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地獄からバイバイ  作者: 梅したら
三章 地獄からバイバイ

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3 地獄めぐり

「やっぱり、この吊橋は怖いな……」


 子どもの頃泣きながら渡った地獄谷の吊橋を、おそるおそる進む。

 少し揺れるけれど、危なげなく渡りきれた。


「捧げ物は……ここかな」


 橋を渡りきったところに、よく見たら小さな鳥居と祠があった。

 祠の前には、何かを乗せられそうな石の台座がある。


「捧げ物は、働くために必要なもの、人といるために必要なもの、生きるために必要なもの……」


 俺は持ってきた人形を見る。


 働くためだと……足かな。特に昔の人ならば、座ってできる仕事は少なかっただろうし。


 人といるためは、手だろうか。コミュニケーションの手段。口とか、耳とかかもしれないけれど、人形からそこだけ取ることはできなさそうだ。


 生きるため……だと、胴体か、頭かな。


(イコ……)


 なぜか、イコを思い出した。

 胸がざわめく。


 手、足……目。

 今のイコが失っているものと、同じじゃないだろうか。


(でも看板には、試練を突破してから捧げ物をしたってあったし……)


 順番がおかしい。

 考えすぎだと思いたい。なのに、脳裏に嫌な想像がこびりつく。

 すぐにでも取って返して、イコに尋ねたかった。でも真上にあった太陽が傾き始めている。これから山の中を巡る時間を考えると、戻っている余裕はない。


(……急いで儀式を済ませて、戻ろう)


 俺は人形の片足をもいで、祠前の台座に捧げた。





 針の山は、拍子抜けするほど簡単だった。

 大怪我すると脅された尖った岩はほんの少しだけで、ほとんどは歩きやすいなめらかな岩だったからだ。


 転ばないようにだけ気をつけつつ歩いて、奥にあった祠へ、人形の片手を捧げた。





 最後は血の池地獄だ。

 山を一周するような移動距離のせいで、たどり着く頃には木々の隙間から見える空は赤く染まり始めていた。

 俺は急いで、獣道へと足を踏み入れる。


「暗いな……」


 もともと薄暗い山だったけれど、獣道は一層暗く感じられた。

 本能的な暗闇への恐怖が呼び起こされる。


 ――池を探していると、迷って落ちる。


 どこかで聞いた噂話が、頭の中で反響した。


(落ちないように、慎重にいかないと……)


