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私を棄てた国が、頭を下げに来るまで  作者: 小林翼


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第27話

 その冬、王都は静かに燃えていた。


 炎の色は見えない。けれど確実に、街は内側から焼けていた。下町で始まった流行り病は貴族街に達し、死者は日ごとに数を増した。高熱、節々の痛み、そして指先から広がる灰色の変色。医師たちは流感と言い、次に悪性の熱病と言い、ついには口を閉ざした。既存のどの病の型にも、当てはまらなかったからだ。


 市場から人が消え、辻には香が焚かれ、教会の鐘は弔いにばかり鳴った。奇妙なことに、病は貧しい区画ほど重く、聖水の配布が篤い教区ほど広がった。信心深い者から倒れていく、と人々は囁き、その囁きは信仰よりも速く街を巡った。


 そして民の目は、当然のように大神殿へ向いた。


「聖女様の浄化の儀だ! 聖女様が祈ってくださるぞ!」


 中央広場での大浄化の儀。ソフィアは純白の衣で祭壇に立ち、光を撒いた。集まった数千の民は光の粒に歓声を上げ、涙して祈った。


 七日後、儀に参列した者の中から、新たに四十人が倒れた。


「……偽物だ」


 誰が最初に言ったのかは分からない。けれどその言葉は、乾いた藁に落ちた火のように広がった。聖女の光で病人が治ったためしがない。聖水を配られた区画ほど、病人が多いのはなぜだ。先の聖女様の頃、こんな病があったか?


「偽聖女!」「本物を返せ!」


 三度目の浄化の儀は、投石で中止になった。



 王城の対策会議は、連日、罵声と沈黙を往復していた。


「隔離を増やせと言うが、どこに! 収容所はもう溢れておる!」


「神殿は何をしている! 下賜金だけ受け取って、病一つ祓えんのか!」


「殿下! 殿下のお考えを!」


 水を向けられたラウルは、卓の上の報告書を見つめたまま、言葉を持たなかった。隔離、施薬、祈祷。打てる手はすべて打った。すべて、効かなかった。自分の隣で輝いていたはずの光は、この会議室では誰の熱も下げてくれない。


 ふと、思い出す。婚約者だった頃のミレイユは、会議で発言を求められると、いつも地味な数字ばかり並べた。井戸の位置、水の検分の記録、季節ごとの病人の数。退屈で、輝きのない報告だと、聞き流していた。


 ――あの数字は、全部、この街を守る仕事の跡だったのではないか。


 浮かんだ考えを、ラウルは慌てて振り払った。今さら考えても遅い。それに、ソフィアの目を見れば、この不安もきっと消える。いつものように。


 その考え方こそが毒なのだと、彼はまだ気づけずにいた。



 深夜の書斎で、国王エルネストは一人、密偵の報告書をめくっていた。


 息子にも宰相にも諮らず、この秋から独自に始めた調べだった。発端は、喉に刺さり続けた小骨。オルレアの娘がいた五年間と、去ってからの二年間の、あまりの落差。


 報告書には、こうあった。北の辺境に「奇跡の薬師」と呼ばれる女がいる。毒と病を見抜き、隣国の王女を救い、ヴァルデン辺境伯が重用している。年の頃、二十歳前後。王都から流れてきたという。


「……まさか」


 扉が、控えめに叩かれた。入ってきたのは、腰の曲がった老神官だった。五年前、聖女の測定に立ち会った書記の一人。密偵が長い時間をかけて口説き落とした、証人だった。


 老神官は床に額づき、震える声で言った。


「陛下……この命に代えて、申し上げねばならぬことがございます。先の聖女様の測定記録は、書き換えられました。あの方の追放は――仕組まれたものに、ございます」


 燭台の火が、揺れた。


 国王は長いこと目を閉じ、それから静かに侍従を呼んだ。


「早馬を。……いや、最も信の置ける者を、密使として北へ。ヴァルデン辺境伯領へ発たせよ」


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