第21話
春が来て、雪解けと一緒に、私の人生に看板が掛かった。
『薬師工房ヴァルデン』
城下の目抜き通りに面した石造りの建物。一階は薬房と診察部屋、二階は調薬室と乾燥棚。開設の費えはすべて閣下の出資で、私が固辞すると「領の医療への投資だ。損得は勘定済みだ」と一蹴された。ならばと、私は利益から出資を返す契約書を自分で書いて突きつけた。閣下は呆れ顔で、しかしどこか楽しげに署名した。
「開店祝いだ! 姉さん、いや工房長! 商会から棚一式と硝子瓶を納めさせてもらうよ」
ドニさんは相変わらず豪快で、開店の日には街の人が列を作った。ケルン村の一件はすっかり知れ渡っていて、初日から診察は日暮れまで途切れなかった。
弟子も増えた。筆頭はもちろんトマ。それから、ケルン村から出てきた村長の孫娘、城の厨房の三男坊、引退した産婆のおばあさんまで「今さらだが薬を学び直したい」と通ってくる。
「いいこと、皆さん。うちの工房の決まりは三つ。一つ、視て、確かめるまで信じない。二つ、分からないものは口に入れない、入れさせない。三つ――」
「「「薬は、人を選ばない!」」」
「よろしい」
貴族も平民も、金のある者もない者も、薬の前では同じ患者。診察代は払える分だけ。その代わり、貴族や商家からはきっちりいただく。この方針は最初こそ心配されたが、蓋を開ければ工房の帳簿は右肩上がりだった。信用は、何よりの看板になる。
月末、帳簿を検めに来たカイン副官が、算盤を弾いて吹き出した。
「工房長どの、ご報告です。今月の工房の純利と、あんたの給金を足すとだな……王都の聖女様の年俸、超えたぞ」
「……は?」
「聖女の俸給は宮廷年鑑に載ってる公開情報でね。いやあ、痛快痛快。国家公認の聖女様より、辺境の薬師の方が稼ぐ時代だ」
工房中が沸き、トマが「ミレイユすげえ!」と跳ね、私は帳簿を前に妙な気分で座っていた。
嬉しい、とは少し違う。ただ、静かに深く、腑に落ちたのだ。王都が私に付けた値札は、測り方を間違えていただけ。正しい秤の上でなら、私の仕事はちゃんと値がつく。
その夜、報告のついでに城の執務室でその話をすると、閣下は書類から顔を上げ、事もなげに言った。
「当然だ。むしろ安い。俺の見立てでは、お前の値はまだ二桁足りん」
「に、二桁……閣下、それはさすがに」
「事実だ。命の値段を足し算してみろ。ドニ商会の主人、トマ、ケルン村の二十七人、そして俺。……もっとも」
閣下はそこで一度言葉を切り、窓の外の薬草畑に目をやった。
「値がつけられん類のものも、あるがな」
「? どういう意味ですか」
「さあな。仕事に戻れ、工房長どの」
はぐらかされた。最近この人は、時々こういう分からないことを言う。分からないのに、心臓に悪い。
夏が近づく頃には、工房の名は領境を越え始めていた。近隣の領から患者が馬車で運ばれてくる。他領の薬師が教えを乞いに来る。断りきれない往診で、私の行動範囲はどんどん広がった。城の毒見の務めは変わらず続けている。朝と晩は閣下の食卓、昼は工房。忙しいが、どの時間も自分で選んだ時間だった。
そんな、ある夕暮れのことだった。
店じまいの支度をする工房の戸口に、一人の客が立った。旅装に身を包んでいるが、外套の下の靴は上等すぎるほど上等で、立ち姿には隠しようのない品があった。異国の訛りを帯びた、低く静かな声が言った。
「奇跡の薬師どのとお見受けする。……人払いを、願えますか。国を、跨ぐ話です」




