☆88かいめ☆ 窓際の作戦会議。弾む声と、落ちる影
5月に入ってすぐ。
枢星学園小等部、2年A組の教室。
「みんなぁ~。明日からゴールデンウィークでお休みが続くけど、終わったらすぐに『全国模試』が始まりますからねぇ」
鬼頭先生ののんびりとした声が教室に響き渡った。
ノートに力強くペンを走らせるやる気満々の生徒がいれば、絶望して机に突っ伏し頭を抱える生徒もいるなど、子供たちの反応は様々だ。
新学期の疲れを癒やす、待ちに待った大型連休。
しかし、エリートが集うこの進学校の子供たちにとって、手放しで遊べるほど甘い休みではないのである。
そんな中、教室内で唯一、我関せずといった様子の少女が一人。
「ふむ、模試か……。そういえば以前、あの『じじちょー』と、何か約束を交わしておった気がするな」
小さな手で顎を撫でながら、ぼんやりと思い出すように呟くラビリス。
学園に通うための『特待生』の条件として、「全国模試で常にトップ10に入ること」を提示され、あろうことか「すべて1位を取ってやるわ!」などと特大の大見得を切った事実を――この魔王の娘は、とうの昔に忘却の彼方へと葬り去っていた。
すると、前の席に座っていた六華が、綺麗な髪を揺らして優雅に後ろを振り返った。
「新田さん。いよいよ、今年度1回目の模試ですわね。今年は張り合いのある相手ができて、わたくしとても嬉しいですわ!」
「ほぅ、この余に挑むと申すか……。くくく……よかろう、その勝負受けて立とうではないか!」
模試での約束を完全に忘却していることなど微塵も感じさせない、堂々とした態度で不敵な笑みを返す魔王の娘。
バチバチと激しい火花を散らしているように見えなくもないが、当の本人たちはどこか楽しそうに笑い合っている。
そこへ、隣の席に座るめるがおずおずと控えめに声をかけた。
「……あ、あの。よかったらなんだけど、お休みのどこかで、三人で一緒にお勉強しない……?」
「あら、よろしくてよ」
「うむ、余も構わぬぞ」
二人の力強い即答に、めるはホッと胸を撫で下ろし表情を明るくした。
「ホント?それじゃあ、いつやる?」
早速予定を決めようと身を乗り出すめる。
しかし、ラビリスはスッと手のひらを向けて彼女の言葉を制止した。
「待て、メルよ。ここは他者の目が多く、重要な作戦会議を開くには向かぬ。やはり、今後の話し合いは『あそこ』で開くのがよいじゃろう」
「「???」」
突然もったいぶった言い回しを始めたラビリスに対し、めると六華は揃って頭の上にハテナを浮かべるのだった。
――そして数十分後。
「で……わざわざわたくしに迎えの車を断らせてまで案内した場所が、ここですの……?」
「無論じゃ。見よ、ここにはあらゆる物資が揃っておる。我らが作戦会議を開くには申し分ない城であろう!」
「わ、私たち、お店の邪魔にならないかなぁ……?」
綺麗に整頓された陳列棚を前に、困惑して立ち尽くすお嬢様。
我が物顔でフンスと偉そうに腕を組む魔王の娘。
周囲の客の目を気にして、おどおどと身を縮める小動物。
ランドセルを背負ったちぐはぐな三人組が足を踏み入れたのは――。
「お前、最近よく来るな……。言っとくが、ここは遊び場じゃねぇぞ」
レジカウンターの中から、大地が呆れ果てたようなジト目でラビリスを見下ろしていた。
そう、三人が『作戦会議の場』として訪れたのは、言わずもがな、大地の勤めるコンビニエンスストアであった。
「ふん、失敬な。我々は決して遊びに来たのではない。これからここで『重要な作戦会議』を開くのじゃ」
「作戦会議ぃ?」
胡散臭い言葉に大地が呆れ顔を隠そうともしなかった、その時。
ラビリスの後ろからひょっこりと顔を出した二人の少女が、ペコリと深く頭を下げた。
「突然押しかけてしまい、申し訳ありません。新田さんがどうしてもこの場所がよいと仰るので……」
「新田さんのパパ、お仕事中にお邪魔してごめんなさい……」
(……くっ!この子たちはなんて真っ当でいい子たちなんだ……!)
