☆50かいめ☆ 難問たちをすり潰せ!魔族の英才教育、ここに極まれり!
朝日を浴びて白く輝く、枢星学園の正門。
手入れの行き届いた並木道と、最新鋭の設備を備えた重厚な校舎を前に、大地はすでに本日何度目かわからない深いため息を吐いた。
(……場違いにも程があるだろ。ここ、年収いくらの親が通わせる場所だよ)
対して隣に立つラビリスは、その巨城を落とさんとする魔王のごとく、不敵な眼差しで校舎を見上げていた。
大地の脳裏には、昨晩の不毛なやり取りが苦く蘇っていた。
少しでも足掻こうと、帰りに本屋へ駆け込み、小学校1、2年生用の計算ドリルや漢字問題集を山ほど買い込んで帰ったのだ。
だが、それを見たラビリスは鼻で笑い、
『大地よ、案ずるな。余の叡智を侮るでない。そのような姑息な手など必要ないわ!』
と言い放ち、あろうことか『マジプリ』を一本消化した後、さっさと布団に入って爆睡してしまったのである。
「……なぁ、ラビリス。今からでも遅くないから、やっぱり挨拶だけして帰らないか?正直、どう考えても無理だって。恥をかきに来たようなもんだぞ」
「何を弱気なことを。門をくぐったからには、もはや退路など断たれておるわ!大地、そなたは黙って余の凱旋を待っておればよい!」
「……はぁ。もう勝手にしてくれ……」
大地は死んだ魚のような目で、意気揚々と歩き出すラビリスの背中を追った。
学園の事務局へ入り、名を告げると、案内されたのは奥にある静かな特別室だった。
重厚な革張りのソファが並ぶその部屋で、北条理事長はデスクに肘を突き、組んだ指の上に顎を乗せて待ち構えていた。
「……ほぅ。逃げ出さずに本当に来るとはね。感心したと言いたいところだが、無謀な勇気は時に身を滅ぼすと、パパに教えてもらわなかったのかな?」
北条は眼鏡の奥で冷たく目を細め、皮肉たっぷりの言葉で出迎える。
その手元には、すでに数枚のプリント――北条が「排除」のために用意した、地獄の難問集が置かれていた。
「では、早速だが試験を開始しようか。制限時間は各科目60分だが、帰りたくなったらすぐに言ってくれればいい」
北条は事務的な口調でそう告げると、デスクの上に数枚のプリントと鉛筆を綺麗に並べた。
「保護者の方は、試験が終わるまで外の待合室でお待ちいただこうか」
「……っ。ラ、ラビリス、無理だけはすんなよ。白紙でも怒らないからな」
すがるような目でラビリスに声をかける大地だったが、彼女は「ふんっ」と鼻を鳴らして取り付く島もない。
大地は後ろ髪を引かれる思いで、重い木製のドアの向こうへと退出させられた。
部屋の中には、北条とラビリスの二人きり。
カチ、カチと秒針の音だけが響く中、北条は冷徹な声で「始め」と合図を出した。
まずは算数からだ。
ラビリスは小さな手で鉛筆を握り、目の前のプリントに視線を落とした。
(なになに。問1。これは……図形の問題か?――――っ!?こ、これは……)
問題文を一瞥した瞬間、ラビリスの鉛筆を握る手がピタリと止まった。
それを見た北条の口角が、微かに、しかし確かな勝利の形に歪む。
(ふっ……当然だ。小学校2年生の編入試験とは言ったが、出題しているのは6年生レベルの複雑な立体図形の体積と表面積。九九すら怪しい年齢の子供に解けるはずがない。一問目で完全に心を折り、己の無知を悟らせてやろう)
しかし、ラビリスの真紅の瞳は、絶望ではなく、深い呆れの色を帯びていた。
(……馬鹿にしておるのか?このような三次元空間の単純な座標軸など、我が魔王軍の『空間転移魔法』の複雑な座標計算に比べれば、児戯にも等しいわ。……こんなものを試練と呼ぶとは、人間の知能を少々買い被っておったのやもしれぬ)
ラビリスは迷うことなく鉛筆を走らせ始めた。
北条の期待を裏切り、その手は一切止まることなく、淀みない数式と答えを解答欄に叩き込んでいく。
(……なに?)
北条が怪訝そうに眉をひそめる間に、ラビリスはすでに次の問題へと進んでいた。
問2。
『ある牧場に草が生えています。草は毎日、一定のペースで新しく伸び続けます。
この牧場に牛を10頭放すと、20日で草を食べ尽くしてしまいます。
牛を15頭放すと、10日で食べ尽くしてしまいます。
では、牛を25頭放した場合、何日で草を食べ尽くすでしょうか?』
中学受験の定番である特殊算、いわゆる『ニュートン算』だ。
方程式を知らない小学生には、概念の理解すら難しい難問である。
ラビリスは問題文を読み、やれやれとでもいうように、ふぅっと息を吐いた。
(なんじゃこの問題は。兵站が足りぬのなら、隣の領地を侵略して奪うか、最悪、その牛とやらを食糧にして進軍すればよかろうに。人間の軍師は、こんな回りくどい計算をしておるのか?)
