12話
「まもなく到着でございます」
運転手のお爺さんの渋い声を聞いて、うとうとしていた俺は目を開けた。
車のサスペンションがいいのか、運転手さんの腕がいいのか。
信じられないほどの振動の無さが俺の疲れにダイレクトにアタックしてきていたようだ。
俺とアズサがどこからともなく現れたリムジンに乗りこんでから6時間ちょっと。
早朝の薄暗い森の中を俺たちは進んでいた。
ポツポツと道の端を通過していく街灯だけがここに人の手が入っていることを教えてくれる。
視界の端でアズサが微妙に眠そうにしながら爪の先を擦っていた。
あれはお腹が空いているときのアイツの癖だ。
レストランでの食事はまともに食えなかったからさぞかしお腹が空いていることだろう。
意識すると俺もお腹が空いてきたようでシートからむくりと起き上がった途端、俺の腹がぐうと鳴った。
その音を聞いたアズサはつられたように口元を手で隠してあくびをする。
「ふわぁーあ。たぶん、むこう着いたら、なんかごはんがあるよ。いつもはあるし」
眠そうに半目のアズサが少し幼い喋り方をしている様子を見ると、なんだか無性にドキドキする気がした俺は、特に返事をせずに目を前に向ける。
アズサは微妙に左右に揺れた後に諦めたようにシートに寝転がった。
森の終わりが近づいてきて、朝の光と共に向こうから見えてきたのはややレトロな洋館だった。
たぶん20LDKか30LDKくらいありそうな豪邸である。
白地に薄い青の装飾が目にも鮮やかな外観は、早朝の光に照らされてメルヘンな絵本の世界に迷い込んだような気持ちにされてくれる。
巨大な正面の扉は微妙に開かれており、誰かがそこでこちらを待っているようだ。
俺は寝転がっているアズサの肩を揺らす。
「おい、もう着くから起きろよ」
「うえー。後5分ー」
ぐずる、というかどちらかと言えばじゃれてきたアズサを押し除けた俺はため息をついたとき、運転手さんが到着を告げた。
「着きましてございます」
運転手さんにドアを開けてもらい、のろのろと起き上がったアズサを支えつつ、俺はリムジンから降りる。
雨上がりの地面の湿り気を靴底に感じながら、俺はアズサの白いズボンに泥が跳ねないと良いな、と思った。
足元から目線を上げると先ほどから扉を少しだけ開けてこちらを覗いてきていた人物が少女だったことに気づく。
毛先を一直線に切り揃えた艶やかな黒髪を揺らして彼女はこちらへ歩いてきた。
彼女が外に出ると同時にお付きの人が二、三人追従してくる。
俺たちの目の前に立ち、目を細めた彼女の眼光は元々切れ長の瞳をしているだけあって恐ろしいほど鋭い。
そして彼女は厳かに口を開いた。
「お姉さま。このチビがいつも仰っているトモくん、でしょうか」
彼女の声は刺々しく、明らかにこちらを、いや、俺を歓迎していないということがありありと伝わってくる。
「うんーそうだよフミー。二階堂亭はいつも通りでっかいねー。でも一旦眠いから寝かせてー」
眠そうなアズサの声を聞いた彼女は白っぽい頬に少しだけ赤みを差すと俺からアズサをすごい力で奪い取った。
「では、私の部屋でお眠りになってください。不肖、この二階堂フミが抱き枕を務めさせていただきますので」
じゃあねーと言わんばかりにこちらに手を振ってくるアズサをなんとか支えながら【二階堂フミ】は扉の奥へと消えていった。
気のせいじゃなければさっきアズサを俺から奪い取っていったとき、『お姉様に触るなゴミ虫』って囁いてこなかったか?
