☆81かいめ☆ 大釜の攻防、そして立ちはだかる到達点
「……ふむ。こうして実際に入ってみると、この『露天風呂』なる風呂、開放感があって中々によいものじゃな」
岩でぐるりと囲まれた広い湯舟の縁にちょこんと腕を預け、空に浮かぶ三日月を眺めながら、ラビリスはポツリと呟いた。
お湯の温かさと涼しい夜風のコントラストが、先ほどまでの警戒心をじんわりと解きほぐしていく。
「ね、言ったっしょ?露天風呂はみんな大好きなんだって!」
隣で同じようにお湯に浸かるヒナが、得意げに笑う。
「うむ。時折吹き抜ける風もとても心地よ――むむっ!?」
気持ちよさそうにハの字に垂れ下がっていたラビリスの眉が、次の瞬間、急激にピリッと吊り上がった。
「ラビちゃん……?どしたん?」
「お、おいヒナよ、あれを見よ!あそこの巨大な釜で人間が煮込まれておるぞっ!まさか、ここには恐ろしい魔女が棲み着いておるのではないか!?」
ラビリスがワナワナと震えながら指差した先。
そこには、ちょうど人が一人すっぽりと収まるサイズの、丸くて大きな浴槽がドンと置かれていた。
しかも、中に入っているおば様が動くたびに、ザバーッとお湯(ラビリス視点では煮汁)が外に溢れ出しているではないか。
「あぁ〜!ふふっ……確かにそう見えるっちゃ見えるわ!でもあれは『壺湯』ってお風呂なんだよね」
「つぼゆ……?」
「そそ!なんてゆーか、誰にも邪魔されない『ぼっち風呂』……的な?独り占めできるから、結構人気なんだよねー」
「煮込まれておるわけではないのか……?」
ラビリスは大釜をじっと観察し、納得がいかない様子で首を捻った。
「ふむ。確かに、生贄のわりには至福の表情を浮かべておるな。……いやしかし、わざわざこんなに広く開放的な風呂があるというのに、好んであのような狭い釜に収まりたがるなど……ブツブツ……」
なおも懐疑的な目を向け、小さな口を尖らせて理屈をこねるラビリス。
「あそこのお湯ってゼツミョーにぬるくて、めっちゃ気持ちいいんだよねー。……あ!ちょうど上がるみたい!行ってみようよ!」
「え!?」
「いいからいいから!」
言うが早いか、ヒナはザバァッと立ち上がり、ラビリスの小さな手を取って空いたばかりの壺湯へと一直線に歩き出した。
「ちょっ、よ、よせ!まだ安全確認の視察が済んでおらぬ!心の準備がぁぁっ!」
胸の前でタオルをギュッと握りしめ、必死の抵抗を試みる魔王の娘。
しかしその悲痛な叫びも虚しく、彼女は圧倒的な行動力を持つギャルJKによって、未知なる大釜へと容赦なく強制連行されていくのだった。
壺湯の前に到着し、湯気を立ち昇らせる丸い浴槽をまじまじと見つめるラビリス。
本当に安全なのかと、まるで未確認生物でも観察するようにじっと身構えていた――すると。
「ほらほら!せっかく空いたんだし入ってみなって!」
背後に立っていたヒナが満面の笑みを浮かべ、ラビリスを両脇からひょいっと抱き上げた。
「ちょ、おい!待て!はやまるでない!まだ安全の確認が――」
チャポンッ。
ザバァァァ……。
「む?」
空中で足をバタバタさせていたラビリスの小さな体は、あっけなく大釜の中へと投下された。
それと同時に、なみなみと張られていたお湯が勢いよく溢れ出す。
「どぉ?」
上から覗き込んでくるヒナに、ラビリスはパチクリと瞬きをした。
「おぉ……確かに絶妙な湯加減じゃ。熱すぎず、なんとも心地よいぞ……っておい!そなた、家来の分際で主である余に断りもなく放り込むとは何事じゃ!?本当に釜茹でにでもなったらどうするつもりじゃ!」
お湯の心地よさに一瞬とろけそうになったものの、ハッと我に返ったラビリスは、水面から顔を出してプンスカと抗議した。
「あはは!ごめんて!でも気持ちいいっしょ?」
「むぅ……確かに、先ほどの岩風呂よりもくつろげる気はするが……」
「じゃ、アタシもはーいろ!」
「え?」
ザバァァァァァーーーッ!!
