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そして、俺は扉を開けた 〜赤い部屋の契約者は怪異をもって怪異を狩る〜  作者: 御上ナモ


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36話

 口元の血が肌にこびりつく感覚が煩わしい。

 煙幕であたりを隠して次は何がくる?

 僕の思考は目まぐるしく動く。

 起こりうる動きを、攻撃を前兆から全て感じ取るために耳にも肌にも神経を張る。

『なんで俺のお父さんとお母さんを殺したんだ!』

 そんなトモ君を声を耳に留めないようにして、辺りを薙ぎ払った僕の視界に飛び込んできたのは超光度の白い光。

 閃光弾。

 「くっ」

 反射的に目を瞑ってしまうが瞼なんて関係ないと言わんばかりに視界は真っ白に染まったまま。

 後30秒ほどは視界は回復しないだろう。

 いくら巨大だといえ僕の蜘蛛腕で光を全て防ぎ切ることは難しい。

 誰の画策かは分からないがトモ君の仕業だと思うことにした。

 そっちの方がこの苛立ちが少しでも減るような気がしたから。

 とにかくイライラが止まらなかった。

 初めて人を食った後は一年近くも世界が薔薇色に輝いて見えた。

 僕にしつこくあれこれと聞いてきたあの警官。

 僕はしばらく我慢していたんだ。怪しまれるわけにはいかないと思って面倒くさかったけどちゃんとある程度は付き合ってやった。

 でも、アイツがトモ君までに近づこうとしたとき、つい家ごと燃やし尽くしてしまったのだ。

 人を一度殺すと次、何かがあったときに選択肢の中に「相手を殺す」が入ってくる、そんなことを最近本で読んだ気がする。

 確かにそうだ。

 そして炎に巻かれた居間で家族だけは見逃せとか何か喚いているアイツを牛鬼で突き殺した僕は本能に誘われるようにしてそいつを食ったのだ。

 頭が変になるかと思うくらいのシアワセの塊が僕をジャックしたのはきっとそのとき。

 トモ君に正体がバレたらどうしようとか。

 目が覚めたら警察がうちに来るんじゃないかとか。

 そんなことを全部忘れられた。

 僕は全てに怯える矮小な存在から、自信に満ちた偉大な存在へと生まれ変わることができた気がした。

 だけど、だんだんと「慣れ」が押し寄せてきた。

 二度目、三度目と繰り返すたびに、確かに減るのだ。

 あの暴力的なまでの全てを押し流す「シアワセ」が。

 僕が唯一落ち着ける安住の地が。

 なんでトモ君は僕を受け入れてくれない?

 それは僕が彼の親を殺したからで……。

 いや、そんなことはない。

 そんなことはなかった。

 なかった。なかった。

「そんなことはなかったんだ」

 僕はそう唱えながら辺りを無茶苦茶に薙ぎ倒しまくる。

 電柱を折り、アスファルトを捲り上げ、全てを燃やしつくす。

 僕の炎、火車は燃やしたいものを燃やして、燃やしたくないものは燃やさない。

 だからトモ君はこの炎では燃えない。

 前方はなるべく攻撃しないようにして振り回していた腕のうち一本が切られた感覚がした。

 サキだ。

 彼女は別に特段に弱い【憑き人】ではない。

 というか、今回の作戦においてはかなりの上澄みのはずだ。

 前に一蹴したからと言って、先程の有象無象と同じようには戦えない。

 蜘蛛腕は切られてもこちらが痛みを感じるわけではないが、これはサキが強くなったのではなく、僕の動きが読まれているのだろう。

 おそらくトモ君が指示を入れ知恵をしたのだ。

 そう。

 やっぱりトモ君はすごい。

 初めて僕と出会ったときから、彼は僕にとっての勇者なのだ。

『よう!俺はトモだ。お前の名前は?』

 目の奥にチラつくのはあの日の彼の瞳の輝きと、伸ばされた手の柔らかさ。

 そして、あの日の芝の深緑と、どこまでも突き抜ける様な空の蒼さ。

 トモ君だけが。

 トモ君だけが僕を見てくれる。

 僕はトモ君だけいればいいんだ。

「……他には、何もいらない」

 また、一本腕を切り飛ばされる。

 お返しに跳ね飛ばした黒炎は当たったのか、そうじゃないのか判然としない。

 まだ視界は黒っぽく霞んでいるが、だんだんと目は見えるようになってきている。

 視界が完全に戻ったときがサキの最後だろう。

 ——お父さんもお母さんも、いなくなっちゃえばいいんだ!

