☆89かいめ☆ 『友達』
ラビリスの悪気のない一言で、水を打ったように静まり返ったイートインスペース。
絶句していたヒナはハッと我に返ると、その重たい空気を払拭しようと慌てて声のトーンを上げる。
「な、なぁに言ってんの、もう!急にそんなこと言われたらみんなビックリしちゃうじゃん!」
「む?余は何かおかしなことでも言ったのか……?」
この場に渦巻く異様な空気がまったく理解できず、ラビリスは心底不思議そうに首を傾げる。
すると、ショックで固まっていためるの瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「わ、私、たち……お友達じゃ、なかったの……?」
「どうしたメル?何故そのように悲しそうな顔をする。余はただ――」
ラビリスが言い終えるより早く、めるは耐えきれずに背を向け、コンビニの外へと駆け出していった。
「お、おい、メル!まだ会議中であろう!どこへ行くと言うのじゃ!?」
「……新田さん。わたくし、とても悲しいですわ」
残された六華が、静かに、けれど震える声で告げる。
「これからもっと……いえ、わたくしたちはもうお友達になれたのだと思っていましたのに。あなたにとって、わたくしたちは『ただのクラスメイト』でしたのね」
「リッカ……?」
「……失礼いたしますわ」
悲痛な思いをその一言に込め、六華もまた、めるの後を追って足早に店外へと去っていった。
「お、おい!二人ともどうしたと言うのじゃ!?……一体、何がどうなっておる!」
突然駆け出していった二人の背中を見送り、ラビリスは何が何だかわからずに激しく困惑する。
そこへ、二人と入れ替わるようにして蓮が店内へと入ってきた。
「おや、皆さんお揃いで。今すれ違った天使たち……コホン、お二人はラビリスちゃんのクラスメイトでは?」
飄々とした様子で歩み寄る蓮だったが、皆へ視線を向けた直後、ぴたりと動きを止めた。
沈まり返った空気。バツが悪そうに俯くヒナと、呆然とするラビリス。
その様子からすぐに事態を察した蓮は、スッと眼鏡を押し上げ、静かな声で尋ねた。
「……何か、あったのですね?」
「え、あぁ、うん。ちょっと、色々あって……」
普段の明るさが嘘のように、ヒナが力なく答える。
その様子を見た蓮は、それ以上の詳しい事情を問いただすことはしなかった。
「わかりました。……店長。急な用事ができましたので、申し訳ありませんが本日のシフト、少し遅刻します」
「……!お、おう!すまん、頼んだ!」
大地の言葉に短く頷くと、蓮は即座に踵を返し、二人の後を追うようにして店の外へと駆け出していった。
しばらく呆然と店の外を見つめていたラビリスに、ヒナが静かに尋ねた。
「ラビちゃん、あのさ……。六華ちゃんとめるちゃんは、ラビちゃんのお友達じゃないの?」
その言葉に、ラビリスは困惑した表情のままゆっくりと振り返る。
「友達も何も……そのような契約を結んでなどおらぬ。……その、今後結ぶ予定はあるやもしれぬが……」
「契約って……」
悪気があるわけではない。ただ、彼女は本当に『友達』という概念を理解していないのだ。
言葉としての意味を知っていても、短いながらもこれまでの時間で紡がれてきたあの温かな関係性が、彼女の心には全く結びついていない。
それは、魔王の娘として育てられてきた彼女にとって、「配下」や「家来」はいても、対等な「友達」という存在と出会うことがなかったという、あまりにも切なく残酷な事実だった。
ヒナはラビリスの目線に合わせるようにしゃがみ込むと、その真紅の瞳を真っ直ぐに見据えて彼女の小さな両肩をギュッと掴んだ。
「ラビちゃん、友達ってのはそういうのじゃないんだよ!?友達っていうのは――」
「――ヒナ、待ってくれ」
必死に諭そうとするヒナの言葉を、大地が静かに遮った。
「……俺が、俺が悪いんだ。こいつに一番大事なことを教えてやってなかった」
「店長……」
深く後悔が滲む大地の声に、ヒナはハッとして言葉を飲み込む。
大地はレジカウンターから出てくると、ヒナに向かって申し訳なさそうに頭を下げた。
「悪いけど、少しだけこいつと話をしてくる。その間、店を見ててくれないか?レジが混んでヤバくなったら、すぐに呼んでくれていい」
「うん。……わかった」
普段の姿からは想像もつかない、大地の切実で真剣な表情。
それを見たヒナは、すべてを察したように頷いた。
(仕事中に私用で抜けるなんて、店長失格だよなぁ……)
歩き出しながら、大地は内心で自嘲気味に呟く。
(でも、これだけは――これだけは、俺がラビリスにキッチリ話をしてやらないと……!)
