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地獄からバイバイ  作者: 梅したら
三章 地獄からバイバイ

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2 帰るための試練

 俺たちはしばらくくっついていたけれど、落ち着いてきて気恥ずかしさが勝ったころ、そっと離れた。

 イコは「これが……なみだ……」とか、感情を手に入れたロボットみたいなことを言いながら、頬を濡らした涙を拭う。


 濡れていたのは左側だけで、ガーゼ眼帯の下には、やはり目はないらしい。


「イコ……その目、なんでそんなことになったの?」


「え? ん……んー……まえに、いろいろあった」


「そうなんだ……」


 露骨に聞いてほしくなさそうだ。

 まあ、イコが言いたくなった時でいいか。


「でも、イコって名前だったっけ? 聞き覚えがないんだけど……」


 俺は意識して話をそらす。

 でも、名前のことが気になっていたのも本当だ。犬がいたことは思い出せたけれど、昔のことだから細部までは覚えていない。

 イコという名前にも、いまいちピンときていなかった。


「んと、ぼく、なまえいっぱいあったよ」


「そういえばそんなこと言ってたな」


 イコに名前を聞いたのが、ずいぶん前に思える。

 たしか、沢山の名前があって、よく呼ばれていたのが『イコ』だと言っていた。


「どんな名前があったの?」


「えっとね、カワイ」


「か、河合!?」


 なんだ河合って。苗字みたいだ。

 うちの親、そういうことするタイプには見えないんだけど。


「あとは、カシコイネとか、サンポとか、ゴハンとか……」


「……なるほど」


 続いた言葉に、俺は納得する。

 どうやらイコは、よくかけられていた言葉を、全部名前だと認識していたらしい。

 他のラインナップを考えると、「カワイ」はおそらく「河合」ではなく、「可愛い」だろう。


 となると、「イコ」は「いい子」かもしれない。もしくは「行こう」とか……その両方かもな。だから一番呼ばれた名だと思っているのかも。


 俺が納得している間も、イコは目をぐるぐるさせながら、記憶を掘り返している。


「あとはあとは、ナデナデとか、ムギとか、ムーチャンとか……」


「! それだ!!」


 ようやく、記憶を刺激する音が出てきた。

 ムギ。ムーちゃん。

 そうだ、俺の兄弟の犬は、そう呼ばれていた!

