第34話
夕暮れの薬草畑に、三人分の沈黙が立っていた。
閣下は柵の内に歩を進め、私の半歩前で止まった。ラウル殿下を見る灰色の瞳は静かで、静かであるほど、温度がなかった。
「辺境伯……これは、その、個人的な話で」
「聞こえていた。個人的な話にしては、声が大きすぎたな」
閣下は一歩も動かない。けれど殿下の額に、汗が浮くのが見えた。戦場を知る人間の静けさは、それだけで刃物なのだと、私は初めて理解した。
「ヴァルデン卿、僕は誠意をもって」
「誠意。……いい言葉だ。では俺も誠意をもって言おう。この人は俺の領の民で、俺の命の恩人で、この領の誰より得難い人だ。その人の古傷を抉る話を、俺の城の、この人が耕した畑でするのなら――」
「閣下」
私は、そっとその袖に触れた。振り向いた灰色の瞳に、小さく首を振ってみせる。
「ありがとうございます。でも、ここは私に言わせてください。私の値段の話ですから」
閣下は数拍私を見て、それから一歩、引いた。引いてくれた。守られるのではなく、隣に立たせてくれる。この人のそういうところが、と胸の内だけで呟いて、私は殿下に向き直った。
「殿下。先ほどの問いに、正式にお答えします。復縁のお申し出は、お断りします」
「……理由を、聞いても」
「ええ。二年前、あなたは私の価値を、神殿の測定値という一つの物差しで量って、捨てました。では今の私の価値は、何が決めているか。――救った命の数です。ケルン村の二十七人、王都から逃れてきた百人余り。レンドル国王の親書です。この領の民の信頼です。工房の帳簿に並ぶ、二年分の仕事の数字です」
私は畑を、城を、街の灯りを、ぐるりと指し示した。
「つまり私の価値は、もう市場が決めたのです。大勢の人の、二年分の取引と信頼の積み重ねが。……ですから殿下。あなた一人の見立てで上がったり下がったりするほど、私はもう、安くありません」
殿下は、打たれたように立ち尽くしていた。
「二年前のあなたの見立て一つで、私の値は地に落ちた。あの頃の私の値段が、あなた一人の胸三寸で決まる程度に、私が貧しかったからです。今は違います。あなたが私を高く買い直しても、安く売り直しても、私の値はもう動きません。……それが、あなたのお申し出への、答えのすべてです」
長い沈黙のあと、殿下は、ゆっくりと息を吐いた。こけた頬に、夕陽の最後の赤が差していた。
「……ああ。……ああ、そうか。そういう、ことか」
その声は、不思議と憑き物が落ちたようだった。
「僕は君に振られたのではないんだな。僕の量り方そのものが、とっくに時代遅れだった。……いや、最初から間違っていた」
「ご理解いただけたなら、この話は終わりです。そして殿下、あなたには今、値札のいらない仕事があるはずです。三百人の弔いと、まだ生きている民の明日という」
殿下は目を見開き、それから深く、深く頭を下げた。王子が、薬師に。
「……感謝する。契約者としての貴女を、王都で待っている」
去っていく背中は、来たときより少しだけ、まっすぐに見えた。
畑に二人残されて、閣下がぼそりと言った。
「……市場が決めた、か。俺の見立ても足しておけ。『値のつけようがない』と」
「か、閣下。それは高いのですか、安いのですか」
「さあな」
二日後の朝、薬師団の馬車列は、南へ向けて城門を出た。見送りには街の人々が並び、トマは留守番の悔しさに唇を尖らせながら、それでも「王都のやつら全員治して、さっさと帰ってこいよ!」と手を振った。
王都を救いに行く。捨てられた道を、今度は仕事として、胸を張って戻るのだ。