気品あふれるお嬢様からの丁寧な謝罪と、純粋無垢な少女からの気遣い。
毎日毎日、理不尽な魔王の娘に振り回されている大地の心に、彼女たちの相変わらずの『普通の子供の反応』が優しく沁み渡っていく。
「あ、いやいや!全然いいんだ!コンビニは誰でも入れる便利なお店だしね、うん!まぁ、その……他のお客さんの迷惑にならないように、そこのイートインスペースを使ってくれ」
そう言って、大地は先ほどまでのジト目が嘘のような、優しい笑顔を浮かべて窓際の席を指差した。
どうやらこの店長は、自分の娘(仮)とは全く毛色の違う、素直な反応には滅法弱いようである。
コンビニの窓際に設けられたイートインスペース。
そこで小さな三人娘がノートを広げ、何やら真剣に『作戦会議』を開いている微笑ましい光景を大地がレジカウンターから横目で見守っていると、品出しを終えたヒナがひょっこりと顔を出した。
「店長、ウォークイン終わったよー。……って、もしかしてあそこにいるのラビちゃん!?くぅ~っ!制服も完璧に着こなしてんじゃん、マジ天使かよ!」
「あぁ、お疲れ。なんか重要な作戦会議なんだってよ」
「作戦会議?え……?ってことは、あの隣にいる二人って……もしかしてラビちゃんの友達!?」
その事実に気づいた瞬間、ヒナの声のトーンが微かに跳ねた。
「……ラビちゃん、学校でちゃんと友達できたんだ……っ!」
口元を手で覆い、目を細めてラビリスの小さな背中を見つめるヒナ。
かつて、強がっている魔王の娘の奥底にある『寂しさ』をいち早く察知し、学校という居場所を勧めた彼女にとって、三人が身を寄せ合って楽しそうにしているその光景は、何よりも尊く、輝いて見えていた。
「ん?この前一緒に銭湯行ったときにでも聞かなかったのか?」
「あーね……うん。だってさ、もしまだだったらなんか気まずいっしょ?」
「……なるほど。お前、いい奴だな」
「はぁ〜?気づくの遅すぎっしょ!?これだから鈍感なおじさんは……」
「否定はしないが、おじさん言うな」
素直に感心する大地をからかうように笑い飛ばし、ヒナは楽しげに目を細める。
すると次の瞬間、彼女は何かを閃いたようにポンと手を叩いた。
「あ、そーだ!ほら、ゴールデンウィークにみんなで釣りに行くって言ってたっしょ?あれ、あの子たちも呼ばない!?」
「え、そりゃまぁ俺は構わんが……さすがにあの子たちの親御さん次第かなぁ。片方はガチのお嬢様っぽいし……」
「んじゃ、とりあえず誘ってみよ!」
大地の現実的な心配などどこ吹く風。
言うが早いか、ヒナは三人の座る窓際のイートインスペースへと、弾むような足取りで軽やかに歩き出した。
「ラ〜ビちゃんっ!」
背後から降ってきた明るい声に、ラビリスがくるりと振り返る。
「む?……おぉ、ヒナではないか。じゃが余は今『重要な作戦会議中』じゃ。用があるなら手短に頼むぞ」
「お、言うねぇ〜」
偉ぶる魔王の娘の態度をいつも通り華麗に受け流し、ヒナは楽しげにくすくすと笑う。
そして、突然目の前に現れたギャルを見つめている二人の少女へと交互に視線を向けた。
「こんちわ!アタシは千家ヒナ!見ての通りここのコンビニで働いてんだ!『ヒナ』って呼んでね!」
満面の笑みでピースサインを向けるヒナ。
その圧倒的な陽のオーラとフレンドリーさにほんの少し気圧されつつも、二人は慌てて姿勢を正した。
「は、初めまして……。わたくしは天羽六華と申しますわ」
「あ、あの……露原、めるです」
少し戸惑いながらも育ちの良さが出る優雅な会釈をする六華と、その隣でおずおずと名乗るめる。
「うんうん、六華ちゃんとめるちゃんね!よし、覚えた!」
ヒナは初対面の壁など1秒で粉砕し、近所のお姉さんのように親愛を込めて二人にウインクを飛ばした。
「でさ、アタシたち、ゴールデンウィークにあそこに立ってるおじさんと、もう一人変なお兄さんと一緒に釣りに行く約束してんだけど……よかったら、六華ちゃんとめるちゃんも一緒にどうかなって思って!」
ヒナはレジに立つ大地の方を親指で指差しながら、二人に明るく提案した。
「釣り、ですか……。わたくし、やったことがないのですが……」
「わ、私も。あと、パパとママに聞いてみないと……」
未知のレジャーへの戸惑いと期待が入り交じったような顔で、めるが控えめに答える。
その言葉に、六華も「そうですわね」と真面目にコクリと頷いた。
「アタシも釣りなんて初めてだからヘーキヘーキ!それより、もしよかったらお家でパパとママに聞いてみてよ!二人が来てくれたら、ガチで楽しいと思うんだよねー!」
「おい、勝手に話を進めるでないわ!……あー……その、どうしてもと言うのであれば、一緒に行ってやらぬでもないが……」
ふいっと顔を逸らしながらも、まんざらでもなさそうに腕を組むラビリス。
その絵に描いたような素直じゃない反応に、ヒナはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。
「あはは!素直じゃないなー。絶対アタシらだけより、友達も一緒の方が楽しいって!」
和やかな空気に包まれるイートインスペース。
しかしそこで不意に、ラビリスが心底不思議そうな顔をして首を傾げた。
「???……ヒナよ、何を言うておる。余にはまだ『友』などおらぬぞ?」
「「「…………え?」」」
悪気など微塵もない、きょとんとした顔。
その瞳には照れ隠しでも、いつもの『設定』の延長でもなく、ただ純粋な無理解だけが浮かんでいた。
せっかく打ち解けていたはずの六華とめるは、予想外の言葉にショックを受けたように固まってしまう。
いつもならノリ良くツッコミを入れるヒナも、目の前の少女が一切の悪意なく本気で言っていることを察し、どう反応していいかわからず絶句した。
気まずく、重い沈黙が落ちるイートインスペース。
ただ一人、レジからその様子を眺めていた大地だけが、彼女の正体ゆえの『致命的な欠落』を痛感し、静かに頭を抱えるのだった。




