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午後になって、政府から緊急放送を行うとの告知が全国へ流された。地上波のテレビ各局は通常番組を中断し、ラジオも特別編成に切り替わった。それだけではない。国内で接続可能な動画サイトには官邸の公式配信が表示され、スマートフォンやタブレットにも政府からの通知が届いた。原因不明の通信障害が発生してから、政府が国民に直接まとまった説明を行うのは、これが初めてだった。
一般家庭では家族が居間のテレビを囲んでいた。朝から学校が休校になった子供たちはスマートフォンを握ったままソファに座り、父親は仕事先から持ち帰ったノートパソコンをテーブルに置いている。画面の中では官邸の会見場が映され、記者たちがざわざわと席を埋めていた。
家電量販店では、壁一面に並べられた大小さまざまなディスプレイ用テレビが、すべて同じ映像に切り替わっていた。買い物の途中だった客も、店員も、足を止めて画面を見上げている。音響機器の売り場でも、携帯電話の売り場でも、展示されたタブレットやスマートフォンの画面には同じ官邸の演台が映っていた。
やがて高畠君枝首相が姿を現した。
会見場のざわめきが止んだ。高畠は演台の前に立つと、並んだカメラを見渡した。昨夜から一睡もしていない疲労は顔に残っていたが、それを隠そうとも、ことさらに深刻な表情を作ろうともしていなかった。
「国民の皆様に、現在政府が把握している状況についてご説明いたします」
その声が、何千万というテレビ、パソコン、スマートフォンから同時に流れた。
「昨夜より、日本国内と国外を結ぶ通信に大規模な障害が発生しています。政府は当初、大規模なサイバー攻撃、通信設備の障害、自然現象など、複数の可能性を想定して調査を開始いたしました。しかし現在までの調査では、いずれの仮説によっても、発生している現象のすべてを説明することができていません」
高畠は手元の紙へ一度だけ視線を落とし、すぐに顔を上げた。
「国内の主要な通信網は、おおむね機能しています。一方、国外との通信は極めて広い範囲で途絶しています。また、GPSをはじめとする人工衛星を利用したサービスが利用できない状態となっています。政府および関係機関が確認したところ、昨日まで地球周辺に存在した人工衛星からの信号が確認できなくなっています」
家電量販店のテレビ売り場で、ひとりの客が隣にいる男と顔を見合わせた。家庭のテレビの前では、スマートフォンを握っていた少年が画面から目を離さなくなった。
「また、沖縄をはじめとする一部島嶼地域との通信が途絶しています。海外へ航行、飛行していた船舶、航空機についても、連絡が確認できないものがあります。現在、海上保安庁、自衛隊その他の関係機関が確認を進めています」
ここで高畠はわずかに間を置いた。
「次に、国立天文台をはじめとする複数の観測機関から、極めて重大な報告を受けています。現在観測されている月、惑星、恒星その他の天体の位置を照合した結果、現在の天体配置は、本来の今日の日付とは一致しておりません」
ざわめきが記者席から起こった。高畠はそれが収まるのを待った。
「複数の観測結果を照合したところ、一九四一年十一月二十七日の天体配置と一致することが確認されました」
テレビ売り場から音が消えたようになった。
もちろん実際には何十台ものテレビから首相の声が流れ続けている。それでも、そこにいる誰ひとり口を開かなかった。
「さらに九州その他の地域において、日本国外からとみられる無線放送が受信されています。その内容には、現在の世界情勢では説明できないものが含まれています。政府はこれらの情報についても分析を進めています」
高畠はそこで原稿を置いた。
「以上の事実から、政府は現在、日本列島を含む一定の地域が、何らかの原因によって一九四一年十一月二十七日に相当する世界へ移動した可能性があると判断しています。ただし、現時点では、その原因も、現象の範囲も、元の時代へ戻ることが可能なのかどうかも分かっておりません」
記者席から一斉に手が挙がった。官房長官がひとりを指名した。
「総理、いまのご説明は、日本がタイムスリップしたと政府が正式に認めたということでよろしいでしょうか」
「タイムスリップという言葉が、この現象を科学的に正しく表現しているかどうかは分かりません。政府が確認しているのは、先ほど申し上げた観測事実です。その結果として、現在が一九四一年十一月二十七日に相当する可能性が極めて高いと判断しています」
「原因は、昨夜稼働した新型発電施設ではありませんか」
「現在調査中です。稼働時刻と異常が確認された時刻が近いことは承知していますが、現段階で因果関係があるとは確認されていません」
