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地獄からバイバイ  作者: 梅したら
三章 地獄からバイバイ

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4 元の世界へ

「サンちゃん、いそがないと」


 イコは、答えない。振り返りもせずに、そう言った。


「……こっち向け」


「いこう、サンちゃん」


 話が噛み合わない。


 先の方には、変わらず白い光が見える。

 イコがあそこへ行けと言うなら、疑わない。


 でも――これは本当にイコなんだろうか。


「……行かないって、言ったら?」


 尋ねると、イコがゆっくりとこちらを向く。カランと、鉄パイプを引きずりながら。


「…………ッ!」


 振り向いたイコの顔には、何もなかった。


 まっくらで、ぽっかりと穴があいていた。


「こっちだよ、はやく

はやく、さんちゃん

こっちだよ、こっちだよ、こっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよこっちだよ」


(イコじゃない……!!)


 俺は踵を返した。来た獣道を辿り、全力で走る。


「さんちゃんさんちゃ、さんんんんんんんんんんちゃあああああああああああああああああああああこっちだ よこっちこここここっチ コッチコッチコッチコッチコココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココココ」


 恐ろしい声が追いかけてくる。

 俺は振り向かずに走った。道が合っているかはわからない。木が鬱蒼としていて、先はほとんど見えない暗がりだ。

 それでも足を止めたら、少しでも遅らせたら、後ろのものに捕まると思った。


 捕まったら、二度とイコに会えない。

 イコを地獄でまた一人にしてしまう。


 それは嫌だった。そんなのは絶対に、嫌だった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ!!」


 必死で逃げる。がむしゃらに走る。


 すると鬱蒼とした木々を抜けて少し開けた空間に出た。

 下に、赤い池が見える。


(血の池……よかった、ここまで戻ってこれた……!)


 帰り道を探して周囲を見回す。

 その時だった。


「サンちゃん!!」


 声が聞こえた。

 背後から迫ってくるモノのようなおぞましさがない、ハッキリとしたイコの声。


「イコ!?」


「サンちゃん……捕まって……!!」


 声は、血の池の方から聞こえた。

 見れば水面から生えた無数の手の中に、鉄パイプを握った手がある。

 必死に、こちらへ鉄パイプの先端を伸ばしていた。


 鉄パイプも手も、血の池の水で真っ赤で、血まみれに見える。


 でも、怖くない。

 ――俺は何度も、この手に助けられてきたから。


「イコ――――!!」


 俺は躊躇なく池へ飛び込み――鉄パイプを握った。


 ぐっと体が引き寄せられて、赤い水面へと引きずり込まれる。


 そして――


「サンちゃん!!」


 体が宙に浮いたような感覚があったと思うと、次の瞬間にはイコにぶつかっていた。

 イコは腕を広げて受け止めようとしてくれたけれど、俺の勢いがつきすぎていて、イコと共にゴロゴロと地面を転がる。


 やがて止まった時、俺はすぐさま体を起こしてイコをペタペタと触った。


 目、黒。鼻、ある。口、あんぐり開いてる。

 顔が、ある!


