☆45かいめ☆ 少女への誓い。「普通の日常」への切なる祈り
イチゴ狩りから数日経ったある日の夜、大地の部屋で。
「……じーっ」
「……む。なんじゃ大地よ、先ほどから余の顔をジロジロと見て。もしや、この『はんばーぐ』なる肉の塊が欲しいのか?仕方のない奴じゃな、一口だけなら分けてやらぬことも――」
「いや、いらない。全部お前が食え」
「なんじゃと!?せっかくの余の慈悲を無下に……!」
プンスカと怒りながら再びハンバーグを口に放り込むラビリスを、大地は頬杖をつきながら、どこか複雑な心境で見つめていた。
口の周りにデミグラスソースをつけながら、美味しそうにご飯を頬張る姿は、どこからどう見てもただの幼い女の子だ。
だが、彼女は異世界からやって来た存在であり、この日本において彼女を証明するものは何一つない。
大地はふと、今日の昼間、コンビニのバックヤードでヒナから言われた言葉を思い出していた。
――数時間前、コンビニのバックヤード。
「店長。ちょっといい?」
休憩に入ろうとしていた大地を、ヒナが珍しく真剣なトーンで引き止めた。
「ん?どうした。シフトの変更か?」
「ううん、違うの。……ホントはさ、この前のイチゴ狩りの時に切り出そうと思ってたんだけど。あのさ……ラビちゃんのことなんだけど」
「な、なんだよ……」
大地は何かバレてしまったのかと息を呑む。
続けて、ヒナは少し言いにくそうに視線を泳がせた後、まっすぐに彼の目を見て言った。
「……あの子、多分だけど……。学校に行きたいんだと思うよ。……ううん、行きたいはず」
「……は?」
予想の斜め上をいく単語に、大地は間の抜けた声を漏らした。
学校。それは、日本の子供たちが当然のように通う義務教育の場だ。
「え、あいつが?いやいや、それは……」
言葉を濁しながら、大地の頭の中では警報が鳴り響いていた。
(いや、無理だろ!あいつ異世界人だぞ!?戸籍も住民票もねぇんだぞ!どこの馬の骨とも(文字通り)わからない奴を、どこの小学校が受け入れてくれるんだよ!)
大地の常識的な心のツッコミなど知る由もないヒナは、静かに言葉を続けた。
「……こないだお家行った時さ、ラビちゃん、マジプリの学校のシーン見て……なんか、目が離せないって感じだったんだよね」
「そんなまさか……。むしろ嫌がりそうなもんだけどなぁ」
顎に手を当てながら答える大地を、ヒナはジト目で睨みつける。
「……え、マジなの?」
「うん。……それでアタシ、聞いちゃったんだ。『前の所では友達と遊んだりしなかったの?』って。そしたらあの子……『食パン咥えて一緒に走ってた』とか、アニメの設定まんまパクってさ。……バレバレの嘘ついて、強がってた」
「…………」
「……ラビちゃんさ、いつも『魔王の娘』とか『配下』とか言って、すっごい偉そうに強がってるじゃん?でもアタシ……あれって、寂しさを隠すための『鎧』みたいなもんじゃないかなって思うの」
ヒナの言葉が、大地の胸の奥に重く突き刺さった。
「……同年代の友達もいないし、ずっと一人で寂しくて。だから、『自分は特別なんだ』って言い聞かせて、一人でも平気なフリをしてんの。……店長もさ、ご飯食べさせたりとかお留守番とか、毎日大変なのはわかってる。でも……あの子が本当に欲しがってるのって……もっとこう、どこにでもある『フツーの毎日』なのかなって」
「――――」
大地は、雷に打たれたように立ち尽くした。
ヒナの言う『尊大な態度の理由』は、現実とは少し違っている。
だが、ラビリスが「同年代の子供と遊んだことがない」「友達がいない」というのは、紛れもない事実だった。
異世界の城で、大人(配下)たちに囲まれて育った彼女にとって、対等な子供の繋がりなど存在しなかったのだ。
(……そうだったのか。……浅はかだった。……俺は、なんて馬鹿だったんだ)
大地は唇を強く噛み締めた。
彼女に腹いっぱい飯を食わせ、安全な寝床を提供し、好きなことをさせておけば、それでいいと思っていた。
それが『保護』だと思い込んでいた。
だが、違う。
相手は、心を持った子供なのだ。
社会との繋がりや、友達と笑い合う経験、そういった『心の成長』に必要なものを、自分は異世界人だからと最初から諦め、完全に思考放棄していた。
「……ヒナ。すまん。お前の……言う通りかもしれない」
大地が絞り出すようにそう言うと、ヒナは少しだけホッとしたように微笑んだ。
