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私を棄てた国が、頭を下げに来るまで  作者: 小林翼


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第44話

 ガルドの街が見えてくる前に、閣下は馬車列を一度、脇道へ入れさせた。


 城の礼拝堂ではなく、その裏手の丘。ヴァルデン家代々の墓所だった。閣下は「先に済ませたいことがある」とだけ言い、私に同行を求めた。カイン副官たちは、丘の下で待つという。


 春の墓所は、静かだった。伸び始めた草の間に、古い墓標が整然と並び、その一角に、比較的新しい三つの石が寄り添っていた。手入れは行き届いている。十年間、この人が一人で通い続けた証だった。窓越しに初めてこの丘の墓標を見た夜のことを、ふと思い出す。契約書に署名する前、ベルタさんに過去を聞かされた、あの夜のことを。


 先代辺境伯ゲルハルト様。奥方エリーゼ様。そして、小さな石がひとつ――アメリア様、享年七つ。


 閣下は花も持たず、ただその前に立った。私は半歩後ろに控えた。風が、丘の草を撫でていく。


 長い沈黙のあと、閣下は静かに口を開いた。墓標に向かって、報告する声だった。


「……遅くなりました。十年、かかりました」


 軍の復命のような、硬い言葉。


「あなた方を殺した毒の作り手を捕らえ、命じた男を裁きの場に引きました。男は全てを失い、二度と陽の下を歩きません。……仇は、討ちました」


 そこで、声が一度、途切れた。


「いえ。……違うな。正直に言います。討ったのではない。討って、もらったのです」


 閣下は隣の私を、目で示した。


「俺一人では、十年かけて、影一つ掴めなかった。毒の筆跡を読み、糸を辿り、証拠を積んだのは、この人です。俺はただ、隣で剣を持って立っていただけだ」


「閣下、それは違います。あなたが十年、諦めずに」


「いいから、聞いてくれ」


 閣下は墓標に向き直った。そして、その硬い声が、初めて、震えた。


「父上。俺は、ずっと考えていました。なぜ、俺だけが残ったのか。あの晩、熱など出さなければ、皆と一緒に逝けたものを。生き残った意味を、十年、探して……見つからないまま、仇討ちだけを意味の代わりにしてきました」


 大きな肩が、揺れた。


「でも、母上。アメリア。……俺は今、分かってしまった。仇を討ち終えた今、俺の中にあるのは、空っぽではないのです。この十年で、俺は、守りたいものを、また増やしてしまっていた。領の民も、城の者たちも、それから……」


 言葉が、途切れた。


 そして、北の戦鬼と呼ばれた人は、家族の墓の前で、両膝を折った。草の上に、大きな体が崩れるように膝をつき、深く、深く、頭を垂れた。


「……会いたかった。ずっと、会いたかった……っ」


 絞り出された声は、七つの妹を持つ兄の、両親を慕う息子の、十六歳のままの声だった。十年分の涙が、堰を失って、春の草を濡らした。


 私は何も言わなかった。ただ隣に膝をつき、震える背中に、そっと手を添えた。この涙は、誰にも邪魔されてはいけない。十年、遅れてやっと流せた涙なのだから。


 どれほどの時間が経ったのか。


 やがて閣下は顔を上げ、袖で乱暴に目元を拭い、深く息を吐いた。憑き物の落ちた横顔が、少し照れたように私を見た。


「……みっともないところを、見せた」


「いいえ。……綺麗な涙でした。ご家族も、きっと」


 閣下は立ち上がり、私に手を差し伸べて立たせてくれた。そしてその手を離さないまま、もう一度、墓標に向き直った。


「父上、母上、アメリア。……最後に、もう一つ、報告があります」


 繋がれた手に、力がこもった。


「――紹介したい人が、いる」


 心臓が、跳ねた。


 春の風が丘を渡り、三つの墓標の前で、私は握られた手の熱さだけを、やけに鮮明に感じていた。


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