第2話
翌朝、神殿の一室で、私は追放の書類に署名させられていた。
「聖女資格の剥奪、神殿からの除籍、ならびに王都からの退去勧告。異議は」
「ありません」
事務官の神官は拍子抜けした顔で羽根ペンを引っ込めた。泣き喚くとでも思っていたのだろう。私は与えられた小部屋に戻り、五年分の荷物をまとめ始めた。驚くほど少ない。着替えが数枚、母の形見の髪飾り、そして手垢で黒ずんだ薬草図鑑が一冊。
窓の外では、朝の祈りに向かう神官たちの列が続いていた。あの中に、私の味方は一人もいない。
当然だ。彼らにとって私は、五年前からずっと「落第の聖女」だったのだから。
廊下の向こうから、若い神官たちの囁きが漏れ聞こえてくる。曰く、婚約破棄は当然の報い。曰く、よくも五年も聖女の座に居座れたものだ。曰く、新しい聖女様は御髪も御心もお美しい。私は聞こえないふりで扉を閉めた。慣れている。言葉の毒は、私の力では消せないのだ。
――浄化量、測定不能。歴代最低値。
初めての測定の日、水晶盤を前にした神官長の声を、今でも覚えている。聖女の力は、聖水晶に注いだときの光の強さで測られる。歴代の聖女が注げば、水晶は昼のように輝くという。
私が注いだとき、水晶は光らなかった。ただ、盤の隅に置かれていた検査用の毒液が、音もなく澄んだ水に変わっただけだった。
誰も、それに気づかなかった。
私の力は、浄化ではない。もっと根源的な、けれど誰の目にも見えない力。この手で触れ、この目で視れば、あらゆる毒と薬の本質が分かる。組成をほどき、編み直し、毒を薬に、薬を毒にすら変えられる。私はそれを、心の中で《変毒》と呼んでいた。
光らない力は、この国では力ではなかった。それでも私は勝手に仕事を続けた。王家の食卓に上る皿を検め、微量の毒を静かに消した。年に数度、確かに混入していた。誰の仕業かは分からない。報告しても「浄化量最低の聖女の妄言」と一笑に付されるだけだったから、私はただ黙って消し続けた。
そして王都の地下水源。あそこには古い時代の呪毒が澱のように沈んでいて、放っておけば十年で水を腐らせる。歴代聖女の「浄化の儀」の正体は、あの澱を祓う仕事だ。光の演出の裏で行われる、本当の務め。私は月に一度、夜更けに水源へ下り、一人でそれを続けてきた。
記録には、何一つ残っていない。
荷造りの手が、ふと止まった。
水源の澱は、消しても消しても湧いてくる。私が去れば、あれを祓える者は――。
「……いいえ」
私は首を振って、図鑑を鞄の一番上に押し込んだ。
「もう、私の仕事じゃない」
神殿には新しい聖女がいる。輝かしい、本物と認められた聖女が。彼女の光があれほど強いのなら、澱の一つや二つ、造作もないはずだ。そうでしょう、ソフィア様。
部屋を出るとき、私は一度だけ振り返った。狭くて、寒くて、それでも五年間眠った部屋。壁の染みの形まで覚えてしまった天井に、小さく頭を下げる。
「お世話になりました」
誰に言うでもない挨拶を残して、私は扉を閉めた。廊下ですれ違う神官たちは、皆一様に目を逸らした。哀れみか、侮蔑か、あるいは関わり合いを恐れてか。どれでも同じことだ。
明日の朝、王都の門が開いたら、北へ向かう乗合馬車に乗ろう。行き先はまだ決めていない。ただ、できるだけ遠くへ。この国の「見る目のなさ」が届かないところまで。幸い、薬草の知識だけは図鑑が擦り切れるほど身体に染みついている。聖女でなくても、薬師の真似事くらいはできるだろう。
私はもう、誰のためにも毒を視ない。
そう決めたはずの胸の奥で、水源の暗い澱の色が、小さな棘のように疼いていた。




