☆63かいめ☆ 邪悪なる策謀。白衣を纏った魔王の娘
午前中の授業を終え、待ちに待った四時間目終わりのチャイムが学校中に響き渡った。
その瞬間、ラビリスは糸が切れたように机の上へぐったりと突っ伏した。
「……まだなのか。……めしは、まだなのか……」
朝一番からバスの巨大さに驚愕し、タブレットとの戦いで脳をフル回転させた結果、魔王の娘のエネルギーは完全に底を突いていた。
机に頬をくっつけたまま、うわ言のように腹ペコをアピールする姿は、先ほどまでの「天才編入生」の威厳など見る影もない。
「もう、だらしがないですわね……。お昼ならこれからですわよ、新田さん」
振り返りながら、六華が呆れたような、けれどどこか楽しげな声でツッコミを入れる。
「なっ……!まことか!?」
その言葉を聞いた瞬間、ラビリスはガバッと勢いよく身を起こした。
死んだ魚のようだった真紅の瞳に、再び輝きが宿る。
「つ、ついに……!あの『予言書』が成就する時が来たのじゃな!さぁ、早く余の前に美食の数々を並べるがよい!」
今すぐにでも食らいつかんばかりの勢いで両手にスプーンとフォーク(持参)を構えるラビリス。
しかし、そんな彼女の前に、申し訳なさそうな顔をしためるがとことことやってきた。
その手には、何やら白い布の塊が握られている。
「あ、あのね、新田さん。今週は私と新田さん、同じ『給食当番』の班なんだよ。だから、一緒に準備しよっか」
「……は?とーばん?」
聞き慣れない単語に、スプーンを構えたまま固まるラビリス。
「うん。みんなの分のご飯を運んだり、お皿に取り分けたりする係だよ。はい、これ、新田さんの分の給食着ね」
「な、なんじゃとぉ!?」
渡された白い割烹着と帽子を見つめ、ラビリスは愕然として声を荒げた。
「これから至福の晩餐(昼じゃが)が始まるというのに、なぜ魔王の娘であるこの余が自ら働かねばならぬのじゃ!?」
「またそれですの?」
「えぇっと……でも、学校の給食は、みんなで協力して準備するのがルールだから……」
「断る!余は腹ペコなのじゃ!食べた後ならまだしも、食べる前に働くなぞおかしいじゃろ!?」
「でも、準備しないと食べられないし……」
断固として労働を拒否し、ふんぞり返る魔王の娘。
しかし、そこにエリートお嬢様からの容赦ない追撃が飛んでくる。
「みっともないですわよ、新田さん。魔王の娘だかなんだか知りませんが、ここでは自分たちの食事の準備は自分たちでするのが嗜みですわよ」
「むっ、リッカ!じゃ、じゃが余は――」
「それこそ魔王の娘と言うのであれば、この程度の仕事、率先して見本を示して差し上げるぐらいがよろしいのではなくて?」
六華に痛いところを突かれ、ラビリスは「ぬぅぅ……」と言葉を詰まらせた。
めるも困ったような笑顔で「いっしょに頑張ろ?」と首を傾げてくる。
「ぐぬぬ……。学校とは、なんと厳しき掟があるのじゃ……」
『魔王の娘たる模範』と『めるのお願い』の板挟みになったラビリスは、結局文句を垂れながらも、渋々白い給食着に袖を通し始めた。
「……いかにも下働きの格好ではないか。えぇい、帽子がうまく被れぬぞメル!」
「ふふっ、貸して。私がやってあげる」
ぶかぶかの割烹着を着せられ、めるに給食帽のゴムを整えてもらうラビリス。
その姿はどこからどう見ても『ただの可愛らしい給食当番の小学生』なのだが、本人はあくまで「不本意ながら付き合ってやっている」という表情を崩さない。
「こうなっては腹を括るしかあるまい。さぁ、行くぞメル!余の胃袋を満たすための糧を、この手で運んでやろうではないか!」
こうして、謎のやる気に満ちた魔王の娘は、めるに手を引かれながら出陣していくのだった。
――数分後。
給食室から重い食器や鍋を運び終え、教室ではいよいよ配膳が始まった。
本日の『予言書』に記されたメインディッシュは、ビーフシチュー。
ラビリスが任命されたのは、他でもないそのシチューをよそう係であった。
(ふん、シチューじゃと?我が世界でもありふれた野戦料理ではないか。野菜と肉の端材を適当に煮込んだだけの雑な飯……)
内心でそう高を括っていたラビリスだったが、鍋の蓋を開けた瞬間、その考えは吹き飛んだ。
「……な、なんじゃこの芳醇すぎる香りは……!?」
ふわりと立ち昇る湯気と共に、濃厚なデミグラスソースの香りが鼻をくすぐる。
お玉でかき混ぜれば、とろとろに煮込まれた大きな牛肉がゴロゴロと顔を出し、明らかに彼女の知る「シチュー」とは次元の違うオーラを放っていた。
さすがは私立枢星学園。給食とはいえ、素材も調理法も一切の妥協がないのである。
(こ、この肉塊……見ているだけで口の中によだれが……!)
