表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を棄てた国が、頭を下げに来るまで  作者: 小林翼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/50

第30話

 王家の先触れが辺境伯城に届いたのは、街道の雪が消えきった朝だった。


 カイン副官が執務室に駆け込んできたとき、私はちょうど朝の毒見を終えたところだった。


「来たぞ。王家の正式な使節団。目的は『流行り病に関する救援の要請』……で、だ。問題は使節の筆頭でな」


 差し出された書状の署名を見て、ベルタさんが息を呑み、閣下の眉間に谷が刻まれた。


『使節団長 王子ラウル・アルディス』


 二年ぶりに見る、元婚約者の名前だった。


 執務室が静まり返る。皆の視線が、そっと私に集まるのが分かった。トマなど、廊下から顔半分だけ覗かせて、今にも殴り込みに行きそうな顔をしている。


 私はといえば、自分の心の内を、他人事のように検分していた。動揺は――思ったより、小さい。あの名前はもう、私の急所ではないらしい。二年分の日々が、ちゃんと肉になっている証拠だった。


「ミレイユ」


 閣下が静かに言った。


「会わなくてもいい。断る口実など、幾らでも作れる。病の対応で手が離せんのは事実だ。使節の相手は俺がやる。お前は顔を出さずに済む」


 不器用なこの人なりの、精一杯の盾だった。ベルタさんも頷いている。カイン副官まで「王子サマには俺が塩対応しとくぜ」などと言い出す。ありがたくて、少し笑ってしまった。


「ありがとうございます。でも――会います」


「……いいのか」


「はい。だってこれは、弔問でも同窓会でもありませんもの」


 私は書状を卓に置き、皆を見回した。


「王家は、三百人が死ぬ病を前に、私に頭を下げに来る。つまりこれは交渉です。取引をしに来るのでしょうから、こちらも、取引の席を整えてお迎えしないと」


 カイン副官が、ひゅう、と口笛を吹いた。


「席を整える、ね。具体的には?」


「まず、私は個人としてはお会いしません。ヴァルデン辺境伯領の薬師として、閣下の同席のもとでお会いします。王家対ミレイユではなく、王家対辺境伯領の構図にします。あの方々は個人相手だと平気で約束を反故にしますが、領が相手ならそうはいきません」


「ほう」


「次に、こちらの手札は先に見せません。病の原因も、追放の真相の調べも、宰相の件も。あちらが何をどこまで知っていて、何を隠して頭を下げに来るのか――それを見てから、出す札を決めます」


「……おっかねえ。うちの工房長、いつの間に軍師になったんだ」


「教育係が皆さん厳しいもので」


 閣下が、喉の奥で低く笑った。それから真顔に戻り、言った。


「分かった。席は整えてやる。当日は俺の右に座れ。この領で客と相対するとき、そこは領の重臣の席だ」


「……身に余ります」


「事実を言ったまでだ」


 準備は三日で整った。会談の間には長卓が据えられ、上座に閣下、その右に私、左にカイン副官。壁際にはベルタさんが給仕として控える手筈になった。茶器は私が検分済みのものを、茶葉は私が選んだものを使う。この席で口に入るものの安全は、私が保証する。それがこの領の流儀だと、王都の方々にも知っていただこう。


 前日の夜、私は工房の二階で一人、静かに茶を淹れた。


 窓の下では、療養所に灯りがともっている。王都から逃れてきた人たちは、日ごとに快復に向かっていた。あの人たちを救う薬は、もうこの手の中にある。王都の三百人の後にも続く人たちを救えるのも、おそらく私だけだ。だからこの交渉は、意地や復讐のためではなく、救うために、正しく勝たなければならない。


 二年前、あの聖堂で値切られた娘は、もういない。ここにいるのは、村を一つ救い、隣国の王女を治し、この領の食卓を守ってきた薬師だ。私の値段は、もう私が知っている。


 湯気の向こうで、私は小さく呟いた。


「さあ――あなた方が捨てたものの値段を、教えて差し上げましょう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