21話
「何だか騒がしいですね」
私——二階堂フミはそう独りごちた。
運転手はそれに対して特に返事をしない。
別に返答を期待していたわけではなかったが、いつもどおりに気分は沈んだ。
この人たちもあくまで父に仕えているだけであって、私の指示に従ってくれるのはあくまで父の指定した範囲の中で。
だからこそ、この鳥籠のような生活の中で私を見つけてくれたアズサお姉様には感謝してもし足りない。
私はあの人に捨てられでもしたら迷いなく死を選ぶだろう。
それくらい、私はアズサお姉様に心酔していた。
「……?」
急に車が止まった。
前方を見ると、道が倒木によって塞がれている。
最近風の強い日なんてなかったはずだ。しかも一本だけが折れていて周りの森の木はいつも通りなんておかしい。
何者かが足止めのために用意したものだ。
車の外に出ていた運転手が慌てたように戻ってくるとドアを開けて私を引っ張り出す。
「っ何!?」
「屋敷へお逃げください!」
「は?え?」
「早く!」
その様子が尋常なものでなかったので、怖くなった私は混乱したままで走り始めた。
突然放り出された暗闇の中で私はよろめきながら走る。
脳裏には燃え上がるレストランの光景がチラチラと熾火を立てる。
そして、今までに燃やしてきた家々も。
あの明るさが少しでもあれば……。
私がそんな思いに気を取られて少しだけ体勢を崩したまさにその瞬間。
ずるりと体がズレる感覚。
「……死ね」
そして私の背を薄皮一枚裂くように何かが通り過ぎた。
殺気。
遅れて噴き出てきた汗が背筋を伝うと、わずかなヒリつきを感じる。
浅いが、確実に何らかの刃物によって切られているようだ。
——間一髪だった。
「……私の刀をノコギリがわりに使われたのは……初めて……でも、やっとお前を殺せるなら……」
ぶつぶつ呟きながらその人影はこちらの背へ猛追してきた。
何あいつ!やばい!
気を抜けば悲鳴が出そうな喉を引き締めて私は走った。
剣戟の音。何かが放出される発射音。叫び声や吹き飛ばされた何者かが木立に突っ込む音。
後ろから聞こえてくるそれらの音に耳を貸さないようにして私は走っている。
もう少しで森の外へ出られる。
そしたら屋敷の中に逃げ込めば何とかなるはずだ。
何せうちの父親は警察のトップだ。
こんな時にだけ普段は嫌っている父親に縋る自分の醜さが嫌になるが、そのことには蓋をして私は走っていた。
少しばかり希望が見えてきた私は、走る速度を若干落として目元に垂れてきた汗を拭う。
一瞬視界が手によって遮られて周りがまた見えるようになり。
突然目の前に人影が現れた。
さっきのやつよりも小柄な、女。スーツ姿で不気味な笑みを浮かべている。
「誰!」
意味も無く誰何した私は止むを得ず足を止めている。
何だかこいつの気配はさっきの奴以上にやばい。
背筋どころでは無く、全身が怖気でビショビショに満たされるような異物感。
何、あいつは?
「——これは誰かから聞いた話なんです」
田舎の田んぼだとか、河川敷とかで、白いナニカが見えること、ありませんか?
と、そう言った女は悍ましく唇を舐める。
あたりの森がざわめいていた。
「くねくね、と呼ばれるその物体なのか生物なのかよく分からないその存在は、正体がわかっていません。正体を知ると……失踪するとか、気が触れて死んでしまうとか、色々言われていますねぇ」
女はドス黒い瘴気を吹き出しながら弓形に曲げた目だけを光らせて話し続ける。
周囲の影が獲物を捉えようとする怪物のように捻れて膨らみ、奇怪な舞踊を踊り始める。
小枝や葉が風に揺られて擦れる音が気味の悪い何かの囁き声のように聞こえてくる。
「——そのくねくねの正体、知りたくありませんか?もちろんそれを知ったら死んでしまうんですけど、ふふっ」
私は本能がバチバチと警報を鳴らしているのを痛いほどに感じながらも足が地面に固着してしまったかのように動かない。
女は世界への冒涜を行うように口をガバリと開けると言った。
「くねくねの正体は——私です」
そして私の視界は真っ黒に染まり……。
私の身体が渦巻く炎へと変貌し、あたりを巻き込んで大爆発を起こした。
爆風に抉り取られた地面がクレーターを築き、周囲の木々は折れ千切れて無惨な傷跡を晒す。
——頭痛を感じた私は頭を押さえた。
遠目に私の分体が爆発した粉塵が舞っているのが見える。それと共に分散していた私の意識は完全にこちらへと取り戻される。
私は通りから離れた森の中を走っていた。
最初に刃物で斬りかかられる直前。
私は自身の異能「不知火」を発動し、自身の分体を作成したのだ。
レストランのときは顔を判別されないためにわざと崩していたが、本来は私とそっくりな炎の塊を作る能力だ。
