第14話
ロヴェルは王都の司直へ引き渡され、城には束の間の平穏が戻った。
もっとも、私の仕事は減るどころか増えていた。十年前の検死録の精査、押収した毒の解析、納品経路の総点検、そして日々の毒見。夜は記録庫に籠り、朝は夜明け前から水を視る。自分でも根を詰めている自覚はあった。あの男の毒の「筆跡」を追えば、閣下のご家族を奪った黒幕に届くかもしれない。そう思うと、手が止まらなかった。
だから、倒れたのは完全に自業自得だった。
前の晩、ベルタさんに「顔色が紙のようですよ」と釘を刺されていた。大丈夫です、と笑って流した。トマにまで「ミレイユ、目の下すごいよ」と言われていた。子供に心配される薬師など世話がない。分かっていたのに、あと一枚、あと一冊と記録をめくる手を止められなかった。
朝の検分の途中、視界がぐらりと傾いだ。石畳が迫ってくるのをやけにゆっくり眺めて、ああ、これは働きすぎのただの熱だ、毒じゃない、と診断したところで意識が切れた。
目が覚めると、自分の部屋の寝台だった。窓の外は夕暮れ。額に濡れた布。そして枕元に、なぜか領主が座っていた。
「……か、閣下!?」
「起きるな」
跳ね起きようとした額を、大きな手のひらが布ごと押し戻した。有無を言わさぬ力だった。
「医者は過労と言った。三日は寝ろとも」
「三日も!? 毒見が」
「代わりの検毒手順は、お前が最初に書面で残しただろう。あの通りにやらせている。……自分の仕事の穴を埋める書類だけは完璧なくせに、自分の体の管理はできんのか」
ぐうの音も出なかった。しおしおと枕に沈む私に、閣下はしばらく何か言いたげにしていたが、結局立ち上がり、部屋を出て行った。叱られた。当然だ。雇い主の手を煩わせて、毒見役失格――。
と、落ち込む間もなく、四半刻後に扉が再び開いた。
盆を持った閣下が、立っていた。盆の上には、湯気の立つ粥。
「……あの、それは」
「粥だ」
「見れば分かります。どなたが」
「俺が作った」
絶句した。辺境伯が。この北の国境を束ねる戦鬼が。厨房で。粥を。
「厨房の連中は総出で晩の仕込み中だ。手が空いていたのが俺だけだった」
嘘だ。給仕でも小姓でも呼べる立場の人が。けれど閣下は大真面目な顔で寝台の脇に盆を置き、そして――私が匙に手を伸ばすより早く、自分が匙を取った。
一口、粥をすくい、口に運ぶ。
「……閣下!?」
「毒はない。俺が確認した」
この人は、今、何をしたのか。十年間、誰の作った食事も信じられず、毎晩を賭けのように生きてきた人が。毒見役の私に、毒見をして見せた。
「病人に毒の心配をさせるな。今夜くらい、何も視ずに食え」
ぶっきらぼうに突き出された匙を、私は呆然と受け取った。粥はところどころ焦げていて、塩が効きすぎていて、米の芯が残っていて――つまり壊滅的に不味くて、それなのに、喉の奥が熱くて味がよく分からなかった。
「……っ、ふ」
こらえきれずに、笑いが漏れた。熱のせいにして、私は肩を震わせて笑った。だってあまりに不味くて、あまりに優しいのだ、この粥は。
閣下はむっとした顔で「不味いか」と言い、私は首を横に振りながらまだ笑っていて、それから、ふと視線が絡んだ。
灰色の瞳が、まじまじと私を見ていた。
「……あなたが笑うところを、初めて見た」
閣下はそう言って、それから自分の言葉に自分で驚いたように、ぐ、と口をつぐんだ。耳の縁が、燭台の火より赤い。
「……三日、寝ろ。命令だ」
早口にそれだけ言って、大股で部屋を出て行く。残された私は、焦げた粥を抱えたまま、熱のせいばかりではない顔の火照りを持て余していた。