あっという間にアズサを拉致られてしまい、しばしの間手持ち無沙汰に玄関口に立ち尽くしていると、運転手さんが申し訳なさそうに俺を部屋に案内してくれた。
どうも俺に敵意を持っているのはこの館の主のあの少女だけらしい。
そして、いくらリムジンの中が快適だったとはいえ、やはり俺も相当に疲れが溜まっていたようだ。
綺麗に整えられたベッドに寝転がると俺は早々と意識を手放した。
*
しっかりと睡眠をとった現在、俺はアズサとその腕にくっついているフミと共に遅めの昼食を食べていた。
アズサがものすごい量のご飯をすいすい食べているのを尻目に俺はレストランでのことを思い返す。
目の前に現れた黒炎事件の犯人だ。
身長は俺とあまり変わらなかった、つまりかなり小柄な人物。
顔は目深に被ったフードと仮面で見えなかったものの、普通に考えれば……。
「黒炎事件の犯人は、女?」
それを聞いたフミは眉をぴくりと動かすとアズサの方を不安げに見る。
別に気にしてない、と言わんばかりに肩をすくめたアズサは口の中のものを飲み込むと、一口水を飲んでから口を開いた。
「そうだね。もしかしたら僕たちと同年代かもしれない」
「でも、その場合は犯人は俺たちの家を焼いた時点で6歳くらいって頃にならないか?」
あんな事件を起こした人物が。
今の今まで警察が全く足取りをつかめていない未曾有の連続殺人事件を引き起こしたのが初犯行時に6歳の女の子。
そんなことはあり得るのだろうか。
意外なことに沈黙を破ったのはフミだった。
「メアリー・ベルという方を知っていますか?彼女は10歳の頃に二人の男児を殺害し、片方の遺体を弄んだそうです。子供だからといって殺人事件を起こさないわけじゃないでしょう」
「しかも」
と言ったアズサは壁にかけられた燃え上がる教会の絵画を指さす。
「放火ってのは犯罪の中でもかなり再犯率が高いそうだよ。なんでかっていうと」
『殺したのは炎であって自分のせいじゃない』
から。
そう言ったアズサは眠気の残滓を拭うようにあくびを噛み殺すとフミの頭を撫でる。
俺は重苦しい雰囲気に包まれてしまった食卓の空気を変えようと、あえて明るい口調で聞いてみた。
「そういや、フミの親って警視総監なんだろ?そっちから言って俺たちの嫌疑を晴らしてもらえないかな」
それを聞いたフミはなんというべきか困ったような顔をして黙ってしまう。
「あのときはみんな疲れて混乱してたから、あの指揮官の男だけがやばいってかんじだった、けどさ」
アズサが難しい顔をして呟いた。
「でも、それだけじゃないみたいなんだよ」
アズサは手で銃の真似をしてバン!と言って見せる。
「えっと、つまり?」
「レストランでのことを思い出して欲しいんだけどさ。僕が一度お手洗いに行ったでしょ。そこから黒炎事件の犯人らしき人物が現れた。しばらくとも君たちが戦ってて、ちょっとしてから僕が戻って戦いになった。犯人が現れてからそこまでで大体何分ぐらいかな?」
俺は脳内であの日のことを思い返す。アズサがトイレへ離席したとき、視界の端で時計が7時ちょうどくらいを指していたはずだ。そしてすぐにレストランが炎に包まれ、犯人が現れる。
そのあと、俺たちは必死に時間稼ぎをしていたつもりだったが実際には——。
「5分は、経ってないんじゃないか?」
「……そしてすぐに警官隊が到着して、明らかに怪しいフードと仮面をつけた人物を無視してこちらに向かって発砲してきた」
俺の中で嫌な予感がじわじわこみ上げてくる。
10年間全く足取りのつかめない犯人。
5分も経たずに恐ろしい速さで急行してきた警官隊。
彼らは最初から俺たちを犯人だと決めつけている様だった。
もしかして。
「考えたくはないけど、警察全体と黒炎事件の犯人がグルだって考えるのが自然だよね」
「そんな、馬鹿なことが……」
アズサが何気なく言ったその一言が頭を割らんばかりに反響する。
俺は自分が座っている椅子がどこまでも奈落に向かって落ち込んでいき、世界が遠ざかっていくような気がした。
「まあ、そんなわけで警視総監にアクションを取るのはかなり危なそうなんだよ。今僕たちがここにいるのもフミ個人の好意なんだ。感謝するように」
「……別に、ありがたいのはフミであってアズサじゃないだろ」
とりあえず反駁してはみるものの、俺の声に力はない。
「まぁ、ここでグダグダ考えてても、仕方のないことさ」
そんなアズサの身もふたもない一言で、後味の悪い食事はお開きとなった。
俺は部屋を出て屋敷を歩く。
アズサとフミはまだあそこでいちゃついているらしい。
個人の家とは思えないサイズ感の廊下を歩いていると、なんだか今の状況が周囲から覆い被さってくるようで、息が苦しくなってくる。
敵意を向いた国家単位の組織、警察。
ついに目の前に現れた黒炎事件の犯人。
それに、まだ俺はおばさんが亡くなった喪失感から立ち直れてすらいない。
でも、俺の頭を占領したのはひどく個人的で身勝手な考えだった。
フミとアズサはどんな関係なんだ?という。
二階堂フミ、彼女はアズサには露骨に好意を示していたが、俺に対しては敵意をむき出しにしてきていた。
ただ友達に対しても独占欲が強いだけの人ならいいのだが、でもアズサにベッタリと張り付いているあの感じはまるで……。
俺は考えを意識的に逸らそうとする。
そうすれば、悪い想像が現実にならないと信じているように。
別に俺はアズサの恋人でもなんでもないのだ。
彼女が誰とどう交際しようと俺にそれを止める権利なんてない。
「……お嬢様は……はい、はい。……昨夜遅くに……」
使用人の人だろうか、中年女性の声が部屋の中から漏れ聞こえてきた。
フミはお嬢様。
平凡な俺と比べたら、彼女の方がアズサと並び立つのに相応しいのか?
窓の外を見ると微妙なまだらの曇り空。
俺の心中にも、ぼんやりとモヤがかかり始めていた。