ラビリスが間抜けな声を漏らした次の瞬間、ヒナが勢いよく同じ壺の中へと滑り込んできた。
当然、一人用サイズに作られた壺湯に二人が入れば大渋滞である。
中のお湯は先ほどよりもさらに盛大に外へと溢れ出し、ラビリスの体はヒナにギュッと押し付けられる形になった。
「お、おい!狭いではないか!これは一人用ではなかったのか!?」
「いいじゃんいいじゃん!やっぱ家来として、どんな時でもラビちゃんをお守りしないといけないじゃん?」
「主と一緒にこんな狭い風呂に入る家来がおるか!」
文句を言いながら身をよじって逃げようとするラビリス。
しかし、ヒナは長い腕でその小さな体をガッチリとホールドする。
「……ん?てか、ラビちゃんめっちゃ肌すべすべ!!ヤバ!」
「ひゃっ!?や、やめっ!触るな、こそばゆいであろっ……!ひははははっ!!」
「え〜、マジでマシュマロみたい!店長に何いいもん食べさせてもらってんのー?」
「こら、くすぐるでないっ!あははははっ!」
巨大な拷問施設だの、魔女の大釜だのと騒いでいた魔王の娘の威厳はどこへやら。
夜の露天風呂には、一人用の壺湯にぎゅうぎゅう詰めにされてじゃれ合う、二人の賑やかな笑い声が響き渡るのだった。
一方、すでに風呂から上がり、館内の休憩スペースにいる男組。
「あいつら、そろそ……ろっ、出てくるんじゃ……ないか?」
「いえ、女性の入浴時間は統計学的にも男性より長くなる傾向にあります。ですので、もうしばらく時間がかかるかと思いますよ」
壁際にズラリと並んだマッサージチェア。
そこに全身を預け、背中をゴリゴリと揉みほぐす機械の動きに合わせて声を震わせる大地に対し、隣の席の蓮はなぜか背筋をピンと伸ばした真顔のまま、冷静に答えた。
「そっか。確かに姉貴の……ぐっ……風呂も、やたら長かった気がするわ。……んじゃ、もう少しゆっくりできるな」
大地は「あ゛あ゛ぁ……」と至福の表情を浮かべながら、限界までリクライニングを倒していく。
そして、ふと隣のアルバイトへと顔を向けた。
「ってか、サウナのせいでめっちゃ喉乾いたな……あいつら遅そうだし、先に軽くなんか飲んどかねぇ?」
「ありえませんね」
食い気味の即答だった。
蓮はマッサージチェアに座っているにも関わらず、一切の振動を感じさせないほどの微動だにしない姿勢のまま、眼鏡をスッと押し上げる。
「まず、我々だけ先に飲んだことが千家さんにバレれば、後で何を言われるかわかりません。それに……お風呂上がりの一杯は、みんなでいただいた方がより美味しく感じると思いませんか?」
「……ホントに『みんな』のためなのか?」
建前としては正論だが、コイツの脳内にある『みんな』の割合が、9割9分ラビリスで占められていることは火を見るより明らかである。
大地はジト目で蓮を見つめつつも、一度大きなため息をついた。
「ま、とは言え、ヒナが『なんでアタシたちを待ってないのー!』とか騒ぎ出しそうってのはありえるな。……しゃーない、もちっと我慢すっかぁ」
大地は再びマッサージチェアに身を沈め、大人しく魔王の娘とギャルJKの帰還を待つことにするのだった。
壺湯での激しい攻防をひとしきり楽しんだ後の女湯。
「はぁ〜。楽しかったね!」
「『楽しかったね!』ではないわ!笑い死ぬかと思うたぞ……っ」
脱衣所へと続くガラス戸の手前で火照った体をタオルで拭きながら、ラビリスが息絶え絶えにツッコミを入れる。
「あはは!出たらソッコーで着替えて髪乾かさないとね!……あ、そういや店長たち、もう上がってんのかな?もし先に何か飲んでたら、あとで思いっきり文句言ってやろーっと」
(※壁の向こうの男たちの『待機』という選択は、図らずもギリギリセーフであった)
「確かに喉が渇いたな。余はあのシュワシュワする『コーラ』を所望するぞ」
「えー?銭湯なんだし、そこはやっぱ王道の『牛乳』っしょ!」
そんな他愛のない言い合いをしながら、ポカポカに温まった体で脱衣所へと足を踏み入れた二人。
するとラビリスの視界に、入浴前におば様が仁王立ちになり、全身に風を浴びて涼んでいた巨大な扇風機が飛び込んできた。
最初に見た時は「余は絶対にごめん」とドン引きしていたはずのその光景。
しかし、今のラビリスは体の芯まで温まり、ほんのりと汗をかいている。
彼女は無意識のうちにゴクリと喉を鳴らしていた。
(……今ならば。今ならば、あの人間の気持ちが痛いほどよくわかる……!)
「ラビちゃん、どしたん?湯冷めするから早く着替えよ!」
「う、うむ……っ」
(ならぬ!ならぬぞラビリス!!いかに余が魔王の娘とは言え、早くもあの『高み』へ到達することは、断じて許されぬことなのじゃ……!!)
強烈な誘惑を振り払うかのように、頭をブンブンと激しく横に振るラビリス。
謎の葛藤になんとか打ち勝った魔王の娘は、これ以上巨大扇風機の魅了魔法に誘惑されないように、急いで自分のロッカーへとペタペタ走っていくのだった。




