第4話
王都を発って三日目の昼だった。
乗合馬車は街道沿いの川辺で休憩を取り、乗客たちは思い思いに昼食を広げていた。恰幅のいい商人の男が、宿場で買ったという川魚の焼き物を上機嫌で頬張っている。
「姉さんも食うかい。この街道の名物でね」
「いえ、私は結構です。……その魚、どちらの宿で?」
「川上の安宿さ。今朝獲れたばかりだと」
嫌な予感がした。この時期、雪解け前の川魚には稀に厄介な虫が潜む。けれど確証もなく口を出せば、ただの感じの悪い小娘だ。私は口をつぐんで、馬車に戻った。
異変が起きたのは、それから半刻後だった。
「う、ぐ……」
商人が腹を押さえて座席からずり落ちた。脂汗、青ざめた唇、痙攣する指先。乗客たちが悲鳴を上げ、御者が「医者のいる町まで半日はかかる」と青くなる。
私は商人の傍らに膝をつき、その目を覗き込んだ。瞳孔の開き方、舌の色、呼気の匂い。視るまでもなかった。彼の腹の中で、細い糸のような毒が血に溶け出していくのが、私の目にははっきりと映っている。
「昼の川魚です。寄生虫の毒。放っておけば、あと半刻で手遅れになります」
「は、半刻!?」
「騒がないで。助かります、今なら」
私は馬車を飛び出し、川辺の斜面を見渡した。あった。雪の下から顔を出したばかりの苦艾、川石の陰の水薄荷、そして枯れ藪に絡む赤蔓の根。図鑑通りなら、この三つは熱冷ましと腹下しの薬にしかならない。
一瞬だけ、迷った。もう誰のためにも毒を視ないと、あの門で決めたはずだった。けれど目の前で人が死にかけているのに、できることを出し惜しみするために力を捨てたわけじゃない。国は捨てても、この手までは捨てていない。
――それに、私が編み直せば話は別。
三種を石で潰して練り合わせ、掌の中で、そっと力を通す。草の青い匂いが、ふわりと薬の匂いに変わった。組成がほどけ、寄生毒の対となる形に編み直されていく。誰の目にも、ただの薬草の団子にしか見えないはずだ。
「これを。噛まずに飲み込んで、水を」
商人は藁にも縋る顔で団子を飲み下した。四半刻もすると痙攣が収まり、青かった顔にみるみる血の気が戻ってくる。半刻後、彼は自力で身を起こした。
「……嘘だろう。あんなに苦しかったのが」
「毒が虫ごと流れました。今夜は消化のいいものだけにしてください」
馬車の中が、しんと静まり返った。それから、堰を切ったように質問が飛んでくる。あんた何者だい。医者かい。今のは魔法かい。
「ただの、薬師見習いです」
私はそう答えて、窓の外に目を逃がした。聖女の名はもう捨てた。けれど薬師と名乗った瞬間、胸の奥が不思議と温かくなった。称号ではなく、できることで名乗る。それは思いのほか、悪くない響きだった。
「薬師の姉さん、命の恩人だ。せめて名前を」
「ミレイユと申します」
「ミレイユさんか。わしはドニ、ガルドで手広く商いをやってる者だ」
商人は懐から一枚の名刺を取り出し、私の手に押しつけた。
「行き先はどこか知らんが、もしガルドの街に来ることがあったら、必ず訪ねてくれ。商人は恩を忘れんのが信条でね。この恩は、いつか倍にして返す」
「ガルド……」
それは奇しくも、私の切符の行き先だった。ヴァルデン辺境伯領の、中心の街。
黙って名刺を仕舞う私に、ドニさんは豪快に笑った。縁とは、こういうふうに転がり込んでくるものらしい。
馬車は再び走り出す。掌には、まだ薬草の青い匂いが残っていた。窓の外、街道の先にはまだ見ぬ北の山並みが、冬の光を受けて白く連なり始めていた。




