第47話
封筒の中身は、便箋二枚だった。
文字は、拙かった。何度も書き損じて、それでも書き直したのだろう、インクの濃淡が波打っている。宛名も署名もなかったけれど、書き手は一行目で分かった。
『先輩へ。この手紙を出す資格が私にないことは、分かっています』
便箋の上を、私は静かに目で辿った。
『修道院の朝は早いです。水汲みと、床磨きと、畑仕事。魅了は封じの目隠しをされているので、もう使えません。使えなくなって初めて、自分が今まで、人の目をまっすぐ見て話したことが一度もなかったと知りました』
『先輩。私は先輩に、ひどいことをたくさん言いました。あなたが不甲斐ないおかげで聖女になれた、と言いました。本当は、ずっと怖かったんです。あなただけが、私の目を見ても、とろけなかったから。本物は、偽物を一目で見抜くんだと思っていました』
『評定の日、あなたは私の罪を「切り分けて」と言いました。あの言葉の意味を、ここへ来てから毎日考えています。私の罪の分は、私が背負います。時間はたくさんあります。三百人の名前を、少しずつ、覚えているところです』
『謝って許されることではないと分かっています。それでも、書かずにいられませんでした。ごめんなさい。それから――ご婚約、おめでとうございます。修道院にも、噂は届くのです』
私は手紙を膝に置き、しばらく窓の外の月を見ていた。
許せるか、と自分の胸に問う。答えは、まだ揺れていた。あの五年の孤独と、三百の死の重さは、便箋二枚で消えるものではない。でも――罪を数えて生きようとしている人間に、かける言葉が何もないほど、私の心は貧しくもなかった。
私は机に向かい、短い返事を書いた。
『お手紙、確かに受け取りました。許す許さないは、まだ私の中で答えが出ていません。正直に、そう書いておきます』
『一つだけ。あなたはずっと、あの目を「たった一つの財産」と呼んでいたそうですね。違います。人の目を借りずに、自分の目で朝の水を汲み、床を磨き、三百の名前を覚える。魅了に頼らず生きるあなたの人生は――むしろ、これからです』
『畑仕事で手が荒れるでしょうから、塗り薬を同封します。修道院の皆さんとお使いください。 ミレイユ』
薬を添えるのは、私の性分だ。これだけは、どうしようもない。
同じ頃、王都から遠い南部の地方都市で。
一人の若い文官が、水路の帳簿と格闘していた。ラウル・アルディス。元第二王子、現・南部灌漑局の一等書記官。
「アルディス書記官、この予算案は通りませんよ。派手すぎる。大水路より先に、村ごとの溜め池の補修でしょう」
「……溜め池の補修では、視察に来た誰の目にも留まりませんが」
「留まらなくていいんです。水は、留まらないところで人を生かすんですから」
年上の同僚に諭され、ラウルは唸り、書き直した。ここへ来て半年、彼は毎日のように打ちのめされていた。輝かない仕事。数字にならない成果。誰にも褒められない、けれど確かに村の子供の腹痛を減らす、溜め池の補修。
夜、独りの官舎で、彼はふと呟くことがある。君の五年間は、こういう日々だったのか、と。
答える者はいない。ただ翌朝も彼は、地味な帳簿を開く。それが今の彼にできる、唯一の贖いの形だった。
夏が過ぎ、秋が深まり、ヴァルデンの城では婚礼の支度が進んでいた。
式は聖誕祭の日、と決めたのは私だった。あの日を、上書きしたかったから。
刷り上がった招待状の束を前に、ベルタさんが宛名の一覧を読み上げる。その中には、王家の名も、レンドル王家の名も、そしてケルン村の村長の名も、等しく並んでいた。




