☆43かいめ☆ 弾ける果汁、弾ける笑顔
「――店長。到着しました。目的地の正面ゲートです。予約時間との誤差はマイナス5分、完璧です」
蓮の淡々とした報告と同時に、軽自動車は郊外の広大な敷地に足を踏み入れた。
車窓の外には、春先の陽光を浴びてキラキラと輝く、見渡す限りの巨大な半円柱状の建造物がいくつも並んでいる。
「……な、なんじゃ、あの異形の建造物は……!」
車の窓に鼻を押し付けていたラビリスが、驚愕の声を上げた。
透明な幕で覆われ、内部からは微かに陽炎のような熱気が立ち昇っている。
「おぉ……!なんという強大で、広大な魔力結界じゃ!内部に凄まじい熱と魔力を封じ込めておる予感がするぞ!パパよ、あやつらは一体何を守っておるのじゃ!?」
「結界じゃなくてビニールハウスな。……ま、中に入ればわかる」
大地は苦笑しながら車を停め、一同を降ろした。
ヒナがラビリスの手を引き、受付を済ませてハウスの入口へと向かう。
大地から「1時間、ここにあるイチゴは自分で摘んで食べ放題だ」というシステムを説明され、ラビリスの真紅の瞳は期待に燃え上がった。
「なんと!自らの手で財宝を掘り出せと言うのか!ふふ、よかろう。その試練、余が受けて立とう!」
ヒナがハウスのビニールカーテンを開けると、そこには、春先の少し冷たい空気とは無縁の、暖かく、そして甘く濃厚なイチゴの香りに満ちた別世界が広がっていた。
見渡す限りの緑の葉の間に、手のひらほどもある大粒の、真っ赤に熟したイチゴが、鈴なりに実っている。
「おおおおお……っ!!」
ラビリスは息を呑み、その場に立ち尽くした。
「こ、これが……紅い宝石。しかし、なんという美しさじゃ……!」
「それな!?やっぱイチゴ狩りにして正解だったっしょ!?」
「イ、イチゴじゃと!?こ、これが……?余の知るイチゴとはまるで違う……一粒一粒が大きく、まるで魔力を凝縮した宝玉のように輝いておるぞ……!」
彼女の知るイチゴは、もっと実は小さくゴツゴツとしており、味も酸味が勝るものだった。
しかし、目の前にあるのは、人間の叡智と情熱によって極限まで品種改良された、至高の果実だ。
「よしっ、ラビちゃん!早速あそこの大きいの、摘んでみよっ!」
ヒナに促され、ラビリスは一番手前にあった、完熟して黒ずむほどの赤みを帯びた大粒のイチゴに、小さな手を伸ばした。
その、瞬間だった。
葉の影から、ブゥーン……という、低く、しかし羽ばたきの速さを感じさせる不穏な音が、ラビリスの鼓膜を捉えた。
そして、彼女が掴もうとしたイチゴのすぐ隣、白い花の上に、黄色と黒の縞模様を持つ、小さな羽虫が着陸した。
「……ッ!?て、敵襲じゃ!!」
ラビリスは弾かれたように後ずさり、身構えた。
今回はウサギウスを家に(大地に言われて渋々)置いてきたため、彼女はワンピースの裾を翻し、小さな両手で臨戦態勢に入る。
「おのれ!結界内に、異形の羽虫が侵入しておるぞ!小さいながらも、そのオーラ……タダ者ではない!」
「おい待て、止めろ!」
大地が慌ててラビリスの前に立ち塞がり、その小さな肩を掴んで制止した。
「あれはミツバチだ!何もしなきゃ刺さねぇから大丈夫だって!ここのイチゴのために働いてくれてるんだよ!」
しかし、異世界の魔王の娘にとって、黄色と黒の警告色は『危険な魔獣』の象徴でしかなかった。
「戯れ言を!あの禍々しい色彩……!間違いなく、この宝石を奪いに来た略奪者じゃ!」
「……ラビリスちゃん、ご懸念には及びません」
その時、後方から蓮の冷徹な声が響いた。
彼はタブレットを小脇に抱え、メガネを中指でクイッと押し上げながら、ミツバチの方へと静かに歩み寄る。
「そのミツバチは、このハウスにおける受粉の儀式を執り行う、神聖なる眷属です」
「……眷属?あの羽虫が?」
「えぇ。彼らの活動こそが、花の生命力を実へと繋ぎ、この『紅い宝石』を創り出すための不可欠なプロセス。敬意を払うべき存在であり、決して仇なす存在ではありません」
蓮はデータ分析者としての冷静さと、ラビリスに対する信仰心を交え、淀みなく言い切った。
「……ふむ。なるほど。……あの羽虫どもは、この宝石を育むための下僕であったか。メガネよ、大儀である」
お褒めの言葉を賜って震える蓮を無視し、彼女はゆっくりと戦闘態勢を解き、フゥッと短く息を吐いた。
「では、改めて。試練を再開するとしよう」
ラビリスは、先ほどミツバチが止まっていた花とは反対側にある、一番大きくて真っ赤なイチゴに狙いを定めた。
「いいかラビリス。引っ張るんじゃなくて、手首をこう、スナップさせる感じでヘタの根元からポキッと折る感じだ。さ、やってみろ」
大地に見本を見せられ、ラビリスは真剣な面持ちでイチゴをそっと指先で摘まんだ。
その表情は、かつてない強敵の急所を捉えようとする戦士のように張り詰めている。
(……この余に摘み取られる栄誉を喜ぶがよい!いざ……!)