 トモ君との逢瀬を重ねていたある日、彼が言った言葉。

 不貞腐れたようにそうぼやく彼は、どうやら親に叱られたのだろう。

 でも僕はそれを聞いたときはそれどころではなかったから、これはあくまで僕の憶測。多分、彼は両親に叱られたか何かでついそう言ったのだろう。

 別に本気でもなんでもないその一言は、あの日の僕にとっては天啓以外の何ものでもなかった。

 その夜。

 トモ君と別れた僕は、何か大きな運命をなぞっているように火車と牛鬼の怪異をその身に宿していることに気づき。

 そして、家を焼いた。

 燃え盛る家を見つめているときの僕にあったのは歓喜でも達成感でもなかった。

 ただ、安堵していた。

 僕を脅かす人はいなくなったその日、僕は初めて心の底から安心したのだ。

 それまではトモ君と一緒にいるときも、心のどこかに彼と別れた後のことが引っ掛かっていたのだろう。

 多分、そのときに僕は真の意味で安心という状態を知った。

 全てから解き放たれた僕は安らかな気持ちでその光景を見ていた。

 家の柱が焼き切れて、屋根が真っ二つに折れて滑落し、燃え上がる炎は自由への狼煙をあげていた。

 あの日は風が強かった。

 風に吹かれて荒れ狂った炎が隣のトモ君の家の屋根に移ったとき。

 僕は前にトモ君の家を訪れたときに会ったトモ君の両親の顔を思い浮かべた。

 トモ君が普段愚痴混じりに話す家族での思い出の話を思い浮かべた。

 トモ君たちの一家が週末にみんなでどこかへと出掛けていく光景を思い浮かべた。

 そして、僕は。

 僕は。

「ああああああああああ!!」

 イライラする!イライラする!

 考えるな!何かで頭をいっぱいにしろ!