 血の池と呼ばれる池は、水が地面の色に近いらしい。足元をしっかり見ながら進む。


 油断はしていないつもりだった。

 でも――俺は、山には全然、慣れていなかった。


「うわ……っ!」


 湿った落ち葉を踏んだ瞬間、ずるりと足が滑り、体が宙に浮く。


 咄嗟に、近くの木に巻き付いているツルを掴んだ。

 太いツルは切れることなく、俺の体を支えてくれた。


「危なかった……」


 振り向くと、パッと見ではわからないほど周囲と同化していたけれど、よくよく見ると葉っぱが浮いた池があった。くぼんでいて、俺はその縁から落ちかけたらしい。


 今はツルに捕まって、くぼみの縁にしがみついているような体勢だ。


 足で踏ん張ろうとするも、柔らかい土なのかボロボロと崩れて、上手く這い上がれない。

 仕方なく、ツルを両手で持って、登ろうとした。


 しかし――


「わっ!? な、なに!?」


 足に何かが触れる。

 いや、触れるどころか――足首を引っ張って、池へ引きずり込もうとしていた。


「ヒィッ……!!」


 反射的に振り向いたけれど、振り向かなければよかった。

 俺の足に、白い手が絡みついていた。一本どころでなく、何本も。

 手は、池から伸びていた。周囲の景色と同じ色だったはずの池が、血のように真っ赤に染まり、無数の白い腕を生やしていた。


「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……っ!!」


 必死でツルにしがみつく。

 けれど足を引っ張られる力の方が強くて、ツルが少しずつ、木の幹から剥がれていく。


「やばい、やばいって!!」


 俺は叫びながら、もがき、腕を蹴りつけた。

 しかし両足を絡め取られているせいで、うごめくだけになる。


「嫌だ……俺は、帰るんだ、イコと一緒に……!!」


 全力でツルをたぐりよせ、体を引き上げる。

 不安定なツルではなく、幹に捕まることさえできれば。

 その一心で、もがいてあがいて、手を伸ばした。


 ――でも


「あっ……」


 木の幹に捕まる直前、ブツ、と音がして。


「あ……あ、あ、あああああああああああああ!!!!!!!」


 支えるものがなくなった俺は、無慈悲に池へと引きずり込まれる。


 ――はずだった。


「サンちゃん!!」


 俺が落ちる寸前、伸ばした手が掴まれる。


 息を切らせてそこにいたのは、見慣れた茶髪と眼帯の男。


「イコ!!」


「つかまってて、サンちゃん……!!」


 イコは左足を木に巻き付け、右手で俺の手を力強く掴んでいた。

 腕やこめかみに血管を浮かび上がらせながら、ぐぐぐ……と俺を引き上げようとする。


 俺も必死にもがき、足を掴む手を振り払った!


 ふわりと体が軽くなる。

 振り向くと、手が俺を諦めたように、池の水面でうごめいていた。


 急いで上り、くぼみの縁から離れる。


「た、助かった……」


「よかったぁ……」


 俺とイコは揃って脱力した。

 全身が汗でびっしょりだ。心臓がバクバクしている。

 本当に、助かってよかった……。


「イコ、ありがとう……」


「みにきて、よかった。だいじょうぶ? サンちゃん」


「うん……」


 引っ張られた足も手も、ズキズキ痛む。

 でも助かった喜びに比べたら、どうってことなかった。


「サンちゃん、たてる? うえに、もどろう」


 イコが鉄パイプを支えに、立ち上がる。

 片足が動かないのに、杖一本でここまで来てくれたらしい。


「うん。あ、でも儀式を終わらせないと」


 見回すと、池のくぼみから少し離れた場所に、ほこらがあった。

 人形も、足をすべらせた場所に落ちていた。慎重に拾い上げて、少し悩んでから、頭を外して捧げた。


「これでいいかな?」


「いいとおもう。おつかれさま、サンちゃん」


 イコの頼もしい声に、ほっと胸を撫で下ろす。


「帰り道は……」


「それなら、こっち」


 イコが先に立ち、獣道を進み始めた。

 杖をつきながらヒョコヒョコと歩く姿に、先ほど抱いた不安がぶり返す。


「なあ、イコ」


 ――イコの手や足や目って……捧げ物とは、関係ないよな?


 俺は、そう聞くつもりだった。

 でもイコの足は杖なのに速くて、悠長に質問していられない。


「イコ、そんなに急がなくても」


 太陽が沈みかけているとはいえ、月が昇るのはまだ先だ。

 もう少しゆっくり歩いても、余裕はあるはずだった。


 しかし、イコは止まらない。

 それどころか、どんどん速くなっていく。


「イコ? イコ!」


 イコはこちらを振り返らずに、進んでいく。

 俺はいつの間にか小走りになっていた。それでも、イコとの距離は縮まらない。


 進む先の方に、光が見えた。

 白い光だ。なんだろう。薄暗い夕方だから、街灯か何かだろうか。


 そんなことを考えていると、すぐにイコとの距離が開きそうになる。


「イコ!」


 俺は焦って、ほとんど叫ぶように声を上げた。

 その時、俺の耳に、ある音が届いた。


 ――カラン。


「…………」


 カラカラ……カラン。


 それはイコの鉄パイプが、硬い土を擦る音だった。


 鉄パイプを引きずる音。

 ――イコが、俺に聞かせようとしない音。


 俺は足を止めた。

 少し先で、イコも足を止めた。


「お前は誰だ?」


 俺は、その背に問いかけた。

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