☆47かいめ☆ 偶然か、運命か。銀髪の騎士が引き寄せた「勝機」の足音
蓮との相談から、さらに数日が経過していた。
大地は連日、ラビリスが眠りについた後に深夜までスマホや古いノートパソコンにかじりつき、就学に関する特例や過去の事例を漁り続けていた。
そのせいで、朝の食卓に座る彼の目の下には、隠しようのない濃いクマが刻まれている。
「……大地よ、顔が死んでおるぞ。昨晩も、何やら怪しげな光る板と格闘しておったようじゃが……」
「……あぁ、気にするな。ちょっと調べ物してただけだ。……じゃあ、行ってくる。戸締まりしっかりしとけよ」
力ない足取りで仕事へと向かった大地の後ろ姿を見送り、ラビリスは一人、静かになったアパートの部屋で小さく息を吐いた。
大地のあの様子を見れば、自分の「願い」がどれほど彼に負担をかけているか、子供ながらに察せられる。
胸の奥にチリリとした痛みを感じ、彼女は気分転換に外の空気を吸おうと、白のブラウスと、以前大地に褒められたプリーツスカートに身を包んで外へ出た。
「……ふん。たまには余自ら、この地の視察を行うのも悪くないわ」
特に目的地を決めていたわけではなかったが、無意識のうちに、彼女の足は大地の勤めるコンビニがある方向へと向かっていた。
春の柔らかな陽光が降り注ぐ歩道を、ラビリスは銀髪をなびかせて悠然と歩く。
その時だった。
「おいどけ!ジジイ!」
前方から走ってきたガタイのいい男が、前を歩いていた小柄な老紳士を避けることもなく、肩をぶつけるようにして通り過ぎた。
「あ……っ!」
老紳士はバランスを崩し、力なく歩道に倒れ込む。
男は振り返りもせず、舌打ちを残してそのまま人混みへと消えていった。
「――ッ!?」
考えるよりも先に、ラビリスの体が動いていた。
「おい!大丈夫か!?」
ラビリスは倒れた男性の元へ駆け寄り、自らの細い腕で支えて抱き起こし、ハッとした。
(よ、余は、一体何を……)
アニメの影響だろうか。倒れた人間を助けるなど、魔王の娘としてあるまじき行動。
こんな光景を、元の世界で万が一、他の魔族に見られでもしていたら……。
だが、その時の彼女には、弱き者が踏みにじられる光景を、どうしても許せなかったのだ。
「あ……あぁ、すまないねぇ、お嬢ちゃん。……最近はどうも足腰が弱くなっていてね……」
「ふ、ふん、そなたのせいではない。……おい、そこの不届き者!逃げるでない!万死に値するぞ!」
小さくなった男の背中に向かって、ラビリスは容赦ない悪態を吐き捨てた。
その気迫に、周囲の通行人が一瞬ぎょっとして足を止めるほどだった。
「……もういいんだ。怪我はないから。……お嬢ちゃん、助けてくれてありがとう」
「礼などいらぬ。……それよりそなた、顔色が悪いぞ。そこの椅子で少し休むがよい」
ラビリスは老紳士の体を支え、すぐ近くにあった公園のベンチへと誘導した。
小さな少女が、自分よりもずっと大きな大人を堂々と導くその姿は、どこか不思議な威厳に満ちていた。
公園のベンチ。
老紳士は落ち着きを取り戻し、隣に座る不思議な少女をまじまじと見つめた。
自分を助けてくれた時の凛とした声、そしてどこか古風で尊大な物言い。
この小さな少女からは、今の子供たちが失ってしまった「芯の強さ」のようなものが感じられた。
「……いやはや、重ね重ねありがとう。お嬢ちゃんは、見た感じよりも随分としっかりしているね。今は、何年生なんだい?」
老紳士が穏やかに問いかけると、ラビリスは不意をつかれたように、真紅の瞳を瞬かせた。
「なんねんせー?……とは、一体なんじゃ?」
「ん?……あぁ、学校での学年のことだよ」
その言葉に、ラビリスの表情がふっと陰った。
彼女は膝の上で、細い指先をぎゅっと絡ませ、視線を地面に落とした。
「……余は……学校とやらには、行っておらぬ」
老紳士の眉が、わずかに動く。
この年齢の子供が平日の昼間に一人で外にいて、学校に通っていない。
現代社会においては、見過ごせない「信号」だ。
「なぜだい?もしかして、学校で何かイヤなことでもあったのかな?」
「違う。…………。……余は、『ここに存在しない』らしい。じゃから、大……いや、パパが、余が学校に行くのは難しいと言うておった」
「存在しない……?」
老紳士の眼差しが、一瞬で鋭いものに変わった。
少女の口から出た『存在しない』という言葉。
それは子供が冗談で言うにはあまりに重く、そして具体的だった。
彼は最悪の可能性――いわゆる社会から隔絶されたネグレクトの類を疑わざるを得なかった。
「……言いにくければ言わなくてもいい。だがお嬢ちゃん。君はもしかして……そのパパという人物に、酷い扱いでも受けているんじゃないのかい?」
「……っ!たわけたことを言うな!!」
ラビリスは勢いよく立ち上がり、老紳士を真っ向から睨みつけた。
その瞳には、自分への侮辱よりも、大地を侮辱されたことに対する純粋な怒りが燃えていた。
「……あやつは、余に温かな食事も、美しい服も、安らげる寝所も、それにウサギウスやヒナといった素晴らしい配下まで用意してくれた!今も余の『学校に行きたい』というワガママのせいで、身を削って苦労をかけておる有り様じゃ!あやつのどこに不届きな点があるというのじゃ!」
一気にまくしたて、肩で息をするラビリス。
老紳士は、その剣幕に気圧されるどころか、感銘を受けたように目を細めた。
そこにあるのは、恐怖による支配ではない。打算のない、深い信頼と敬愛だ。
「……ふむ。失礼したね、お嬢ちゃん。どうやら私の見当違いだったようだ、申し訳ない。……君と、そのパパという人の間には、何やらとても深い事情があるようだね」
老紳士はゆっくりと立ち上がり、スーツのシワを払うと、優しく微笑んだ。
「……私はね、これでも少しは名の通った立場にいてね。もしかしたら、君たちの力になってあげられるかもしれない。……よかったら、君のパパのところへ私を連れて行ってくれないかね?その素晴らしい人物に、直接お礼も言いたいし……少し、お話がしてみたいんだ」
「パパのところに……?……むぅ。そなた、怪しい者ではなかろうな?」
「ははは。見た通り、今はただの、転んで助けられた情けない老人だよ」
ラビリスは疑わしげに老紳士を観察したが、その穏やかな瞳に嘘がないことを感じ取ると、フンと鼻を鳴らした。
「……仕方あるまい。あやつも今は仕事中じゃが、そこまで申すなら紹介してやらぬこともない。……ついてくるがよい、じじ!」
「ありがとう。……ふふ、これは面白いことになりそうだ」
老紳士は楽しげに独り言を漏らし、銀髪の小さな背中を追って、大地の勤めるコンビニへと歩き出した。