「っしょ?ま、色々ムズい事情があるのは察してるけどさ!店長なら、絶対ラビちゃんを幸せにできるってアタシは信じてるから!」
――そして現在。
「……大地?おい大地、聞いておるのか!この付け合わせの甘い黄色い粒が箸で掴みにくくて難儀しておるのじゃが!」
「……あぁ、悪い」
ラビリスの不満げな声に、大地はハッと我に返り、とぼとぼとキッチンへと向かい、そこから持ってきたスプーンを手渡した。
(戸籍がない。身分証もない。そんなこと、ただの言い訳だ。こいつが本当に『普通の日常』を望んでいるなら……俺が、どうにかしてやるしかないだろ)
39歳、独身。
今まで事なかれ主義で生きてきたコンビニ店長の胸の内に、かつてないほどの『覚悟』が静かに燃え上がろうとしていた。
――数十分後、食後のひととき。
テレビからは、いつものようにマジプリの賑やかな音声が流れていた。
ラビリスはベッドの上に正座し、ウサギウスを抱きしめながら画面を見つめている。
大地はソファに深く腰掛け、食後の麦茶を飲みながら、その小さな背中をじっと見つめていた。
(……よし)
彼は小さく息を吐き、意を決して手元のリモコンを操作し、テレビの音量をグッと下げた。
「む?何をする大地よ。突然音を小さくして。余は今、戦士たちの過酷な試練を見届けておるところなのじゃぞ」
不満げに振り返るラビリス。
その真紅の瞳を真っ直ぐに見据え、大地は静かに、だがハッキリとした声で切り出した。
「……なぁ、ラビリス。お前、『学校』に行ってみたいか?」
「なっ……!?」
ラビリスの小さな肩が、ビクッと大きく跳ねた。
抱きしめていたウサギウスが、ポスッとベッドの上に転がり落ちる。
「ば、馬鹿を申せ!なぜ魔王の娘たるこの余が、下民の子供たちと机を並べて、同じ装束で集団行動など……っ!」
「…………。でも本当は友達とか欲しいんじゃないのか?」
「な、何を言う!余には既に、城で共にパンを咥えて走る友がおったわ!」
ヒナについたのと同じ、アニメの知識をごちゃ混ぜにした苦しい嘘。
いつもなら「そんな奴いねぇだろ」と呆れてツッコミを入れるところだが、今日の大地は違った。
彼は笑わず、ため息も吐かず、ただ静かにラビリスを見つめ返した。
「……強がらなくていい。ヒナから聞いたよ。お前が、学校っていう場所に興味を持ってるんじゃないかってな」
「……ッ」
「お前が今までいた城には、同年代の友達なんていなかったんだろ?……気づいてやれなくて、悪かったな」
図星を突かれ、ラビリスは言葉に詰まった。
真紅の瞳が大きく揺れ、彼女はギュッと唇を噛み締めて視線を落とす。
膝の上で握られた小さな手が、微かに震えていた。
「いいか、ラビリス。よく聞いてくれ」
大地はソファから立ち上がり、ベッドの前にしゃがみ込んで、彼女と同じ目線になった。
「お前は異世界から来た。だからこの国には、お前が『ここに存在している』って証明するものが何一つないんだ。……正直に言うと、お前を学校に通わせるのは、魔法を使うよりもずっと、ずっと難しい」
彼の現実的で厳しい言葉に、ラビリスの顔が曇る。
しかし、大地は彼女の小さな両肩に、そっと、だが力強く手を置いた。
「でもな。お前が本当に『学校に行きたい』って望むなら……絶対に通わせてやるって約束はできないけど、それでも俺が精一杯、やれるだけのことは全部やってやる」
くたびれたコンビニ店長。
決して頼りがいのある魔法使いでも、伝説の勇者でもない。
ただの平凡な大人の男の、それが嘘偽りのない、全力の覚悟だった。
「だから、魔王の娘としてじゃなく……お前自身の本当の気持ちを、俺に教えてくれ」
静まり返ったアパートの一室。
大地の真剣な眼差しを受け止め、ラビリスはしばらくの間、俯いたままじっと動かなかった。
やがて。
「……い、行きたい」
ポツリと、消え入るような声が落ちた。
「余も……ヒナやあの戦士たちのように……。共に……、共に笑い合える『友』が欲しい……っ。あの学校なる場所に……普通の日常とやらに、行ってみたいのじゃ……!」
ついに溢れ出した、年相応の純粋な本音。
ポロポロと大粒の涙をこぼし始めたラビリスの頭を、大地は大きな手で、不器用ながらも優しく撫でた。
「……わかった。俺に任せとけ」
――こうして、39歳独身のコンビニ店長による、異世界人の少女を『現代日本の小学校に入学させる』という、前代未聞の極秘ミッションが幕を開けたのである。




