第11話
内通者。その一言は、城の空気を静かに変えた。
表向きは何も変わらない。けれど閣下の指示で、カイン副官が使用人の身辺を洗い始め、私は食に関わる動線をすべて紙に書き出した。搬入口、貯蔵庫、厨房、配膳廊下。毒が差し込める隙間は、思ったより多い。
「疑うって、嫌な仕事ですね」
動線図を届けた夜、執務室で思わずこぼすと、ジークハルト様は書類から目を上げずに言った。
「慣れている」
「……慣れて、いいことではないと思います」
言ってから、踏み込みすぎたかと口をつぐんだ。長い沈黙のあと、彼は羽根ペンを置いた。窓の外の礼拝堂を、灰色の瞳が遠く見ている。
「ベルタから聞いたか。十年前のことは」
「概略だけ。……お聞きして、いいのですか」
「毒見役だ。知っておく義務がある」
そう前置きして、彼は淡々と語った。淡々と、があまりに徹底していて、かえって痛々しいほどだった。
十年前の収穫祭の晩餐。父と母と、七つだった妹。自分は前日から熱を出し、部屋で寝ていた。異変を報せる悲鳴で階下に降りたとき、すべては終わっていた。十六だった自分は、その冬のうちに家督を継ぎ、春には国境の戦に出た。
「泣く暇はなかった。それだけの話だ」
「……お食事は。その日から、ずっと」
「義務だ。体が保てばいい。以来、味など覚えていない」
なんでもないことのように言うのが、この人の傷の形なのだと思った。毎晩、家族が死んだのと同じ形の食卓に着き、賭けのように匙を取る。十年間。誰にも弱音を吐かず。
私は何も言えなかった。安い慰めは、この人には毒にしかならない。
だから翌朝、私は言葉の代わりに厨房へ行った。
「料理長。先代の奥方様のお料理を覚えている方は、いらっしゃいますか」
「奥方様の? ……儂が若い頃、奥方様は時々厨房に立たれた。坊ちゃん方の好物は、大概あの方の手のものだったが」
「一品だけ、教えてください。作り方を、できる限り正確に」
料理長は私の顔をじっと見て、何かを察したらしかった。黙って頷き、古い覚え書きの束を棚の奥から引っ張り出してくれた。
その夜の食卓に、献立にない小皿が一つ増えた。根菜と干し肉を、香草と一緒にことこと煮ただけの、素朴な煮込み。ジークハルト様は眉をひそめた。
「これは」
「毒がないことは、私が保証します。それ以外の説明は、しません」
「……毒見役の職域を越えているな」
「越えました。処分はあとで受けます。ですから――冷めないうちに、味わって召し上がってください」
義務ではなく、味わって。
彼は不審げに匙を取り、一口すくって、口に運んだ。
その手が、止まった。
二口目は、ずっとゆっくりだった。三口目のあと、彼は長いこと皿を見下ろしていた。広間の燭台が揺れて、その横顔に影を落とした。
「……これは」
掠れた声だった。
「母の、味付けだ」
「はい」
「なぜ」
「厨房は覚えていました。十年間、ずっと。……皆、閣下に義務ではないお食事を差し上げたかったのだと思います。きっかけが、なかっただけで」
ジークハルト様は何も言わなかった。ただ、その夜の皿は、一片も残らなかった。
私はその様子を、いつもの毒見の位置から見守っていた。胸の奥が、じんわりと熱い。人の食卓に幸福が戻る瞬間を見るのは、毒を消すのとはまた違う手応えだった。ああ、私はこういう仕事がしたかったのかもしれない、と場違いなことを思った。
食器を下げるとき、彼が小さく「明日もでいい」と言ったのを、私は聞かなかったふりで「承知しました」と答えた。




