☆77かいめ☆ 激流に抗え!大浴場に響く爆笑の渦
「ふぃ〜っ……!やっぱ広い風呂はさいっこーだな!」
ザバァッとお湯をかき分け、大地は巨大な浴槽の縁に頭を預けた。
日々の仕事や異世界から来た少女の世話による疲労が、温かいお湯の中にじんわりと溶け出していく。
これぞ疲れた大人の至福の時間。
そう思って目を閉じ、深く息を吐き出した大地のすぐ横で――蓮が微動だにせず、真顔でジッと女湯との壁の方へ耳を澄ませていた。
「……今、この壁の向こうから、至高の吐息が聞こえた気がします」
「マジでキモいから、そういうのは心の中だけで完結してくれ……」
せっかくの癒やし空間に持ち込まれた限界紳士の不審者ムーブに、大地は心底嫌そうな顔でツッコミを入れた。
しかし、蓮は真っ白に曇ったメガネをスッと押し上げ、どこまでも大真面目なトーンで返す。
「ご心配なく、店長。あくまでもラビリスちゃんは、遠くから崇め、見守るべき尊き存在。決して公衆浴場法や各種条例に触れるような、野蛮な真似はしませんので」
「や、そういう問題じゃねぇんだよな……」
疲労が溶け出すどころか、逆に気疲れしそうになるアルバイトの狂信者っぷりに、大地は深いため息を湯気の中へと吐き出した。
一方、女湯。
「おぉ……!見よヒナ!余の肌に、小さな泡がびっしりと張り付いておるぞ!これが肌をつるつるにしてくれるというのか?」
お湯からそっと腕を持ち上げ、シュワシュワと弾ける無数の泡を不思議そうに見つめるラビリス。
「そそ!その泡が、肌の余計な汚れとか老廃物とかをガッツリ連れてってくれるって感じ!マジでデトックス効果エグいから!……しらんけど」
「ほほぅ」
適当なギャル知識をドヤ顔で披露するヒナに、ラビリスは感心したように深く頷いた。
「飲んで良し、風呂にしても良しとは……。万能薬のようじゃな、炭酸というのは」
「あ、それガチ!最近は炭酸が入ったコスメとかシャンプーとか、なんなら歯磨き粉とかもあるしね。とりあえず炭酸入れとけば最強!みたいなとこあるし、ほんとマジで『神アイテム』だよ」
「神のアイテム……」
ヒナの何気ない言葉にピクリと眉をひそめ、ラビリスは湯船の中で腕を組んで渋い顔を作った。
「……魔王の娘としては由々しき事態じゃが、まぁこの心地よさに免じて特別に許してやろう」
「あっはは!そこ気になっちゃう!?」
ラビリスの徹底したキャラ設定に、ヒナはお腹を押さえてケラケラと笑い声を上げる。
「オッケーオッケー!じゃあ神アイテムじゃなくて、『悪魔のチートアイテム』ってことで!」
ヒナの気の利いた言い換えに、ラビリスは満足げにふんすと胸を張り、再び悪魔のチートアイテムの中に肩まで沈んでいくのだった。
――数分後。
炭酸泉の効能をたっぷりと堪能し、体の芯までポカポカに温まったところで、ヒナがお湯からザバァッと立ち上がった。
「ラビちゃん。よかったら他のお風呂も行ってみる?」
「……まさか、外に行くのか……?」
ラビリスは曇りガラスの向こう側――全裸で放り出される過酷な空間をチラリと一瞥し、フェイスタオルを抱きしめてギュッと身構えた。
「あはは。そんなにビビんなくても大丈夫だって!んじゃ、外はもーちょい後にして、室内の他のお風呂に行ってみよ!」
「ふむ。よかろう」
ホッと胸を撫で下ろしたラビリスは、ヒナに続いて湯船から上がり、湯気で煙る大浴場の中をペタペタと歩き始める。
すると、並んだ浴槽の端の方で、ラビリスがピタリと足を止めた。
「お、おいヒナ、見よ!この風呂、先ほどとは比べ物にならぬほどの泡が激しく噴き出しておるぞ!これは炭酸の親玉か何かか!?」
彼女が驚いたように指差した先には、ゴォォォッと凄まじい音を立てて水面を激しく波打たせている、荒れ狂う浴槽があった。
「あー、これはねぇ、炭酸じゃなくて『ジェットバス』。壁からドォォッってお湯が出てるから、それを背中とか腰に当ててマッサージするって感じかなぁ」
「ほほぅ。水流の力を用いて体をほぐす、というわけじゃな?」
「そそ!ラビちゃん難しい言葉知ってるねぇ」
「ふふん、当然じゃ」
ヒナに褒められ、誇らしげに胸を張るラビリス。
そして、ボコボコと沸き立つ水面を頼もしく見つめ、大きく頷いた。
「……ちょうどよい。今日は過酷な訓練で体が疲れておる故、ここで少しほぐしてゆくぞ!」
ヒナがそれに頷くと、二人は浴槽に入り、ジャバジャバと勢いよくお湯が噴き出すポイントへと歩み寄った。
「っしょー!……う〜ん、アタシも今日バイトで立ちっぱなしだったから、これはマジで効くわぁ!サイコーかよ!」