「ほ、本物か……?」


 それでも、また騙されてないかと、疑う。


「え!?」


 イコは目をまんまるに開けた。


「ぼく、ほんものじゃないの……?」


 あわあわとイコは慌てふためく。

 その姿に、俺はつい吹き出してしまった。


「その反応は、間違いなく本物だ……!」


 俺はイコを抱きしめた。人にしてはあったかい、犬の頃を思い出す体温が伝わってくる。

 トク、トクという心音も、これだけ近づけば感じ取れた。


「ありがとう、助けてくれて。俺、いつもイコに助けられてるな」


「ふふふ」


 イコは嬉しそうに笑う。


「あたりまえだよ、お兄ちゃんだからね」





「儀式は終わった……と、思う。多分」


 俺はジャージのポケットにしまっておいた人形を取り出す。

 手と足と頭を捧げた人形。

 手を合わせて、人形塚へと戻した。


 日は暮れたけれど、これで3つの試練を突破して、3つの代償を捧げたはずだ。


 あとは元の世界への扉が開いて、帰れるはず。


「ちょっと、まってて」


 イコはおもむろに、何かをし始めた。

 俺がいない間に集めておいたらしい木の枝を、せっせと並べ始める。


「何してるの?」


「んと、ちょっとまってて」


 イコは木の枝を立てようとする。しかし、支えがない枝は、手が離れるたびにぱたんと倒れた。


 作業らしき行動は、全然進まない。

 しかもイコが使えるのは右手だけだ。――左手は、動かないから。


「なあイコ、その手とか足とか、目とかってさ……」


 俺はおそるおそる、問いかけようとする。


「んーーーーー」


 しかしイコは遮るように声を上げて、鉄パイプを支えに立ち上がった。


「サンちゃん、ここでまってて。ここよりこっちに、来ちゃだめだからね」


 ここ、とイコが指さしたのは、立てようとして諦められた木の枝だった。地面にボーダーを描くように、等間隔に並んでいる。


「え……」


「まっててね、すぐもどるからね」


 イコは俺に背を向け、足早に木々の向こうへ歩いていく。


「あ、これもしかして……犬用の柵を作ろうとしたのか?」


 イコが知っていそうなもので、「来たら駄目」というと、連想するのは柵だ。

 ペットの動画で見かけたことがある。犬や猫が台所に入ったり、玄関から出ていかないように、封鎖するためのものだった。


「……イコ!」


 嫌な予感がする。イコは俺を遠ざけて、何をしようとしているんだろう。

 俺はすぐさま、倒れた柵のようなものを乗り越えて、イコの後を追いかけた。


「む……来ちゃだめってゆったのに……」


 すぐに追いついた俺に気づき、イコが困ったように眉を下げる。


「まあ、きになるもんね。しかたないね」


 イコも柵を超えたがる犬だったようで、怒らずに理解を示した。


「イコ、何をしようとしてたの?」


「んー……」


 イコは曖昧ににごす。

 その足元に、苔むした一抱えほどの岩と、朽ちた木材が転がっていた。


「そこ……もしかして祠……?」


 朽ちた木材の中には、赤い色が残ったものもあった。

 今まで見てきた鳥居や祠を思い出させる。


「……うん。ここが、とびらになるんだよ」


 イコはごまかすことを諦めたように、うなずいた。


「扉……ない、よな」


「うん。3つめが(・・・・)まだ(・・)ささげられて(・・・・・・)いないから(・・・・・)


 イコの言葉に、頭を殴られたような衝撃を受ける。


「どういうこと……? 俺、何か失敗した?」


「ううん。サンちゃんは、がんばった」


 イコは俺を褒めるように、微笑んだ。


「3つめのしれん、まようことを、がんばってくれた。

あとは、ささげるだけ。

ひとのかたちのものの、いちぶ。

いきるためのもの」


「何言って……」


 俺はイコに近づく。

 止めなければいけない気がした。

 今すぐにでもイコを連れ戻さなければ。


 でも――俺の手がイコに届く前に、それは起きた。


「ぼくのしんぞうを、ささげます」


 イコの体が、割れる(・・・)