そして私自身は道から外れて逃走。
向こうの私は陽動だ。あの通りの真ん中をわざわざ走って逃げるなんてそんな目立つことはしない。
もとより私は臆病者なのだ。
自分の価値の無さに怯えて、お姉さまに捨てられないかと怯えて、今もなお怯えている。
それがきっと私の生存戦略なのだろう。
回り込んだせいで屋敷の裏手にある温室のあたりまで来てしまった。
まあいい、こちらにある裏口から屋敷に入れば……。
そう思って歩みを進めた私は裏口を塞ぐように仁王立ちしている人影に気づいた。
アイツは、お姉様に引っ付いているチビの男だ。顔を見るだけで虫唾が走る。
そういえば、レストランのときはアイツがお姉様と話しているのを長々と見せられた苛立ちでお姉さまに対して八つ当たりしてしまった。
「退け。邪魔。燃やし尽くされたい?」
「……フミ、お前はこちらにくると思った。何かから逃れるためにアズサに縋っているお前は絶対に正面からはこない」
「うるっさい!何を偉そうにごちゃごちゃと!」
「俺も、似たようなものだから。同類の気持ちはある程度予想ができる、つもりだ」
腹立たしい。こいつを今すぐにでも喋れなくしてやりたい。
そして、私にはその力がある。
「……これは私の愛しい人から、お姉様から聞いた話……」
燃え盛る炎は嫉妬の炎。臆病な私に目覚めた唯一の力。
まだアイツは何やら騒いでいるがもうその声は聞こえなかった。
そういえば、あのレストランで殺し損ねたのはこいつだった。
すぐに、殺してやる。
一気にあたりが燃え上がる。
草地に生える草花を嬲り、焦し、真っ黒に焼き尽くして、私は現世に炎という原初の熱を顕現させる。
燃えろ!燃えろ!燃えろ!
一挙に周囲が明るくなり、揺れる炎と揺れ動く陽炎がこの地を支配する。
赤と、橙と、灰色の影とが全てを舐め尽くす。
「……全部燃えて消えて仕舞えばいいんだ。そしたらお姉さまは私だけをみてくれる……」
こんな簡単なことなのに、私は何を今まで迷っていたのだろう。
そうだ、そうなのだ。
全て燃やし尽くせば、きっと——。
足元まで火が回ったアイツは何とか私から逃れようと走り出した。
が、そうはさせない。私は炎を操り、逃げ道を塞ぐ。
裏口から屋敷の中へ逃げようとしていたのだろう、慌てたアイツはよろめきながら無様に走り、温室へと向かっていく。
『ギュイッ』と音を立てて温室の扉を開いたアイツは半分転ぶようにその中へと逃げ込んだ。
馬鹿なやつだ。
温室への出入り口はそこしか無い。
私は炎を纏ってその中へと歩みを進める。
床に転がったアイツが少しでも距離を離そうと地べたを這いずって端へと下がっているのが見えた。
私は焼き焦げた下草を踏みつけ、溶けかけたガラスの戸枠を踏み越えるとアイツに向けて手を向けた。
「……私の前から、燃え失せろ」
そして私の手から火山の噴火のように火柱が吹き上がり、アイツは火だるまになって手足を振り回してゴミのような黒焦げの死体に——。
——ならなかった。
「は?何が……」
私の手から炎は吹き出なかった。
いや、それだけではない。私の身に纏っていた炎も消えている。
さらに、いつの間にか私の体には赤黒い有機的な繊維が絡み付いており、身動きが全く取れない。
使えない!私の唯一持つ嫉妬の炎が!
無様に転がっていたアイツはおっかなびっくり立ち上がると、上がった息を整えるように呼吸をしていた。
「……何をした!」
私は半狂乱になって怒鳴り散らす。
「追い詰められたふりをして、こちらの能力圏内に誘い込んだんだ。俺の能力は自分のゾーンに相手を誘い込めれば最強、らしいからな」
そう言ったアイツはこちらから目を離さないようにするとスマホを取り出してどこかに連絡し始める。
私は捕まるのか?嫌だ、ふざけるな。何で私が捕まるんだ。
いや、そんなことはどうでもいい。
でも、捕まったらお姉様と離れ離れになってしまう。
だめだ、頭が回らない。気持ちが悪い。私をあんなに燃やしていたはずの熱が肢体のどこからも感じられない。
目の前が薄暗い。腹が緊張で痛い。
あぁ、どうすれば。
どうすれば……。
「フミ、お前は何で俺の家を燃やしたんだ。答えてくれよ!」
アイツが何を言っているのか、耳鳴りがひどい今では聞き取れない。
気持ち悪い。気持ち悪い。
私は死刑になるのか?いや、黙れば。
脳裏を回るのは何の脈絡もない断片的なイメージ。
写真でしかみたことのない母。燃える家。お姉さまの艶めかしい唇。父親の冷たい目。
何が。何をすれば?お姉様と離れずに済む?
何をすればお姉さまに嫌われないで、捨てられないで済む?
私の意識は回り続ける炎の円環の中へと沈んでいった。




