☆49かいめ☆ 準備期間はゼロ!?パパの胃壁を削る『枢星』の洗礼
「……本当にいいんですか?……やっぱり今回の洋服代、俺の給料から天引きしておいてください。ていうか、させてください」
都心の喧騒から少し離れた、緑豊かな一角。
歴史を感じさせるレンガ造りの建物の前に停まった高級車の前で、大地は白川オーナーに向かって、恐縮の言葉を口にしていた。
「ははは。新田君、君は本当に律儀だねぇ。これは私からあのお嬢さんへの、助けてくれたお礼の一部だよ。恩人の親からお金を取るような野暮な真似、私にさせるもんじゃない」
「そ、そっすか……」
オーナーは人当たりの良い笑顔で、大地の申し出をひらりと受け流した。
(それはありがたいけど……しかしこれ、本当にカフェか?めちゃくちゃ高そうなんだが?)
大地はおずおずと建物を見上げた後、後方に視線を滑らせる。
その先には、数時間前、オーナーに呼び出されたヒナが「ガチで任せて!ラビちゃんのビジュ、アタシが宇宙一にプロデュースしたげるから!」と鼻息荒くコーディネートした、ラビリスの姿があった。
いつもの漆黒のドレスではなく、落ち着いたネイビーのアンサンブルに、白いレースの襟が覗くブラウス。
丁寧に整えられた銀髪には上品なカチューシャが添えられ、その輝きをより一層深めている。
薄く引かれた桜色のリップは、彼女の白い素肌をいっそう鮮やかに引き立てていた。
「……ふん。パパよ、いつまでそこでおどおどしておる。……しかしこの装束、少しばかり窮屈ではあるが……鏡に映る余の姿は、中々に……その、悪くなかったぞ」
ラビリスは頬を微かに染め、慣れないパンプスの足元を気にしながらも、王族としての気品を崩さずに立っていた。
ヒナが「清楚系お嬢様ラビちゃん、ガチで優勝すぎてムリ!」とスマホのシャッターを切り続けていた光景が、大地の脳裏に蘇る。
「……あぁ、そうだな。似合ってるよ。……ヒナも、あそこまで張り切るとは思わなかったけど」
「さぁ、行こうか。理事長はもう中で待っているはずだ」
オーナーに促され、一行は重厚な木製のドアを潜った。
店内に一歩足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように消え去り、柔らかなクラシックの音色と、高級な茶葉の香りが鼻をくすぐる。
通されたのは、中庭の見える奥まった静かなテーブル席。
そこには、仕立ての良いスーツを着こなし、難しい顔で手元の手帳を見つめている一人の男性が座っていた。
彼こそが、オーナーの友にして、新設進学校の舵取りを担う理事長――。
大地の心臓が、緊張で一段と強く鼓動を刻み始めた。
「やぁ、北条。待たせたね」
白川オーナーの穏やかな声が、静かな店内に響いた。
テーブルで手帳を閉じたその男――『北条理事長』は、眼鏡の奥の鋭い眼光を和らげ、ゆっくりと立ち上がった。
「白川。……変わりないようだな。それで、電話で言っていた『相談』というのは……」
白川オーナーは隣に立つラビリスの背にそっと手を添え、北条に向かって彼女の素性を簡潔に説明した。
戸籍を持たない特殊な事情があること、しかし、自分を助けてくれた際の立ち振る舞いや知性は、並の子供の比ではないこと。
「――というわけなんだ。北条、君の学園は型に嵌まらない才能を求めていると言っていただろう?この子こそ、君が探している『光る原石』だと、私は確信しているんだよ」
白川オーナーは、まるで自慢の孫を披露するかのような全幅の信頼を寄せて微笑む。
だが、教育者であり経営者でもある北条は、一筋縄でいくような相手ではなかった。
「……なるほど。話はわかった」
北条は内心で難色を示していた。
当然だろう。いかに才能があろうとも、戸籍という公的な証明がない以上、素性の知れない子供を受け入れるのは、自ら爆弾を抱え込むのと同義だ。
いくら友人であり、学校の土地の賃貸人でもある白川オーナーの頼みとはいえ、学校のブランドに傷がつくリスクは看過できなかった。
「……だが白川、我が校――『枢星学園』は、まだ創立8年の新設校とはいえ、進学校としての実績を積み上げている最中だ。……戸籍がないという法的なハードルに加え、学力や集団生活への適応が未知数な生徒を無条件で受け入れるわけにはいかん。……そう、たとえお前の頼みであってもな」
彼は値踏みするように、じっとラビリスを見据えた。