 まるで果実をさくように、体の中心からメリメリと、開いていく。


 中は、空っぽだった。

 空洞に、心臓だけが浮かんでいた。トクントクンと、脈打っていた。


「イコ、駄目だ、やめろ……!!」


 俺は叫んで、イコに駆け寄ろうとする。でも、体が弾かれて、背後に吹っ飛んだ。


「う……」


 転がった俺の視線の先で、脈動を続けるイコの心臓が――


 ――握りつぶされたように、消える。


「何してるんだよ! そんなことしたら、死んじゃうだろ……っ」


「うん。ぼくは、いま、しんだよ」


 叫ぶ俺と対象的に、イコは落ち着いていた。

 割れた体が、時間が戻るように元に戻っていくのも、冷静に受け止めていた。


「だからかえるのは、サンちゃんだけ」


「何言って……、うっ……!」


 突然、まばゆい光が目を焼いた。

 反射的に目をつぶり、腕で光を遮りながら、どうにか発生源を見る。


 イコの足元にあった苔むした岩から、光があふれだしていた。


 光はやがて四角い――扉の形になる。


 扉は音もなく、開いた。

 その向こうには、白い天井が見える。俺はなぜか本能的に、扉の向こうが元の世界だと理解できた。できてしまった。


 儀式は成功したんだ――イコの命と、引き換えに。


「なんで……なんでだよ、イコ! 一緒に帰ろうって、言ったのに!!」


「……まえのとき、ぼくは片目と、片耳と、お腹のなかみをささげた。

ぼくは、帰っても、生きられない。

だからここで、きみがまた、まよいこんだときに、たすけられるように、まってた」


 扉の光に照らされたイコが、笑う。

 この世界で初めて会った時と同じ、天使のような真っ白な笑み。


「たすけられてよかった」


 その満足げな声に、俺はようやく理解した。


 俺がこの山で行った儀式は、間違っていた。

 3つの試練に、3つの捧げ物。


 試練の内容は怖いこと、辛いこと、迷うこと。

 怖いことは、学校での日常の崩壊。

 辛いことは、優しい人に騙されたこと。

 迷うことは、偽物のイコを信じるかどうか。


 今にして思えば、イコは学校を出てからずっと――左手を使っていない。

 公民館から逃げ出してからは、右足を。

 そして今――心臓を、喪ったんだ。


 イコはずっと、俺を助けようとしてくれていた。

 最初から、ずっとだ。


「そんな……そんなことってさぁ……!!」


 感情がぐちゃぐちゃで言葉にならない俺に、イコはそっと手を伸ばす。


「サンちゃん、もうここに来ちゃだめだよ。

ぼくがささげられるもの、もうないから。かえしてあげられないから、ね」


 その声はどこまでも優しかった。

 イコの手が、俺の頭をゆっくりと撫でる。


「ながいきして、てんごくへいってね」


 俺は、イコと帰りたかった。

 イコを二度と一人にはしたくなかった。


 でも俺が元の世界に帰らなければ、イコは悲しむだろう。

 命も、無駄になる。


「一緒に、かえりたかった……っ」


 イコを困らせるとわかっていても、俺は泣きながら、そう叫んでいた。


「……うん、ごめんね」


 イコはへにゃりと眉を下げて、それから思い出したようにジャージのポケットを探った。


「サンちゃん、これ……」


 手を取られ、握り込まれたのは、木の実だった。

 11年前に消化器官を捧げたイコは、何も食べらないんだろう。食べたフリで、しまっていたんだ。


「おなかがすいたら、いけないから」


「ばか……!」


 自分が死んだっていうのに、なんでずっと俺のことばっかり考えているんだ!

 理不尽な怒りが湧き上がる。でも、木の実を落とさないよう、しっかりと手の中に握り込んだ。

 イコが、最後にくれたものだから。


「……ありがとう、イコ……ッ」


 泣きじゃくる俺を、イコは不自由な片手で抱きしめた。

 頭を何度も何度も、撫でてくる。


「バイバイ、サンちゃん」


 その声はどこまでも優しかったけれど、抗えない別れがあった。





「――――ッ!」


 俺は目を覚ます。


「っ、先生! 患者さんが!」


 すぐに気づかれて、にわかに周囲が慌ただしくなった。

 体は動かない。口に何かマスクのようなものが被せられていた。

 見上げる天井は、扉の向こうに見えたもの。


 多分ここは、病院だ。意識が浮上するにつれて、全身がズキズキと痛みだす。


 目から、とめどなく涙が溢れていた。

 痛みのせいじゃないことは、自分が一番よくわかっている。


(イコ……)


 地獄に置いてきてしまった男のことを思い出して、目を伏せる。

 その時、手の中に何かの感触を覚えた。


「あ……」


「え? そんなもの、いつの間に……」


 俺の様子を見た看護師らしき人が、動けない俺に変わって手を開く。


 看護師が取り出したのは、見覚えがある木の実だった。

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