第22話
人払いをした診察室で、旅装の客は外套を脱ぎ、深々と頭を下げた。
「非礼をお詫びします。私はレンドル王国外務官、イアン・セヴェリと申す者。……この訪問は、我が国の公式の記録には残りません。その前提で、お聞き願いたい」
レンドル。北の国境を挟んだ隣国だ。ここ数年は穏やかな関係だが、正規の使節が辺境の薬師を訪ねる話ではない。つまり、それだけ切羽詰まっているということだった。
「我が国の第一王女、リディア殿下が、この一年、病の床に就いておられます。国中の医師が匙を投げ、恥を忍んで貴国の聖女にも祈祷を依頼しました。その結果は――」
セヴェリ卿は一度言葉を切り、苦いものを飲むように続けた。
「断られた。……いえ、正確に申し上げましょう。祈祷は行われましたが、何も起きなかった。輝かしい光の儀式の後、殿下の容体は、むしろ悪化しました」
胸の奥が、ちくりとした。あの光は目を楽しませるだけだ。病人の体には、何も届かない。
「それで、私に。……ですが卿、私は王女殿下を診られません。国境を越えれば、それこそ両国の問題になります」
「承知の上です。ゆえに、これを」
卿が卓に置いたのは、封蝋された小箱だった。中には、絹に包まれた一房の髪、爪、この一年の症状を日ごとに記した分厚い記録、食事と薬の全一覧、そして寝所の水差しの水を封じた小瓶。
「我が国の侍医団が用意できる、すべてです。これで診立てが可能かどうかも分からぬまま、藁にも縋る思いで参りました」
私は箱の中身を、一つずつ検めた。髪を視て、爪を視て、水を視て、記録を読み込む。半刻後には、輪郭が見えていた。
「……病では、ありません」
「なんと」
「殿下は中毒です。それも盛られたのではなく、おそらくは善意の毒。記録にある、この痛み止めの長期処方――これ自体は正しい薬です。ただ殿下の体質では、この薬草の成分が抜けずに溜まる。一年分、溜まり続けています」
薬が、毒になっていた。侍医の誰も疑わなかったのだ。正しい薬を疑うのは、一番難しい。私が誰よりよく知っている。正しいはずのものの中にこそ、一番静かな毒が棲む。
「治せますか」
「治せます。処方を組み直し、溜まった分を抜く薬を作ります。ただし飲ませ方の順番が命です。手順書を一字一句違えず守れる方に託してください」
三日後、私は十四日分の薬と、飲ませる順と量と時刻を細かく記した手順書をセヴェリ卿に渡した。卿は薬箱を聖遺物のように抱え、夜陰に紛れて北へ発った。
結果が届いたのは、ひと月後だった。
正規の使節団が、白昼堂々と辺境伯城に到着したのだ。積まれた謝礼は目が眩む額で、けれど私の目を釘付けにしたのは、レンドル国王の署名が入った一通の親書だった。
『貴女の手が、余の娘を死の淵より連れ戻した。この恩、レンドル王家は代を越えて忘れぬ。ついては一言、率直に申し上げる。貴女を虐げた国に、義理立てする必要がどこにあろうか。我が国は、いつでも貴女を国賓として、望むなら聖女として迎える用意がある』
執務室で親書を検分した閣下の眉間に、見たこともない深さの皺が刻まれた。
「……引き抜きだな。国王直々の」
「光栄なお話ですけれど、お断りします。返書を書きますので」
「即答か」
「即答です。私、今の職場に満足しておりますので」
閣下の眉間から、すっと皺が消えた。咳払いを一つして、彼は書類に目を戻す。
「……そうか。なら、いい」
その耳が少し赤いことには、気づかないふりをしておいた。