魔王の娘としての血生臭いツッコミを心の中で入れつつ、彼女は再びプリントに向き直った。
(……まぁよい。こんなもの、我が魔王軍の『包囲戦における兵糧計算』の初歩以下じゃ。草の自然増加分を『敵の補給線』、牛の消費を『自軍の損耗』と置き換えればよいだけのこと。連立して初期の兵糧総量を割り出せば……答えは『5日』じゃ。くだらぬ)
スラスラと、一切の迷いなく『5』という数字が解答欄に書き込まれる。
あまりの解答スピードに、向かいに座る北条の顔から徐々に余裕が消え始めていた。
カリカリという鉛筆の音だけが、北条の計算をあざ笑うかのように特別室に鳴り響いていた。
――およそ15分後。
「……終わりじゃ」
ラビリスは短く告げると、鉛筆を置き、ペラッと解答用紙を北条の目の前へと突き出した。
「なっ……もう終わったと言うのか!?」
「いかにも。……して、もう少し歯ごたえのある試練はないのか?これでは欠伸が出るわ」
つまらなそうに頬杖をつくラビリスに、北条は内心で戦慄した。いくらなんでも早すぎる。
だが、すぐに教育者としての冷静な表情を取り戻す。
(落ち着け。ただ適当に数字を書き殴っただけだろう。早ければ良いというものではない。……勝負はここからだ)
「……よかろう。次は国語だ」
最初にラビリスの目に飛び込んだのは、長文の読解問題だった。
課題文は、童話『ウサギとキツネ』。
お腹を空かせたキツネに対し、ウサギが自分の食べ物を分けてあげるという、子供の道徳心と情操を測るための定番の物語である。
問:ウサギはどうしてキツネに食べ物を分けてあげたのでしょうか?
物語を読み終えたラビリスは、顎に手を当てて深く頷いた。
(……なるほど。ウサギはキツネの餌。つまりこの二者は、本来であれば捕食者と被捕食者の関係というわけか……)
模範解答は当然、「キツネさんがお腹を空かせていて、かわいそうだったから」である。
しかし、異世界の帝王学を叩き込まれてきた魔王の娘の思考回路は、人間の道徳基準など軽々と凌駕していた。
ラビリスは容赦なく、解答欄に己の導き出した『真理』を書き込んでいく。
(※実際の解答用紙には、拙く丸っこい『ひらがな』ばかりで書かれているのだが、その内容は以下の通りである)
『自身の天敵であるキツネに対し、あえて貴重な資源(食糧)を無償提供することで「強烈な恩」を売り、心理的優位に立つため。これによりウサギは、自身が捕食されるリスクを永続的に排除するだけでなく、キツネという強力な戦力を自陣営に引き込む「食糧外交」を成功させたのである』
(ふん、このウサギめ。弱者の分際で、中々に狡猾な外交手段を使うではないか。ウサギウスにもこのしたたかさを見習ってほしいものじゃな)
ラビリスは一人納得しながら、その後も続く問題に次々と挑んでいった。
漢字の読み書き問題こそ「なんじゃこの複雑な魔法陣は……」と苦労しつつも、テレビの字幕やアニメのタイトルなどで培った知識を総動員して、強引に解答欄を埋め尽くしていく。
そして、試験は最後の「英語」へと突入した。
公立の小学生なら、高学年でやっと触れ始めるような、日本人にとっては難解な言語である。
だが、進学校の編入試験では当然のように出題されるのだ。
それは北条が用意した、完全に心を折るための切り札だった。
だが――。
ラビリスは生誕と同時に、あらゆる言語を理解し意思疎通を図るための最高位の『言語魔法』をかけられている。
それは当然ながら日本語のみに留まらず、文字通り、あらゆる言語に作用する。
もちろん音声だけでなく、視覚情報としての「文字」という概念そのものも、彼女の脳内で自動変換してくれるのだ。
(漢字とやらに比べ、なんと読みやすい文字じゃ。こんなもの、暗号解読にすらならぬわ!)
ラビリスは、これまでよりもさらに書き込むスピードを上げ、瞬く間に解答欄を埋めていく。
――そして。
「……よし、全科目終了じゃ!北条とやら、これでどうじゃ!」
ラビリスがすべての解答用紙をバシッと北条のデスクに叩きつけた時、予定されていた試験時間の半分も経過していなかった。




