☆70かいめ☆ 奈落の一本橋と色彩の城壁
「ふぅ……見事な手並みであった。結局名前については謎に包まれたままじゃが、美味ければ些末なこと、というのはなんとなく理解したわ」
最後の一口を飲み込み、満足げに小さく膨らんだお腹をさするラビリス。
しかし、その口の周りには戦いの激しさを物語るように、真っ赤な血……もといケチャップがべっとりと付着していた。
「だろ?名前なんてノリと雰囲気でいいんだって。……てかほら、口の周り拭けよ。服につくぞ」
大地が呆れながら差し出した紙ナプキンを受け取り、ラビリスは「むっ」と少し照れくさそうにしながら口元をゴシゴシと拭う。
軽めのランチタイムを終え、お腹と体力をチャージした彼女の瞳は、再び公園の中央にそびえ立つ巨大な要塞――複合アスレチックへと向けられる。
「よし!腹ごしらえも済んだことじゃし、訓練を再開するぞ!……次は、あの空を駆ける仕掛けに挑んでくれるわ!」
木陰のテラス席から飛び出し、タタタッと駆け出していくラビリス。
「おい、あんまり慌てて走ってっと転ぶぞー。……って、聞いてねぇな」
忠告など全く耳に入っていない様子で、元気いっぱいに三つ編みを揺らして突撃していく小さな背中。
大地は「やれやれ」とペットボトルのお茶を飲み干すと、その後ろ姿をのんびりと追いかけるのだった。
――数十秒後。
気合十分に駆け出したラビリスだったが、その小さな足はある遊具の前でピタリと止まっていた。
「ふむ。あそこに辿り着くためには、まずここを抜けねばならぬということか……」
腕組みをして険しい表情を浮かべる魔王の娘の視線の先。
そこには、太い鎖で吊るされた『丸太の一本』が、彼女の行く手を阻むように設置されていた。
「なるほど。一歩足を踏み外せばそのまま奈落へと真っ逆さま……命を賭けた『断崖の吊り橋』といったところか」
(※なお、下は安全なふかふかの砂場であり、高さは地上からわずか50センチほどである)
「……よくもまぁそこまでぽんぽん語彙が出てくるよな。っつかただの丸太橋だぞ。落ちても安全だし、なんなら普通に横の地面を歩いて迂回できるけど」
後ろからゆっくり追いついてきた大地が、身も蓋もない正論を口にする。
しかし、ラビリスはフンッと鼻を鳴らして胸を張った。
「馬鹿を申すでないわ!目の前に試練の道が用意されておるのに、そこから逃げるなど恥ずべきこととは思わぬのか!?」
(……や、別に)
「余はこの死の橋を堂々と渡り切ってみせるわ!」
「お、おぅ。まぁ気をつけて渡れよ。結構揺れるからな」
大地の忠告を背に受け、ラビリスは意を決したように「いざ!」と叫び、丸太の一本橋へとその小さな足を踏み出した。
「むむぅ、思うたよりも揺れるな……。しかし余の卓越した平衡感覚をもってすればこの程度――」
「うぇ~い!」
ラビリスが両腕を水平に広げ、ペンギンのような足取りで橋の中盤にさしかかった、ちょうどその時だった。
突然後方から、先ほどスパイダーネットで『大地震』を引き起こしたあの元気な少年が、勢いよく丸太の上に飛び乗ってきたのだ。
ドスンッ!ぐわんぐわんぐわんッ!!
「ひ、ひぃぃぃぃっ!?ちょっ、揺らすでない!」
少年の体重と勢いが加わったことで、ただでさえ不安定だった丸太の橋は、先ほどの比ではないほど凶悪に上下左右へと激しく暴れ始めた。
「ハッ!ま、またしても貴様か!!おい、揺らすでないわ狂戦士よ!!」
「きゃははは!」
後ろの少年はそんな彼女の必死な姿に気づかず、悪気なくさらにドタバタと橋を揺らし続けた。
大パニックに陥ったラビリスは、丸太にしがみつくようにして見事なへっぴり腰を披露する。
「ぷふっ……。楽しそうだなぁおい」
「なっ!楽しいわけが……おい、何を笑うておる!?このままでは余が奈落に落ちてしまう!早くなんとか……ああぁぁっ、落ちる!落ちるぅぅ!!」
「……ぷははっ!落ちたら受け止めてやるから頑張れ!」
すぐ横の安全な地面を歩いて並走していた大地は、地上50センチの攻防戦(?)を眺めながら、助けるでもなく腹を抱えて笑うのだった。
――数分後。
「ぜぇ、ぜぇ……っ。おのれ、あのクソガキめが。次、余の前に現れたときは地獄を見せてくれるぞ……!」
なんとか丸太橋を渡りきり、地面に手をついて肩で息をするラビリス。
その目は、先ほど走り去っていった小学生の背中を親の仇のように睨みつけている。
「まぁ無事に渡りきれたんだからいいじゃねぇか。……それよか、次はこれ登るみたいだけどどうすんだ?」
疲労困憊の魔王の娘をよそに大地が指差したのは、次なる関門――子供用の『ボルダリング』だった。
やや斜めに切り立った壁には、赤、青、黄色といった色とりどりの突起が無数に取り付けられている。
ラビリスはコホンと咳払いをして体勢を立て直すと、そのカラフルな壁を見上げて目を細めた。
「ふむ、なるほど。次は城壁を登る、暗殺部隊さながらの訓練というわけか……」
「いや、どう見てもただのカラフルな壁だけどな。お前の見えてる世界ってどうなってんの?」
大地の冷静なツッコミを華麗にスルーし、ラビリスは真剣な面持ちで壁の突起を撫でた。
「色分けされた足場……。くくく、そうか、そういうことか」
「?……なんだ?」
「……パパよ、これは罠じゃ。特定の色を踏むと矢が飛んでくる仕組みになっておるに違いない。ふふん、余でなければ見逃しておったな!」
得意げにふんぞり返り、ビシッと壁を指差すラビリス。
彼女の眼には、この無邪気な子供向けの遊具が、侵入者を拒む血塗られた城壁に映っているらしかった。
「お、おぅ。まぁ着眼点は悪くないんじゃないか? ……でもこれ、特定の色の順番通りに進むと登りやすいって、あそこの看板に書いて――」
「よかろう!魔王の娘たるもの、暗殺の1つや2つ容易くこなしてくれようぞ!」
「やめとけ」
カラフルな空間に響き渡る物騒なワードに大地はジト目を向けるも、ラビリスは「ふははは!」と高笑いしながら意気揚々とカラフルな壁に張り付いた。
(さて、罠が仕掛けられておるのはどの色じゃ……?やはり血塗られた赤か、いや……ここは意表を突いて黄色か……?)
壁にペタリと張り付きながら、鋭い目でカラフルな突起を観察する魔王の娘。
頭脳をフル回転させ、見えない暗殺者の心理を読み解こうと必死だった。
だが――。
……彼女は全く気づいていなかった。
無意識に伸ばした彼女の短い手足が、すでに赤・青・黄・緑と『全色』の突起に見事に乗ってしまっているという事実に。