別の記者が指名された。
「中国による新型兵器、あるいはサイバー攻撃の可能性は完全に否定されたのでしょうか」
「現在まで、そのように判断する根拠は確認されていません。また、サイバー攻撃によって天体の配置そのものが変化するとは考えにくいと専門家から報告を受けています」
会見場に小さな笑いが起きかけたが、高畠は質問した記者を揶揄するような表情を見せなかった。
「宇宙人による攻撃という情報もネット上で広がっていますが、政府としてはどうお考えでしょうか」
「地球外知的生命体の存在を示す情報は、政府にはありません。したがって現時点で、その可能性について政府として申し上げられることはありません」
また手が挙がった。
「総理、元の時代へ戻れるのでしょうか」
今度は高畠がすぐには答えなかった。
「分かりません」
短い答えだった。
「戻れない可能性もあるということでしょうか」
「その可能性を否定できる材料も、現在は持っていません」
会見場が再びざわめいた。高畠は声を大きくしなかった。騒ぎが収まるまで待ち、次の質問を受けた。
「食料や燃料について、買いだめをしたほうがいいのでしょうか」
「その必要はありません。政府は現在、国内の食料、燃料、医薬品その他の物資について在庫量を調査しています。現時点で、国民の皆様が直ちに大量の生活必需品を購入しなければならない状況ではありません。むしろ一部の方による過度な購入は、必要としている方へ物資が行き渡らなくなる原因になります。通常の範囲で購入していただくようお願いいたします」
その答えを、スーパーマーケットのレジに並びながらスマートフォンで聞いていた女性が、買い物かごいっぱいに詰め込んだカップ麺を見下ろした。前に並ぶ男のカートには、水のペットボトルが何箱も積まれていた。
「最後に、国民の皆様へ申し上げます」
高畠はカメラを正面から見た。
「政府にも、まだ分からないことが数多くあります。これほどの事態は、我が国だけでなく、人類がこれまで一度も経験したことのないものです。だからこそ、確認されていない情報に振り回されないでください。特定の国や民族、国内に暮らす外国人の方々を、この事態の原因であるかのように扱うことは厳に慎んでください。外国籍の方々も、いま日本国内にいる以上、私たちと同じ状況に置かれています」
繁華街の交差点に設置された巨大な街頭モニターにも、高畠の顔が大きく映し出されていた。普段なら広告と音楽が絶え間なく流れる場所だったが、いまは多くの通行人が足を止め、頭上の画面を見つめている。仕事途中の会社員、買い物袋を提げた女性、制服姿の学生、配達員、子供を連れた親。スマートフォンを掲げて画面を撮影している者もいた。
「政府は、国民の生命と生活を守ることを最優先に、必要な対応を行います。電気、水道、医療、交通、食料供給その他の社会機能を維持するため、関係機関はすでに活動を開始しています。皆様には、必要のない外出や買い占め、根拠のない情報の拡散を控え、できる限り普段どおりの生活を続けていただきたいと思います」
人混みの中には外国人観光客の姿もあった。数日前に観光のため日本を訪れ、そのまま日本列島とともに八十五年近く前の世界へ運ばれてしまった人々である。日本語の分からない者は、スマートフォンに表示される自動翻訳の字幕と街頭モニターを交互に見つめていた。若い外国人の男女が顔を見合わせ、そのうちのひとりが何かを確かめるようにスマートフォンを操作した。だが、母国へつながるはずの画面には、朝から何度も見た接続不能の表示が現れるだけだった。
高畠の声が繁華街に響き渡った。
「私たちがどこにいるのか、その答えは見え始めています。しかし、これから何が起きるのかについては、誰にも分かりません。政府が確認した情報は、可能な限り速やかに国民の皆様へお知らせします。どうか今は自重し、冷静に行動してください。私たちは、この事態に社会全体で対応しなければなりません」
高畠は深く頭を下げた。
街頭モニターを見上げていた人々は、しばらく動かなかった。誰も歓声を上げず、誰も拍手をしなかった。ただ、自分たちが昨日までいた世界が本当に失われてしまったのか、その意味をのみ込もうとするように巨大な画面を見つめていた。
群衆の中に異様ないでたちの女が一人、ぶつぶつと何かをつぶやきながらモニターを見上げていた。
あの中山千代子だった。周囲の人間は、彼女の異様な服装と、信じられないほど奇抜なメイクに遠巻きに眺めていた。なぜか薄ら笑いを浮かべ、彼女はゆっくりとその場を離れていった。遠巻きに眺めていた観衆のひとりが、すばやくスマホのカメラで彼女の姿を写真におさめていた。
外国人観光客のひとりが空を見上げた。
昼の空は、昨日までと何ひとつ変わらないように見えた。