 そうだ。トモ君を捕まえたらまず何をしよう。

 いっぱいキスをして。いっぱい抱きしめて。そして、トモ君と一緒にお風呂に入るんだ。

 きっとトモ君は照れて僕の方を見ないふりをしながらもチラチラこっちに目を向けてたりして。

 そして、そして。

『——黒炎事件の犯人はアズサだ』

 そう言ったときのトモ君の目に浮かんでいた敵意の光を思い出してしまう。

「あぁ!もう!イライラする!!」

 そう怒鳴った僕はハッとあることに気づいた。

 牛鬼の蜘蛛腕がのこり二本しか残っていない。

 蜘蛛腕が痛みを感じないのが裏目に出た。

「さっさと何人か食って腕を戻さないと……」

「……そんなことをする暇は……もうない!」

 サキが、正面に立っていた。

 正眼に一本だけ構えた刀の先端は欠けており、彼女自身も足元がふらついている。もう一本あるはずの刀は見つからなかった。

 額から流れた血が片目の視界を損なっているようで、左目を瞑っている。

 右手の二の腕はごっそりと抉られており、わずかに骨まで見えていた。

 きっと、メチャクチャに振り回していた蜘蛛腕に何度か掠ったのだろう。

「……私は!ここでお前を殺す……っ!」

 勇ましい内容とは裏腹に、痛みを堪えているであろう叫び声はそこまで大きくはなかった

 しかし、放たれる裂帛の気合いはなかなかのものだ。

 でも。

 僕は完全に。

 ——目が見えるようになっていた。

 左手にはブルーシートの張られた工事現場が。

 右手には崩れかけている電柱が。

 そこに引っかかってたケーブルから飛ぶ電流も、はっきりと見える。

 サキの背後では、一人の術師が頭から血を流して死んでいた。

 どこかのタイミングで来た増援だろう。気づかないうちに仕留めてしまったようだが。

「ごめんだけど、もう君に自由にはさせないよ。それと——トモ君はどこに行った?」

 トモ君が見当たらない。

 彼に雲隠れされるのが一番こちらとしてはきつい。統制局が彼を人質にとる可能性もある。

「……」

 サキはこちらの問いを黙殺したまま、ジリジリとこちらの隙を窺っている。

 だが、僕はそれほど心配していない。

 この盤面に一度出てきた以上、彼の性格的にここから逃げに入る可能性はかなり低いからだ。

 近くで様子を窺っているだろう。

 だったらサキをさっさと始末して辺りを探せば見つかるはずだ。

 もしくは優しいトモ君ならサキがトドメを刺されそうになったところで自分から出てきてくれるだろう。

「……」

「……」

 僕も、サキも黙っている。

 緊張感が糸のように両者の間に張り詰められる。

 二人の間に張られた糸は少しずつ、少しずつ長さを縮め。

 プツンと切れた。

「あああああ!!」

 サキの叫び声をなんとなく聞き流しながら、僕はごく普通に蜘蛛腕で彼女を穿つ。

 僕と彼女の交錯は一瞬。

 正対していた二者は距離を寸刻にして縮め、通り過ぎて立ち止まる。

 7mほどの距離をおいて僕とサキは背を向けた状態になった。 

 どちらも喋らない。

 パラパラと瓦礫か何かの破片が落ちる音だけが廃墟と化した通りを満たし——サキが全身から血を吹き出して倒れ込む。

 カランカランと音を立てて、折れた刀が地面に落ちた。

 僕はふっと息を吐き、蜘蛛腕を一瞥する。

 彼女の全身全霊の一撃で削れた蜘蛛腕はゼロ本。十全に動く残りの蜘蛛腕も二本。

 もう彼女のパターンには慣れた。

 視界が元に戻ればこんなものだ。閃光弾も次は食らわない。

 サキにできたのはなんとか衝撃を殺して即死しないように耐えるだけ、それもここで僕が軽く一突きすればそれだけのこと。

 でも、今はトモ君を探すほうが先だ。

 万が一、彼がどこか遠くに行ってしまう前に見つけて、その後に適当な術師を喰えばいい。

 早くトモ君を探さなければ、とそう考えて踏み出した右足がカチッという音をたてて何かを踏んだ。

 僕の行動を読み切った場所に置かれたスイッチ……トモ君の仕業で——。

 凄まじい爆発が巻き起こる。

 退避は間に合わなかった。

 僕はなんとか爆風から蜘蛛腕を犠牲にして、宙を飛ぶ。

 まずい。ダメージはくらってないが、残り2本だった蜘蛛腕がオシャカになった。

 自由に動かせる蜘蛛腕では——もはや0本。

 これでは移動にも支障をきたす。

 特に宙を舞っている状態では蜘蛛腕がなければ制動がきかない。

 爆風に煽られた僕はなんとか体勢を整えようとして飛ばされていく方向を向く。

 そこは先ほどまで前面にブルーシートが張られていた工事現場。

 前面を隠していたブルーシートがいつの間にか地面に落ちており、中が見えるようになっている。

 その建物の中には何もなかった。

 工事に使う鉄骨も、作りかけのフロアも、何もなく、3階か4階までぶち抜かれたただの箱だ。

 明らかに通りから吹き飛ばされてきた何者かを捕えるために組まれた罠。

 確実にその人物をその空間内に取り込めるように、通りにむけて大きく開かれている。

 そしてその空間の床の中央には——トモ君が仁王立ちしていた。

「アズサ!お前はもう逃げられない!」

 冷や汗がどっと吹き出た。

 これは——冗談抜きにまずい。

 彼の能力を発動させるには扉を開けてその空間に入ることが必須だ。

 光の速度で目まぐるしく動く僕の瞳は、その建物の右端に不自然に一つだけ設置されたドアが半開きになっていることを視認する。

 ——そう、トモ君は赤い部屋を展開してあの空間で待ち構えている。

 中に入ったが最後、僕はフミ同様捉えられてしまう。

 それにトモ君の空間内では異能が封じられる。

 過去に蜘蛛腕の先端を跡形もなく消滅された彼の異能を僕は甘く見てはいなかった。

 白宇根先生と比べて彼の異能は発動条件が厳しい。

 そしてそれだからこそ、その異能の強制力は強い。

 白宇根先生みたいに無効化される可能性はないだろう。

 だが、蜘蛛腕がなければあの致死空間に入る前にギリギリで踏みとどまることもできない。

 このためにサキに腕を削らせていたのか!

