☆46かいめ☆ 0.01%の勝機を探せ!求めるのは「当たり前」という名の奇跡
――その日の深夜。
ラビリスがベッドで静かな寝息を立て始めたのを確認し、大地は部屋の隅でスマートフォンの画面とにらめっこをしていた。
検索窓に打ち込んだのは、『戸籍なし 学校』、『身分証明書 ない 小学生』といった、物騒極まりないキーワードだ。
(さて、日本の法律とやらが、どこまで融通が利くのか……)
眉間にシワを寄せながら検索結果のリンクをタップしていく。
もしどうしても無理なら、フリースクールのような民間の施設を探すしかないのか。
そんなことを考えながら画面をスクロールしていた大地の指が、ふと止まった。
「……マジか。意外とあっさり見つかったぞ」
画面に表示されていたのは、文部科学省や自治体の公式ホームページだった。
そこにははっきりと、『無戸籍の児童生徒の就学について』という項目が記載されている。
日本国憲法が定める『教育を受ける権利』。
それは、何らかの複雑な事情(親の離婚トラブルやDVからの逃亡など)で戸籍を持たない子供であっても、一定の手続きを踏めば、公立の小中学校に通うことができるという救済措置だった。
「……いける。これなら、あいつを学校に通わせてやれるかもしれない」
暗闇の中で、大地の顔にパッと希望の光が差した。
だが、そのページの手続き方法を読み進めていくうちに、大地の表情はみるみるうちに険しくなっていった。
『お住まいの市区町村の役所、または教育委員会の窓口へご相談ください』
『児童の居住実態の確認、および戸籍がない事情の聞き取りを行います』
「……っ」
大地は思わず天を仰ぎ、深くため息を吐いた。
(そりゃそうだよな。事情を聞かれないわけがない)
役所の窓口に行き、「この子の戸籍がありません」と申告する。
当然、「なぜ戸籍がないのか」「親は誰か」「今までどこでどうやって生活していたのか」という厳しい追及を受けることになるだろう。
適当な嘘で誤魔化しきれるような相手ではない。
もし不審に思われ、警察や児童相談所が介入してくれば一巻の終わりだ。
最悪の場合、ラビリスが『異世界から来た存在』であることがバレてしまうかもしれない。
そうなれば、彼女は得体の知れない研究施設に送られるか、少なくとも大地の元からは確実に引き離されてしまう。
(……ダメだ。役所に正面から突っ込むのは、リスクが高すぎる)
この正規ルートは、完全に手詰まりになった時の『最後の手段』として保留しておくしかない。
とはいえ、他にどうやって彼女の存在を公的に証明し、学校に潜り込ませればいいのか。
これまで努力を毛嫌いし、平坦に生きてきた大地の知識量では、すぐに限界が訪れるのは火を見るより明らかだった。
「……法律の抜け道、か。そんなもん、素人にわかるわけが……」
呟きかけた大地の脳裏に、ふと、ある人物の顔が閃いた。
黒縁メガネ。冷徹なデータ分析。
そして、ラビリスに対する狂信的なまでの信仰心。
「……あいつだ」
大地の口から、ポツリと声が漏れた。
法学部生、二階堂 蓮。
最近は『神への奉仕』だの『至高の存在』だのと完全に脳内がイカれた言動を繰り返している厄介な男だが、法律に関する知識と頭の良さは本物だ。
何より、彼はすでにラビリスの存在を受け入れ(むしろ崇拝し)、絶対に秘密を漏らさないという確かな信頼がある。
(あいつの知識と執念なら、もしかしたら……!)
スマホの画面を消し、大地は静かに立ち上がった。
明日勤務後に、シフトが被る蓮をバックヤードに呼び出し、核心を伏せつつすべてを打ち明けて相談する。
大地の胸の中で、次なる作戦が明確に定まった瞬間だった。
――翌日の夕方。
コンビニのシフトが入れ替わるタイミングを見計らい、大地はバックヤードで私服に着替え終えた蓮の背中に声をかけた。
「……蓮、少し時間いいか。ラビリスのことで、相談があるんだ」
蓮は足を止め、無機質な動作で眼鏡のブリッジを押し上げた。
その瞳には、いつもの冷静な理知の光が宿っている。
「ラビリスちゃんのこと、ですか。店長が私に改まって相談を持ちかけるということは、事態はプライベートな範疇を超えていると推察しますが」
「あぁ」
大地は一度深く深呼吸をし、蓮の目を真っ直ぐに見る。
そして、周囲に誰もいないことを確認し、声を潜めた。
「……詳しくは話せない事情があるんだが。……その……ラビリスには、今、この国での……『戸籍』がないんだ」
「…………」
蓮は表情を変えず、数秒間の沈黙を置いた。
驚きを露わにするのではなく、頭の中の法律知識を整理しているような、静かな沈黙だった。
「……戸籍がない、つまり無戸籍児童ということですね。……店長、まさかとは思いますが、彼女をその状態のまま放置しておくつもりではないでしょうね」
「当たり前だ。だから相談してる。ただその前に……俺はあいつを、小学校に通わせてやりたいと思ってるんだ。あいつも……昨日、本当は学校に行きたいんだって、自分の口で言ったんだよ」
「……本人が、望んでいると」
蓮の視線が、わずかに鋭くなった。
