい響きを持っていたが、それらがどのような関係にあるのかを説明できる者はいなかった。群衆は発電所を止めるべきか動かし続けるべきかで二つに割れ、やがて互いに相手こそ日本を危険にさらしていると非難し始めた。
「先生、いかがでしょう。今の主張については」
スタジオへ映像が戻ると、司会者は待っていましたとばかりに作家へ話を振った。作家はしばらく口を開かなかった。あまりにも多くの科学用語が無秩序に飛び交っていたので、どこから訂正すればよいのか分からなかったのである。
「まず、時空の均衡というものが何を意味するのか、私には分かりません」
「量子位相という言葉も出てきましたが」
「量子力学には位相という概念があります。しかし、それを今回の現象と結びつける根拠は示されていません」
「四次元エネルギーというのは?」
「少なくとも、あの方が何を指しているのかは分かりません」
「重力波が原因という説もあるようですが」
「重力波は実在します。ただ、名前を出せば何でも説明できるわけではありません」
司会者はうなずきながら、さらに質問を重ねた。
「では、発電所を停止すると恐竜時代へ飛ばされるという話は?」
「どうして恐竜時代なんですか」
「いや、それは私に聞かれても」
「私も同じです」
スタジオの隅で小さな笑いが起きた。作家は真面目な顔をしていたが、司会者はようやく番組が面白くなってきたと感じたらしい。
「つまり、今の人たちは科学的根拠のない話をしていると?」
「原因を調査すること自体は必要です。ただ、発電所が原因だという証拠も、停止すれば元へ戻るという証拠も、停止したら別の時代へ飛ぶという証拠も、今のところありません。そもそも発電設備の原理と日本列島の時間移動を結びつける具体的な説明が必要です」
「でも、可能性はゼロではないんですよね」
「その言い方をすると、何でも可能性がゼロではないことになってしまいます」
「例えば?」
「今このスタジオに宇宙人が透明な姿で座っている可能性だって、そういう言い方なら否定しきれません。しかし、それを真面目に検討するには証拠が必要でしょう」
今度はスタジオのスタッフが声を出して笑った。司会者も笑いながら、透明な宇宙人がいたらぜひ出演してもらいたいなどと冗談を飛ばした。作家は苦笑しただけだった。自分としては、ごく当たり前の科学的態度を説明したつもりだったのである。




