第42話
出立の朝は、二年前のあの日と同じくらい、よく晴れていた。
違うのは、それ以外の全部だった。
王都の北門へ続く大通りは、夜明け前から人で埋まっていた。療養所を出た人たち、その家族、下町の織り子たち、水番の男たち、市場の商人たち。馬車列が進むたび、歓声と、すすり泣きと、花が飛んだ。
「薬師様! ありがとうございました!」
「ミレイユ様、どうかお達者で!」
「うちの孫の命の恩人だ! 忘れねえ、一生忘れねえぞ!」
馬車の窓から手を振りながら、私は二年前の朝を思い出していた。見送りのない停留所。嘲りに来たソフィア様。誰にも知られず、逃げるように出た門。
あの朝の私に、教えてあげたい。二年後、あなたはこの門を、こんなふうに出直すのだと。
北門の前で、馬車は一度停まった。王家の見送りの列。その先頭で、陛下が自ら立っていた。王が城門まで臣下ならぬ一薬師を送るなど、前例のないことだと、後で聞いた。
「ミレイユどの。学校の件、王家は約束を違えぬ。……そして、これは餞別だ」
差し出されたのは、一通の勅書だった。開いて、息を呑んだ。二年前の婚約破棄と聖女資格剥奪について、その手続きの一切が謀略による無効なものであったことを認め、王家として公式に謝罪する――国璽の押された、公文書だった。
「そなたの名誉は、記録の上でも完全に戻った。遅すぎた詫びだがな」
「……いいえ、陛下。記録に残していただけるのなら、それが一番の詫びです。私、記録に残らない仕事ばかりしてきましたので」
陛下は一瞬目を見開き、それから、痛みと敬意の入り混じった顔で笑った。
列の端に、ラウル殿下もいた。もう王族ではない一人の文官として、彼は目礼だけを寄越した。それでよかった。私たちの間に、もう言葉は要らない。
門が開く。馬車が動き出す。歓声が最高潮になり、花が雪のように降り、そして白い城壁が、ゆっくりと後ろへ流れていった。
今度は、振り返らなかった。振り返る必要が、なかった。
街道に出て、王都が地平の向こうに消えた頃、馬車の中の空気が、ふっと緩んだ。
「……終わりましたね。全部」
「ああ。終わった」
向かいに座る閣下が、短く答えた。それきり会話は途切れたけれど、気詰まりではなかった。この人との沈黙は、いつも毛布に似ている。
窓の外を、春の野が流れていく。解毒薬の在庫、学校の構想、帰ったら畑の冬支度、トマへの土産話――考えることは山ほどあるのに、思考が、とろとろと溶けていく。張り詰めていた二月分の糸が、一本ずつ、ほどけていく。
駄目だ、寝ては。雇い主の御前で。せめて宿場までは。
抗いは、三分と保たなかった。
がくり、と傾いだ私の頭を、何かが優しく受け止めた。広くて、少し硬くて、微かに剣と紙の匂いのする、何か。
夢うつつに、遠く、閣下の声がした。馬車の外の、カイン副官に向けた声だ。
「……ガルドまで、ゆっくり走らせろ」
「へいへい。お姫様の眠りを妨げる石ころは、俺が全部拾っときますよ」
「減らず口はいい。急がなくていい、と言っている」
「珍しいこともあるもんだ。あんなに家に帰りたがってた閣下が」
「……この時間が、もう少し長くてもいいと思っただけだ」
その言葉の意味を考える前に、私は温かい闇に沈んだ。
だから、知らなかった。
私を肩に眠らせたまま、閣下が身じろぎ一つしなかったことも。その懐の内側に、ガルドの職人に密かに誂えさせた小さな箱が、ずっと仕舞われていたことも。
馬車は北へ、ゆっくりと走っていった。