 毛の色が小麦色だったからだろう。今のイコの髪と同じ色だ。


「ムーちゃんって、呼んでた覚えがある!」


 幼い俺は、ムーちゃんムーちゃんと呼びながら、犬だったイコの後ろをついて回ったものだ。


「え……でも、イコともよばれたよ? あと、カワイも……」


「う、うん。それも言った。沢山言った。でもムギ以外は、名前じゃなくて褒め言葉だよ。ムギは沢山褒められていたんだよ」


 そう言うと、イコは目をまんまるにする。


「そうなの? えへへ~」


 辞書の『破顔』の項目に挿絵を乗せるなら、今のイコの顔がいいだろう。

 それくらい、トロトロに顔をほころばせていた。


「名前、これからはどう呼ぼう? ムギがいい? イコがいい?」


「えと、イコも、ほめることば?」


「うん。『いい子』だと思う」


 イコは地獄で何度か、俺に「いい子」と言ってくれた。でも今まで結びついてはいなかったらしい。犬の思い込みって可愛いな……。


「じゃあ、イコがいい。ぼく、いい子だから!」


 イコは嬉しそうに言った。

 今のイコに尻尾があれば、ブンブン振っていただろうな。


「イコ、絶対に一緒に帰ろう」


 俺は暮れかけの夕陽の中で、改めて決意する。

 もう、イコを孤独にはしない。


「うん!」


 そう答えるイコの顔は、陰になって、見えなかった。





 翌日、俺たちは太陽が昇り出すより前に起きて、登山口へと向かった。

 タイムリミットは、今日の夜。山は大きくはないけれど、片手片足が動かないイコはゆっくりとしか歩けないから、急ぎたい。


 ただ、イコ曰く死者はこの山に近づこうとしないらしい。

 鬱蒼と木々が生えた山で、茂みから死者が飛び出してくるのを警戒しないで済むのは、ありがたかった。


「お、案内看板がある」


 山はある程度整備されている。小学校6年生の頃、遠足で来た覚えがあった。


 見れば、山の絵の上に、4つの地名が書かれていた。


 頂上に『人形塚』。

 そこをアナログ時計の12時の位置とした時、3時に『地獄谷』、6時に『針の山』、9時に『血の池』と書かれている。


「あーそうそう、こんなんだったな。小さかった頃は、結構怖かったなあ」


 遠足で行ったのは、地獄谷にある展望台だ。開けた場所で、街を一望できる。

 ただそこに行くために、谷にかかった吊橋を渡る必要があって、生徒からは不評だった。

 俺たちが遠足に行った2年後から、この山への遠足は廃止されたと風の噂で聞いて、羨ましかったものだ。


 他の場所も、話は聞いたことがある。

 人形塚は、大きな石碑が建っていて、その下に人形が沢山収められているらしい。

 そのためか、人形を置いていく人が多くて、石碑の回りも人形だらけだとか。インパクトがあるから、テレビが取材に来たこともある。


 針の山はトゲトゲした岩が多くて、転ぶと大怪我するから近寄らないようにと言われている。

 遠足の途中、立入禁止と書かれた道があって、あっちが針の山なんだろうなと、クラスメイトとヒソヒソ話した。


 血の池は、赤い――赤すぎてほとんど土色の池だ。池を探していると迷って落ちると言われていて、そこも立ち入り禁止。獣道はあるらしい。


「イコが言ってたほこらって、人形塚のあたり?」


 今日の夜までに、頂上のほこらに行くようイコは言っていた。


「うん。にんぎょうが、たくさんあるところのちかくに、ほこらがあるよ」


「そっか。じゃあ、行こう」


「うん」





 山道は、思ったよりも整備されていた。

 少し険しい階段などもあったけれど手すりが完備されていて、イコは杖がわりの鉄パイプを俺に預け、一人で登ることができた。


「意外とあっけなくついたな……」


 頂上の人形塚についた時、太陽は頭の上にあった。昼を少し過ぎたくらいだろうか。


 頂上にはベンチが備え付けられていた。

 イコが座るのに手を貸していたら、俺のお腹がぐぅ~と鳴る。


「あー、さすがに腹減ってきついな」


「サンちゃん、これ!」


 座ったイコが、意気揚々と何かを差し出す。

 思わず受け取ると、それは親指くらいのサイズの、緑の実だった。

 手のひらいっぱいにある上に、イコはジャージのポケットからどんどん追加で出してくる。


「え……これ、木の実?」


「いっぱいとったよ! たべて!」


「す、すごいな……いつの間に……」


 道すがらとったんだろう。さすが、11年間も生き延びてきただけあって、頼もしい。


「ありがとう。半分もらうな」


「あ、うん」


 半分をイコに返して、ベンチで隣に座る。


「いただきます」


 かじると木の実はサクッとしていて、甘酸っぱかった。

 空腹の体に、染み入る。


「うまい……! イコ、うまいよこれ!」


「よかったぁ!」


 イコは嬉しそうにニコニコと笑う。

 俺は夢中で、木の実を食べきった。


「はー、うまかった……。ありがとう、イコ。あれ、イコももう食べたのか?」


「うん」


「そっか。じゃあ……って、この後どうしたらいいんだろう。夜まで待てばいい?」


 頂上に来たのはいいけれど、元の世界に帰れる扉のようなものは、見当たらない。


「えと、そこにかいてあるって」


「……看板?」


 イコが指さした先は、俺からは木に隠れて死角になっていたけれど、看板が立っていた。

 神社や観光地で、その場所の由来とかが書いてあるようなやつだ。


「まえは、まよいこんだひとに、やりかたをおしえてもらった。その人が、もしまた、まよいこんだら、これをよめって、いってたよ」


 イコがたどたどしく説明してくれる。

 話を聞くに、イコも俺も、地獄へ迷い込み慣れた人にずいぶん助けてもらったらしい。

 元の世界に戻ったら、お礼を言いたいな。


「ありがたいな。えっと……」


 看板を読むと、『蘇り伝説について』というタイトルで、神話が書かれていた。


 なんでも、地獄に迷い込んだ人が、『3つの試練』を突破し、『3つの捧げ物』をして、蘇ったらしい。


 この山の地名は、その神話になぞらえてつけられたそうだ。


「試練は3つ……怖いこと、辛いこと、迷うこと。地獄谷で怖いことを突破して、針の山で辛いことを突破して、血の池で迷うことを突破した……」


 そして神話の人は、試練のたびに、体の一部を捧げていったらしい。


「捧げ物は、働くために必要なもの、人といるために必要なもの、生きるために必要なもの……?」


 いまいちわからなかった。


 看板を更に読む。


『蘇っても、一部を失っては、生きられませんでした。今後同じ試練を受ける人の肩代わりをするために、人形が備えられるようになったのです』


 文章は、そこで終わった。


「じゃあ人形を借りて、地獄谷とかでその一部を捧げてくればいいのかな……あ、そうだ」


 難しさに頭を抱えてしまったけれど、すぐそこに経験者がいることを思い出す。


「イコも、昔もこれをやったの?」


 俺は人形を一体手に取り、尋ねる。

 人形はポーズからして雛人形の、弓を持っている人のようだった。


「うん。3つのしれんと、3つのささげもの、したよ」


「そっか。じゃあ、やろう」


「ぼくは、ここにいる。あるけないから」


「え。でも……一緒にやらないとダメなんじゃないの?」


「だいじょうぶ」


 イコは自信満々に、うなずいた。

 でもそうか、これが元の世界への扉を開く儀式なら、扉さえ開けば二人でくぐればいいのか。


「じゃあ、ここにいてな」


「うん」


「がんばってね、サンちゃん。まってるね」


 イコの応援を背に受けながら、俺は地獄谷の方へと歩き出した。

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