お湯の中に設置された椅子型の段差に深く腰掛け、ヒナは「はぁ〜」と気持ちよさそうに背もたれに体を預けた。
背中から腰にかけて直撃する強烈な水流が、一日の疲れを揉みほぐしてくれる。
「……ぐ、ぐぬぬ……!」
ふと、やや前方から漏れ聞こえてきた苦悶の声に、ヒナがチラリと視線を向ける。
そこにはタオルを握りしめ、ものすごく険しい顔でグッと前傾姿勢をとっているラビリスの姿があった。
「ラビちゃん?どしたん?」
「ま、前に進めぬ……!全力で歩いておるというのに、ここから一歩も先に進めぬのじゃ!」
「…………」
見れば、ラビリスは勢いよく噴出するジェット水流の強烈な抵抗を真正面から受けていた。
彼女の小さな体格と軽さでは、お湯のパワーを全く押し返せないらしい。
必死の形相で短い足をバタバタと動かして前進しようとしているのに、現在位置が全く変わっていない。
まるでルームランナーの上を一生懸命歩かされているような状態だ。
「ぶふっ……!!」
本人は至って真剣そのものという事実が、そのシュールすぎる光景の破壊力を倍増させ、またしてもヒナの笑いのツボにクリーンヒットした。
「おいヒナ!何を笑うておる!」
水流に逆らいながら抗議の声を上げるラビリスに、ヒナは腹を抱えて肩を震わせた。
「ぷ……くくっ……!はぁ〜。ごめんごめん!……う~ん。それなら横から回り込んで、直接ここに座ったらいいんじゃない?」
「なるほど、その手があったか」
ラビリスはポンと手を打ち、一度上がって浴槽の縁沿いに回り込むと、ヒナの隣の座面へと滑り込んだ。
「これでよし。……お、おぉ。これは……なかなか……!」
やっとのことで特等席を確保し、ホッと息をついたのも束の間。
すぐさま強烈な水流が、その小さな背中に容赦なく襲いかかった。
ゴォォォォッ!!
「むむっ!?お、押される!押されておるぞ……!」
「…………」
背中からドボボボボ!と凄まじい水圧を受け、ラビリスのお尻がズリズリと前方へ滑っていく。
このまま浴槽の彼方へ流されまいと、彼女は小さな手足で踏ん張って必死に耐えた。
その様子を見たヒナが、咄嗟に上を向いてさらに肩を震わせる。
「ぬぐぐぐぐ……っ!こ、これでは体をほぐすどころか、さらに疲労が溜まってしまうぞ……!」
マッサージを楽しむはずが、完全に『荒れ狂う激流との勝負』に変貌してしまった魔王の娘は、ぷるぷると小刻みに震えながら恨めしそうに唸るのだった。
ジェットバスとの必死の攻防を繰り広げ、そのまま数分が経過した頃。
なおも抗い続ける小さな背中に、荒れ狂う激流が次なる牙を剥き始めた。
「……っ!!」
突如、ラビリスがビクッと肩を跳ねさせ、顔をしかめて身をよじった。
「どしたん?そろそろ次のお風呂にでも行くー?」
「か、痒い!痒いぞ、ヒナ!」
「え?」
必死の形相で背中をモゾモゾと動かすラビリスに、ヒナは目を丸くした。
「す、水流の当たる場所が猛烈に痒いのじゃ!……はっ!まさかこの風呂、水に触れ続けると体が痒くなる『呪い』でもかけられておるのではないか!?」
見えない敵の恐怖におののきながら慌てふためく魔王の娘。
すると、ヒナは「あー!」と手をポンと叩いて笑った。
「わかる!ずっと同じとこに当ててると、なんかめっちゃ痒くなってくるよねー」
「何をそんなに落ち着いておる!?」
そして数十秒後。
「くっ!も、もう我慢できぬ!」
ついに痒さの限界に達したラビリスは、今まで必死に座面の縁を掴んで踏ん張っていた両手をパッと離し、背中を掻こうとした。
しかし、それは荒れ狂う激流が待ち望んでいた、絶好の好機だった。
ゴォォォォッ!!
「あ」
支えを失った背中を、強烈なジェット水流が無慈悲に捉える。
「あわわわわ……っ!」
残された足だけの踏ん張りも虚しく、魔王の娘の小さな体はお湯の勢いに乗って座面から一直線に強制射出され、そのまま浴槽の真ん中へとスゥーッと滑り流されていった。
「…………」
手足をバタバタさせながら、お湯の真ん中でプカプカと情けなく漂うラビリス。
そのあまりにも見事な射出っぷりを目の当たりにしたヒナは――。
「あ、あっはははははははっ!!もー無理っ、お腹痛いっ!ラビちゃんガチで面白すぎっしょ!!」
今まで(一応)遠慮がちに笑いを噛み殺していたヒナが、腹を抱えて大爆笑を始めた。
「わ、笑い事ではないぞヒナ!余が流されておるのじゃぞ!」
「ひぃぃっ、涙出た……っ!ヤバい、今年一番笑ったかも……っ!あははははっ!」
水面でジタバタと暴れる魔王の娘と、お湯をバシバシ叩いて笑い転げるギャル。
こうしてラビリスのジェットバス初体験は、女湯中に響き渡るヒナの盛大な大爆笑と共に幕引きを迎えるのだった。