「店長。法的に最も簡潔な解決策を提示します。貴方が彼女を『認知』してください。貴方が自分の子であると役所に届け出をし、貴方の戸籍に入れれば済む話です。父親としての責任を果たせば、就学通知などすぐに発行されます」
「……っ」
あまりにも真っ当な、法学部生らしい最短ルートの正論。
大地は一瞬言葉に詰まったが、必死の思いで「設定」を絞り出した。
「い、いや……それができれば苦労しねぇよ。……母親の素性が、その、かなり複雑なんだ。今変に動いて俺の籍に入れようとすると、あいつの身に危険が及ぶっつーか……とにかく、今は俺との親子関係を証明せずに、あいつを学校に通わせる方法を探してるんだ」
「母親の素性が複雑、ですか……」
蓮は感情を読み取らせない無機質な瞳で、大地をじっと見つめた。
「……正直、なんの事情も伝えられないまま相談に乗るのは、気が進みませんね」
「そりゃそうだ……すまん」
彼の言葉にぐぅの音も出せず、大地は肩を落とした。
「……ですが、私はこれまで店長と働く中で、貴方の人となりを見てきたつもりです。その上で、貴方が不誠実なことをする人間とは到底思えません。……それを信じて、店長の不可解な過去は一旦横に置いておき、私なりに答えを探してみることにします。それに何より……ラビリスちゃんが望む『教育の場』を、大人の事情で奪うことは許されない。それは法を学ぶ者として、見過ごせません」
蓮は鞄からタブレットを取り出し、淡々と画面を起動させた。
「親子関係の証明を介さず、かつリスクを最小限に抑えて彼女を公教育の場に潜り込ませる……。法的な特例と、行政の運用上の隙間を探します。少し、時間をください」
その声は冷徹だったが、タブレットを操作する指先には、彼なりの強い意志がこもっていた。
――数十分後。
蓮はタブレットの画面を幾度もスワイプし、自治体のガイドラインや過去の判例を高速で精査していたが、やがてその指が止まった。
「……やはり、現行法の枠組みでは限界がありますね。教育基本法や児童福祉法の精神に則れば、就学そのものは可能ですが、その入り口となるのは……」
「……役所、だよな。教育委員会とか窓口を通るルートしか出てこない」
大地がスマホの画面から目を離し、重苦しく言葉を継ぐと、蓮は無機質なレンズの奥で目を細めた。
「えぇ。当然と言えば当然ですけどね」
「……やっぱり覚悟を決めて、役所の窓口に正面から突っ込むしかないか?戸籍がない事情はなんとか適当な嘘で固めて、あいつの就学だけを最優先に認めさせる。リスクはあるが、それしか確実な方法が思いつかん」
大地の言葉を聞いた瞬間、蓮は明確に、そして冷徹に首を横に振った。
「その方法は、推奨できません。あまりにリスクが大きすぎる」
「……どういうことだ?」
「無戸籍児童として役所に相談をすれば、事務的に処理されるだけでは済みません。自動的に児童相談所や法務局、場合によっては警察にも通知が飛びます。国家による『管理』が始まるということです。万が一、聞き取りの中で矛盾が生じたり、居住実態に不審な点が見つかれば……ラビリスちゃんは即座に隔離され、貴方の元から引き離される。最悪の場合、取り返しのつかない事態になる恐れがあります」
蓮の冷たい指摘が、大地の背筋に嫌な汗を流させた。
国に管理される。それは、ラビリスが『異世界の存在』であるという秘密が、国家権力の監視下に置かれることを意味する。
一度その歯車が回りだせば、一店長に過ぎない大地に止められるはずもなかった。
「……じゃあ、他に手はねぇのかよ」
「……法的な特例をいくつか当たってみますが、期待はしないでください。代替案として、しがらみのない民間のフリースクールも視野に入れておいた方がいいでしょう。そこなら戸籍の有無を問わず、快く受け入れてくれる場所も多いはずです」
蓮の進言は、極めて合理的で現実的なものだった。
だが、大地はその提案を聞きながら、静かに、そして強く拳を握りしめていた。
(……確かにフリースクールなら、ラビリスを温かく迎えてくれるだろう。そこでもきっと、あいつは素敵な体験ができるはずだ。……でも、違うんだ)
大地の脳裏に、テレビ画面を見つめていたラビリスの、あの眩しそうな瞳が浮かぶ。
(今、あいつが求めているのは……。みんなと同じ制服を着て、同じ門をくぐり、同じ時間を過ごすことだ。特別な場所じゃなくて、みんなが当たり前に通う場所で、当たり前の日常を仲間たちと共有したいんだ。あいつが憧れたのは、その『日常』なんだよ……)
フリースクールも、最後の手段の一つとして心に留めておく。
だが、まだ諦めたくはなかった。
「……わかった。蓮、今日はサンキュな。俺ももう少し考えてみる」
「……。力及ばず、申し訳ありません。引き続き、行政の運用上の隙間を調査しておきます」
蓮はいつになく神妙な面持ちで一礼すると、バックヤードの扉を静かに開け、帰路についた。
結局、問題は何一つ解決しないまま、大地は重い足取りでアパートへの道を歩き出した。
冷たい夜風が、突きつけられた現実の厳しさを物語っているようだった。




