第16話
「これ……病じゃ、ない」
私の呟きに、村長と閣下が同時に振り返った。私は一番手前の褥に膝をつき、荒い息の老婆の手を取った。指先から這い上がる灰青色。皮膚の下で、鈍い色の澱が血に混ざって巡っているのが視える。
「熱は毒への抵抗です。変色は、体に溜まった毒が指先から現れたもの。皆さんは病に罹ったのではなく――ゆっくりと、毒を盛られ続けています」
「ど、毒ですと? 村ぐるみで、誰がそんな」
「盛ったのは人の手とは限りません。村長、伺います。寝付いた方々に、共通することは? 同じ井戸、同じ畑、同じ仕事」
村長は首を捻ったが、答えは看病する村人たちの声から集まってきた。寝付いたのは川べりの区画の家の者ばかり。丘の上の家は誰も倒れていない。そして川べりの家々は、井戸ではなく、山から引いた沢の水を使っている。
「沢の水……水源はどちらに」
「北の沢です。廃鉱山の、東の谷から流れて」
やはり。私は立ち上がった。まずは応急の手当てだ。持参した薬草で毒の進みを遅らせる煎じ薬を作り、村の女衆に煮出し方を教えて、重い患者から順に飲ませていく。根治ではない。けれど時間は稼げる。
「閣下。水源を検めます。それと村長、今すぐ触れを。沢の水は飲むのも煮炊きも禁止。丘の井戸の水だけを使うように」
北の沢は、雪解けの澄んだ流れだった。目には美しい。けれど掌に掬って視れば、水の底に、あの色があった。ガルドの井戸で視たものと同じ系統の鉱毒。ただし、濃い。そして――均一すぎる。
私は沢を遡った。閣下と護衛が黙ってついてくる。半刻登った先、廃坑の排水口の下で、私は足を止めた。
「……ここです。ここから流れ込んでいます」
「廃坑の毒が染み出したか。ならば、坑道を塞げば」
「いいえ、閣下。見てください、この排水口。古い石組みの一部だけが、新しく崩されています。それに毒の溶け方が不自然です。自然に染みた毒は濃淡の波が出る。この毒は、量を計って、少しずつ、定期的に流されています」
閣下の目が眇められた。
「人の手か」
「はい。しかも即座に人が死なない濃度を、正確に保って。妙だと思いませんか。殺すつもりなら、もっと濃くすればいい」
「……何が言いたい」
「これは毒殺ではありません。観察です。どの濃度で、どれだけの期間で、人がどう弱るか。誰にも気づかれずに水源から土地を殺せるか。――この村は、実験台にされています」
自分で口にして、指先が冷えた。ケルン村で試されたものは、いずれもっと大きな水源で使われる。そのための、試し撃ち。
閣下は長く黙り、それから静かに言った。
「治せるか」
「治します。ただ、この毒は複合毒です。既存の解毒剤は効きません。私が、一から作ります」
「必要なものを全部言え。人も、物も、金も、あるだけ出す」
その声に迷いは欠片もなかった。私は頷き、頭の中で薬草の一覧をめくり始めた。
同じ頃、王都の宰相府。
執務室の暖炉の前で、ギデオン・クロス宰相は報告書をめくっていた。老いてなお背筋の伸びた長身に、慈父のような柔和な笑み。書類を持つ指だけが、爬虫類のように乾いていた。
「辺境の件、進んでいるか」
「は。予定通りの濃度で経過を観察中です。……ですが、一つご報告が。ヴァルデンの城で、手の者が一人検挙されました。それと、妙な薬師が一人、城に入り込んでおります。毒の扱いに、異様に聡い女だとか」
「ほう」
ギデオンは書類から顔を上げなかった。暖炉の火が、その柔和な横顔に深い影を刻んだ。
「調べておけ。毒に聡い人間は、使えるか、邪魔か――二つに一つだ」