ゴクリと喉を鳴らしながら、めるから教えられるがまま、列に並ぶクラスメイトたちの器にシチューをよそっていくラビリス。
しかし、彼女の視線は次第に、鍋の底に沈む魅惑の『牛肉』へと完全にロックオンされていった。
(……む、待てよ?これはもしや、よそう量の調整は余の裁量に委ねられているということではないのか?……くくく、なるほど。これこそが『とーばん』なる職務の特権ということか!)
魔王の娘の頭脳が、邪悪な計算を弾き出す。
(ふはは、ならば決まりじゃ!……えーと、この肉と、この肉も余の器に入れておこう。他の者どもは芋と人参でも食べておるがよい!)
自分の器の底に、お玉を使って器用に肉ばかりをゴロリ、ゴロリと密輸していくラビリス。
完全犯罪が成立したとほくそ笑んだ、その時だった。
「ああっ!新田さん、お肉ばっかり自分のところに入れちゃダメだよ!」
隣でサラダを配っていためるが、その不正(お肉の横領)をバッチリ捉えていた。
「な、なななんのことじゃ!?余はただ、平等に配分を――」
「今、人参を避けてお肉だけ3つもすくってたでしょ!ちゃんとみんなに分けないと足りなくなっちゃうよ!」
すっかりラビリスに慣れためるは、もはや「引っ込み思案な小動物」の面影などなく、給食当番としての確固たる正義感でピシャリと注意した。
「ちちち、違うわ!これは毒見じゃ!王として、民に配る前に安全を確かめる義務がじゃな……!」
「そんな苦しい言い訳が通るわけありませんわ。ほら、早くお鍋に戻しなさいな」
列に並んでいた六華からもジト目で容赦のないツッコミが飛び、ラビリスは「ぐぬぬ……」と涙目で牛肉を鍋へと返還する羽目になった。
――そして数分後。
無事に(不正を正されて)全員に行き渡り、いよいよ待ちに待った実食の時間がやってきた。
「いただきます!」
クラス全員の声に合わせて、ラビリスもスプーンを握りしめる。
そして、先ほど横領に失敗し、規定量だけ盛り付けられた貴重な牛肉を一つすくい上げ、パクリと口に放り込んだ。
「――――ッ!!!」
その瞬間、ラビリスの真紅の瞳が限界まで見開かれた。
(な、なんじゃこれはぁぁぁ!?)
噛む必要すらない。
舌の上に乗せた瞬間、ホロホロに煮込まれた牛肉が濃厚なソースと共に溶けて消えたのだ。
野菜の甘み、赤ワインとデミグラスの深いコク。
それは魔界の宮廷料理人ですら到達できないであろう、至高の味わいであった。
「……美味い!美味すぎるぞメル、リッカ!!どうなっておるのじゃこれは!?肉が!肉が溶けたぞ!!」
バンバンと机を叩きながら、感動のあまり叫び声を上げるラビリス。
(……余の知る『シチュー』といえば、塩気ばかりが強いシャバシャバの汁に、噛みちぎるのも一苦労な硬い干し肉と、泥臭い根菜を放り込んだだけの粗末な野戦食であったはず……!)
スプーンを持つ手をわななかせ、驚愕に震える魔王の娘。
(じゃが、この漆黒の泉はどうじゃ!?幾重にも重なる芳醇なコクと野菜の甘みが、怒涛のように押し寄せてきおる!……それに、なんと言うてもこの肉!『噛む』という行為すら野蛮だと言わんばかりに、舌の上で優雅にほどけて消え去ったではないか!これが……これが小学生が学校で喰らっている『昼飯』じゃと言うのか……!?)
「もー、食べながら大声出しちゃダメだよ?……でも、ここの給食って、すっごく美味しいよね」
「えぇ、本当に。ホテルのレストランと比べても遜色ありませんわ」
クスクスと笑うめると、優雅に口元を拭う六華。
そんな二人をよそに、ラビリスは一心不乱に器に顔を近づけ、自ら働いて得た至福の報酬を、猛烈な勢いで平らげていくのだった。