「……アズサ、これで終わりだ」

 そう言ったトモ君の目には涙が浮かんでいる。

 凄まじい勢いで吹き飛ばされている最中、それを見た僕は——。

 僕は自分の手を噛みちぎった。

「なっ!?」

 トモ君の驚きの声を無視して、僕は激痛を堪えながら自分の右腕を肘まで捕食する。

 ずるりと音を立てて蜘蛛腕が影から一本生えてくる。

 無茶に生やした分、中途半端にしか回復していないが——。

 ——これで十分だった。

 そして、その腕を伸ばして近くに転がっていた頭から血を流している術師の死体を捕食する。

 この数瞬で僕は蜘蛛腕を5本生やし、ついでに自分の自前の腕も回復させていた。

 地面に壁に屋根に、蜘蛛腕を突き立てた僕は急激に勢いを殺す。

 強烈なGがかかり背骨が軋む音が聞こえる。

 脳みそがシェイクされて、視界が歪む。

 僕はどんどんとトモ君へと近づいていき、彼の鼻に唇がくっつきそうなほど寸前で踏みとどまった。

 トモ君の策は、敗れた。

 僕の勝ち。

「……あああああ!!」

 破れかぶれになったトモ君が叫びながらこちらにつかみかかってくるも、そんなことでは僕はどうにもできない。

 あっさりと彼の攻撃を捌いた僕は彼を拘束すると、術師の死体の食べ残りを捕食し蜘蛛腕を六本へ完全回復させる。

 我ながら自身の異能の強さに身震いする気分だ。

 人間の死体一体で完全回復。

 しかも僕の片腕のおまけ付き。

 彼の抵抗を押さえつけるのは簡単だった。

「あの空間から出てきたのは失策だったね」

「……」

 トモ君は荒く呼吸しながら、こちらに目を合わせないようにして黙りこくっている。

 まあ、優しい彼のことだ。

 見ず知らずの術師の仇を取ろうとしたのか、サキを庇おうとしたのかは分からないが、彼を捉えた以上もうここに用はない。

「これはあんまり優雅じゃないから使いたくないんだけど……」

 そうぼやきながらトモ君へと唾液を垂らす。

 別に、妙なプレイとかではない。

 僕の口から垂れた唾液はある程度垂れた時点で黒く変色して黒色の蜘蛛の糸に変化する。

 別にそこまで強度もないのでこれまで使う機会がなかったが、一応こんな異能もある。

 一般人相当の力しかないトモ君を拘束するにはこれで十分だ。

「……海外に高飛び、かなぁ」

 日本で潜伏するのはもう無理だろう。

 光のない目でグッタリと力を抜いたトモ君がきちんと拘束されていることを確認した僕は彼をお姫様抱っこすると飛び上がった。

 夜の闇に紛れてトモ君を抱えた僕は屋根伝いに都心部から市街地へと移動していく。

 時刻は夜の6時過ぎ。

 5時すぎにトモ君と待ち合わせをしてからもう1時間ほど経ってしまった。

 思えばまだ夕食を食べていない。

「ディナーはトモ君かな?」

 そう意地悪く言うとトモ君はぎゅっと体に力を込め、焦ったようにこちらを向く。

 投げやりになったかのように力を抜いたトモ君は怯えながらも精一杯に強がって見せた。

「エロい意味だったら、俺がアズサをディナーにしたいな」

 その声が震えているのを見て、彼の瞳が恐怖に濡れているのを見て。

 僕は、それもいいかもしれないと思った。

 戦いの高揚感かもしれない。

 だが、彼を明確に自分のものにするにはいいアイディアだと思った。

 ゾクゾクする背筋を押さえるために吐いた息が色香に濡れていたとしても、別に見ているのは月くらいしかいない。

 それも悪くない、と。

 そう思ったから。

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