第18話
解毒薬は、その日の朝から患者たちに配られた。
最初に変化が現れたのは、あの川べりの老婆だった。夕方には熱が引き、翌朝には指先の灰青色が薄れ、三日目には自分の足で厠に立った。重かった順に、村人たちが次々と褥から起き上がっていく。
七日目、最後まで危なかった幼子が粥を平らげたとき、集会所は泣き声と笑い声でいっぱいになった。畑に人が戻り、閉ざされていた戸が開き、教会の鐘楼から弔いの黒布が下ろされた。村が、息を吹き返していく。
「薬師様、ありがとうございます、ありがとうございます」
「うちの婆さまが立った! 薬師様のおかげだ」
「まさに奇跡だ……奇跡の薬師様だ」
誰かが口にしたその呼び名は、あっという間に村中に広がった。私が水を検めに歩けば手を合わせる人があり、子供たちは私の後ろを行列になってついてくる。
「や、やめてください、拝まないで。私は薬を作っただけで」
「その薬が誰にも作れんかったのです。どうか拝ませてくだされ」
閣下とカイン副官が、少し離れた場所で肩を震わせていた。あとで覚えていてください。
もっとも、仕事はまだ残っていた。毒の元を断たねば、同じことが繰り返される。閣下は兵に命じて廃坑の排水口を封じ、沢の取水口を検問付きで付け替えた。定期的に毒を流し込んでいた「人の手」は、兵が入った時点で痕跡ごと消えていた。尻尾の切り方が、手慣れていた。
「逃げられたか」
「ですが、収穫はあります。ここで使われた三種目の毒――聖別薬草由来のもの。あれはロヴェルの遅効毒、そして十年前の毒と、同じ筆跡でした」
「……全部、繋がっているということか」
「はい。この領を、水から、食卓から、少しずつ殺そうとしている誰かがいます。それも、十年がかりで」
閣下は廃坑の黒い口を長く見上げ、それから静かに言った。
「面白い。十年待った甲斐があったというものだ」
その横顔は、怒りよりもっと静かで、もっと深いものを湛えていた。
村を発つ日、街道は見送りの村人で埋まった。
村長は涙ながらに山ほどの土産を積み込もうとし、老婆たちは私の手を代わる代わる握り、子供たちは馬車が見えなくなるまで走ってついてきた。
「奇跡の薬師様、またなあ!」
「また来ます! 沢の水はまだ飲んじゃ駄目よ!」
帰りの街道は、行きと同じ道のはずなのに、まるで違って見えた。二日目の夕暮れ、馬車を降りて脚を伸ばした丘の上で、隣に馬を寄せた閣下がぽつりと言った。
「噂はもうガルドまで届いているそうだ。奇跡の薬師の話で、街は持ちきりだと」
「うう……恥ずかしいので、その呼び名は禁止にできませんか」
「無理だな。事実だ」
「事実ではありません。私はただの」
「ただの薬師見習い、はもう通らんぞ。二十七人の命と、村を一つ救った」
閣下は前を向いたまま、少し間を置いて、続けた。
「王都は、お前を手放したことを、一生悔やむだろうな」
夕陽が、雪の残る山並みを金色に染めていた。私は少し考えて、それから、自分でも驚くほど軽い声で答えていた。
「ええ。悔やんでもらわないと、困ります」
閣下が、虚を突かれたようにこちらを見た。
「せっかく捨てていただいた人生ですから。拾ってくれた場所で、精一杯高く値を上げて差し上げようかと」
「……く」
喉の奥で、低い音がした。見れば、閣下が口元を拳で隠している。笑っている。この人が。
「いい性格になってきたな、毒見役どの」
「教育係が皆さん厳しいもので」
並んだ二頭の馬の距離は、出会った頃より、確かに近かった。