ヘタの部分で小気味良くプチッと音を立てて外れたそれは、あっさりとラビリスの小さな手のひらに収まった。
「おぉ……!取れたぞ、パパ!ヒナ!メガネ!見よ、この余が見事に、この光り輝く宝玉を手中に収めたぞ!!」
まるで伝説の聖剣でも引き抜いたかのように、ラビリスはイチゴを高く掲げて歓喜の声を上げた。
「あはは!ラビちゃん天才!ガチで様になってる!そのまま口の近くに持ってって!写真撮るから!」
「……えぇ。指の角度、イチゴの赤とワンピースのコントラスト、すべてが完璧です」
ヒナがスマホを構えて連写し、蓮が無表情のまま狂信的な賛辞を贈る。
「おいお前ら、撮影会はいいから早く食わせてやれよ。ラビリス、洗わなくていいからそのまま食べてみろ」
大地が呆れたような、しかし優しい声で促す。
ラビリスはずっしりと重く、熟した果実特有の濃厚な香りを放っているイチゴを見やった。
(お、重い。本当にこれはイチゴなのか?しかし、この鼻をくすぐる芳醇な香り……)
ゴクリと喉を鳴らす。
そして真っ赤なイチゴを両手で持ち、大きく口を開けて、思いきりかぶりついた。
「――ッ!?」
噛んだ瞬間。
口の中で、まるで甘い爆弾が弾けたかのような衝撃が走った。
「……ふ、んんんんんんぅぅぅぅぅぅぅ……ッッ!!!!」
ラビリスの真紅の瞳が、これまでにないほどキラキラと輝き、その顔には、威厳も何もない、ただの子供としての純粋な幸福感が満ち溢れた。
「……なんじゃ……この甘さは……!果汁が……果汁が爆発して、口の中が甘い魔力で満たされていく……!余の知るイチゴは、もっと酸っぱくて、実も硬かったぞ!しかしこれは……じゅわぁ……っと、口の中でとろける……!美味い!美味すぎるぞ!」
品種改良という名の、この世界の錬金術の結晶。
その圧倒的な甘さと食感に、魔王の娘は完全に心を奪われ、思わず満面の笑顔が弾けた。
その笑顔を至近距離で見た蓮は。
「…………ッ!!」
声にならない悲鳴を上げ、タブレットを見つめたまま、眼鏡を光らせ、口元が微かに震え始めた。
(……至高。なんという知性溢れる食レポ。さらに、ラビリスちゃんがすべてのデータを肯定した……。気象、日照、土壌、そしてミツバチの活動……すべての変数が、この一瞬のために最適化されていたと言っていい……。これぞ、糖度の極致……。我が生涯に一片の悔いなし……!)
彼はタブレットの糖度計の数値を指差しながら、限界突破したオタクの形相で、心の中でさらに深い信仰を誓うのだった。
「でしょー!ラビちゃん、ビタミンCもたっぷりだからね!もっといっぱい食べな!アタシ、練乳も持ってきたかんね!」
「む!れ、れんにゅう……?この極上の果実に、これ以上何を施すというのじゃ!?」
ヒナがカバンから練乳のチューブを取り出すと、ラビリスの目がさらに輝く。
大地はそのやりとりを見守りながら、自分の手元にあったイチゴをポンと口に放り込んだ。
「うん。美味い」
平和な光景と、イチゴの甘さに口元が緩むのを感じながら、彼もその賑やかな輪の中へと入っていった。