「お嬢ちゃん。……失礼だが、君は今、いくつになるのかな?」
「む、年齢か?……余が生誕してから、7年が経過しておる」
ラビリスは臆することなく、真っ直ぐに北条の瞳を見返して答えた。
その尊大な、しかし確かな知性を感じさせる物言いに、北条は微かに眉を動かす。
「……7歳か。ということは、この4月からは2年生としての編入ということになるな」
北条はふっと口角を上げ、慇懃無礼な提案を口にした。
「では、白川の顔を立てて、一つチャンスをあげよう。まずは我が校の編入試験を受けてもらい、相応の結果を出してもらう……話はそれからだ。学力が基準に達していれば、入学を検討する余地はある」
「ほぅ、試練というわけか。よかろう、受けて立とうではないか」
腕を組んで自信満々に胸を張るラビリス。
それを見て、北条は眼鏡の奥で冷徹な計算を働かせていた。
(食いついたか。……だが、出題範囲まで指定した覚えはない。……6年生、いや中等部レベルの難問を混ぜてしまえば、子供のプライドを傷つけずに『力不足』として体よく追い払える。白川への言い訳も立つというものだ)
教育者としての冷徹な「門前払い」の策略。
そんな北条の企みなど知る由もなく、大地は「試験」という新たな壁を前に、再び胃の辺りを押さえるのだった。
「……さて、新田君……だったかな?編入試験だが――明日、行わせてもらうよ」
「は……?あ、明日っ!?」
大地の悲鳴のような声が、静かなカフェの店内に響き渡った。
あまりの衝撃に、持っていたアイスコーヒーのグラスが滑り落ちそうになる。
「い、いやいやいや待ってください、北条理事長!明日なんてさすがに急すぎます!せめて一週間……いや、数日でもいいから準備の時間を――」
「新田君。我が枢星学園……いや、進学校を志す者なら、日頃から研鑽を積んでいるのは『前提条件』だ。不意の試験一つに対応できないようでは、最初から進学校の門を叩く資格などないのだよ」
北条は眼鏡を指で押し上げ、冷淡に言い放った。
正論と言えば聞こえはいいが、その実、対策する時間すら与えず、無知な子供を完膚なきまでに叩きのめして追い払うための「時間攻め」であることは明白だった。
(……くそっ!とんでもねぇ狸じじいだ、この親父。ラビリスがせっかく自分で掴んできたチャンスだってのに……。明日なんて、いくらなんでも『終わらせ』にきてるとしか思えない。完全に詰んじまった……)
大地は目の前が真っ暗になるのを感じた。
ラビリスが地頭がいいのは知っている。だが、それはあくまで「異世界の知恵」だ。
日本の小学校2年生、ましてや進学校の編入試験に出るような漢字や算数、一般常識など、昨日今日アニメを見始めたばかりの子供に解けるはずがない。
「ふははは!明日じゃな!話が早くてよいではないか!その『へんにゅーしけん』とやら、余の覇道を阻む壁として申し分ないわ!」
絶望に打ちひしがれる大地を余所に、ラビリスは腰に手を当てて不敵に笑っている。
「……ふふ、威勢がいいねぇ。新田君、彼女がこう言っているんだ。受けて立とうじゃないか。楽しみだね、北条」
白川オーナーまでもが、孫の運動会でも見守るような柔和な笑みで承諾してしまった。
しかし、大地の心の中では、すでに不合格通知が舞い散る光景が見えていた。
「では、明日の午前10時。我が学園の事務局まで来るように。……期待しているよ、お嬢ちゃん。君が我が校の誇り高き『枢星』となれる器かどうかをね」
北条は、どこか皮肉めいた冷たい笑みを残し、流れるような動作で席を立った。
その背中は、明日になればすべてが「無駄足」として終わることを確信しているようだった。
「さて、新田君。明日は代わりに二階堂君に店へ出るよう頼んでおくから、君は彼女についていってやりなさい」
「……はぁ、ありがとうございます、オーナー……」
白川オーナーの気遣いに感謝しつつも、大地の声は消え入りそうなほど憔悴していた。
突破口が開いたと思った瞬間に、巨大な絶壁がそびえ立った。
「パパよ!明日は戦じゃな!今晩は英気を養うため、肉を所望するぞ!」
「……わかったよ。肉でも何でも食え……」
嬉々として明日の「試練」に胸を躍らせるラビリスと、胃の痛みに耐えながら彼女を連れて店を出る大地。
春の穏やかな陽光とは裏腹に、二人の前途には、かつてないほど高く、険しい暗雲が立ち込めていた。