バックヤードへ入ると、大地はラビリスをパイプ椅子に座らせ、向かい合わせになるように自分も深く腰掛けた。
「……一体なんなのじゃ?余は何かおかしなことでも言うておるのか?」
膝の上で小さな両手をギュッと握りしめ、ラビリスが不安げに見上げてくる。
「いや、そんなこともないさ。実際、そうやって『今日から友達な!』って宣言してから友達になるやつもいるからな」
「ならば、皆は何故あのような……その、あのような悲しそうな顔をするのじゃ……」
いつもなら不遜な態度を崩さない魔王の娘が、今はただの迷子のように声を落とした。
先ほどのめるの涙と、六華の傷ついた表情。
理由がわからないなりにも、彼女は『自分が二人を悲しませてしまった』という事実にショックを受けているようだった。
「う~ん。それにはもちろん理由はあるんだが、ひとまずそれは置いとこう」
大地はラビリスの目を真っ直ぐに見つめ返す。
「今大事なのは、お前自身が『友達』についてどう考えてるかってことだ。前に学校に行きたいって言ってたとき、お前自分で言ってたろ?『一緒に笑い合える友達が欲しい』って」
「それはそうじゃが……。大体、『友』とはなんじゃ?何をもってそうなるのかがわからぬ」
眉を寄せ、ラビリスは本気で悩むように首を振った。
「前の世界では、他者と何かしらの関係を結ぶときは、必ず明確な『契り』を結んでおったものじゃが……」
「なるほどね。……でもな、ラビリス。多分だけど、お前の元いた世界でも、友達になるために契約は必要なかったはずだと俺は思うぞ?」
「は?そのような話は聞いたことがないぞ。ますますわからぬ……」
(……ふぅ、こりゃなかなか手ごわそうだ)
大地は内心でそう呟き、軽く苦笑した。
(友達か……。アニメや漫画なんかじゃよく見るテーマだけど、まさか自分に直接降りかかってくるとはなぁ)
「……友達ってのは、なんつーのかな。誰もが知ってる当たり前の言葉なんだけど、正解は人それぞれ違うっつーか、そもそも明確な答えがないんだよ」
「答えがない?」
「あぁ。俺自身、『こいつは友達だ』って呼べる人間の数は少ないから偉そうなことは言えないんだが……なんつーか、俺にとっての『友達の条件』みたいなものが、必ずしもお前にも当てはまるとは限らないんだ」
「???」
ラビリスは目をぱちくりとさせて、頭の上に疑問符を浮かべている。
「人によっては『気兼ねなく話せる相手』だったり、『一緒にいるだけで楽しいやつ』だったり色々ある。……けど、う〜ん。いざ言葉で説明するとなるとマジで難しいな……」
「ふむ……」
(いや、そもそもこんな理屈っぽいんじゃダメだ……!)
大地はガシガシと頭を掻きながら、思考を巡らせる。
(俺の言葉で『友達とは何か』を説明することはできるかもしれない。でも、ラビリス自身が本当の意味で理解するためには、きっとこういう『言葉の定義』を教えることじゃないはずだ――)
数十秒ほどの沈黙のあと。
思考をまとめた大地が、ふと静かな声で尋ねた。
「……お前、あの子たち――露原さんや天羽さんと一緒にいて楽しいか?」
「なんじゃ?突然……。ふ、ふん、もちろん悪い気はせぬぞ」
ラビリスは腕を組み、照れ隠しのようにふんぞり返ってみせる。
「……俺は真剣に聞いてんだが?」
じろりと大地が低く真面目なトーンで念を押す。
そのただならぬ空気に、ラビリスは気圧されたように小さく肩をビクつかせた。
「……た、楽しい」
「よろしい」
素直にこぼれた本音を聞いて、大地は満足げに頷く。
しかし次の瞬間、彼は再び真剣な表情に戻り、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「そうだな……。じゃあ、例えばだ。もし、あの二人が『明日から急にお前の前に姿を見せなくなったら』どう思う?」
「なっ……!?そ、そのようなことはありえぬ!」
「だから例えばの話だって。……明日も、明後日も、これからずっと会えないかもしれない。お前と一緒に笑ってくれることはもう二度とない。……そうなったら、お前はどう思うんだ?」
「そ、それは……」
彼の言葉が突きつけた『喪失』を想像してしまったのか、ラビリスは小さく肩を震わせた。
「そ、そのようなことは我慢ならぬ!嫌に決まっておろう!!」
「そうか。……でも、なんで嫌なんだ?」
「……は?」
大地はあえて、少しだけ突き放すように意地悪な問いを重ねる。
「俺やヒナだってお前と一緒に遊んだり笑ったりできるんだぞ?別にあの二人じゃなくたっていいじゃないか」
その言葉に、ラビリスは弾かれたように勢いよく立ち上がった。
「なっ……!?そ、それとこれとは話が別じゃ!……確かにそなたらも……まぁ、悪くはない。じゃが、あやつらとは違うのじゃ!」
パイプ椅子が音を立てて倒れるのも構わず、必死に言葉を紡ぐ。
「あやつらがいない未来など考えられぬ!あやつらと……あやつらとだけは、ずっと一緒にいたいのじゃ……っ!メルとリッカの代わりなど、どこにもおらぬのじゃ!!」
それは魔族としての理屈でも、契約でもない。
彼女の心が初めて見つけ出した、純粋な感情の叫びだった。
その不器用で切実な訴えを受け止め、大地は静かに、そして優しく微笑んだ。
「そう。それだよ、ラビリス」
「え……?」
「それが、『友達』なんだ」




