☆13かいめ☆ 社会的抹殺の危機!?
「さて、荷物も増えたし、帰りはエスカレーターを使わずに地下まで降りるぞ。……覚えてるか? 最初に言っただろ、『部屋ごと運んでくれるエレベーター』だ」
「……む?おぉ、空間転移の儀式か。忘れてはおらぬぞ。……ウサギウスよ、油断するな。これより我らは、この世界の秘術を体験することになる」
ラビリスは、自分の顔が隠れるほど巨大なウサギウスの頭をぎゅっと押し下げ、銀色に輝く重厚な扉の前に立った。
ポーン。
軽快な音と共に、左右に扉が開く。
そこには、密閉された小部屋があった。
「……ほう。これが『部屋』か。窓もない、ひどく無機質な空間じゃな。して、大地。供物はどこに捧げればよい?どの呪文を唱えれば、我らは地下へと転送されるのじゃ?」
「いや、供物はいらない。このボタンを押すだけだ」
大地が『P』のボタンをポチりと押す。
扉が静かに閉まり、密室となった空間に、ラビリスの緊張が走る。
「……何も起きぬぞ?振動も、魔力の奔流も――」
言いかけた、その時だった。
ふわっと胃のあたりが浮き上がるような、独特の浮遊感がラビリスを襲う。
「――っ!?な、なんじゃ、今の感覚は!大地、足元を見よ!地面が、地面が消えておるのではないか!!」
抱えたウサギウスで下が見えない彼女が、恐怖の声を上げる。
「消えてない、消えてない。今、この部屋ごと下に降りてるんだよ」
「馬鹿な!景色も変わらぬのに、降りているなどと……。もしや、外の世界だけを高速で作り替えておるのか!?なんという大規模な術式……!」
ラビリスは大地の腕を掴み、同時にウサギウスに顔を埋めてその「感覚」に耐えた。
彼女にとって、重力が変化するこの数秒間は、異世界の転送門を潜り抜けるよりも不気味で不可解な体験だった。
ポーン。
再び音が鳴り、扉が開く。
そこには、先ほどまでの煌びやかな光の世界ではなく、コンクリートの柱が立ち並ぶ、少しひんやりとした地下駐車場の光景が広がっていた。
「……つ、着いたのか?本当に、一歩も歩かずに?」
「あぁ。ここは乗ってきた車を停めてある場所だ」
ラビリスは恐る恐る、小部屋から一歩踏み出した。
振り返ると、そこにはただの銀色の壁があるだけで、自分たちが数階分を移動したという物理的な証拠は何一つ残っていない。
「……恐るべし、人間よ。貴様らはいつの間に、これほどまでに『物理』を弄ぶ術を得たのじゃ……」
ウサギウスを抱え直し、呆然とエレベーターを見上げるラビリス。
光あふれる迷宮から、静寂の駐車場へ。
手に感じるぬいぐるみの柔らかさと、先ほど体験した不思議な浮遊感。
ラビリスの中で、この「人間界」という場所の認識が、単なる「下等な種族の住処」から、「理解不能な知恵に満ちた異空間」へと、完全に上書きされた瞬間だった。
薄暗い地下駐車場に、大地の車のロックが解ける「ピピッ」という電子音が響く。
大地は手慣れた動作で助手席のドアを開けたが、ラビリスが抱える巨大な白い塊を見て、すぐに苦笑いを浮かべた。
「……さすがに、お前が抱えたまま助手席に乗るのは無理があるな。ウサギウスは後ろの座席に座らせてやったらどうだ?」
「む……。致し方あるまい。これほど巨大な者を膝に乗せては、万が一の奇襲の際、余の反撃が遅れる可能性があるな」
ラビリスはもっともらしい理由を並べ、ウサギウスを愛おしそうに撫でた。
「ウサギウスよ、しばしの別れじゃが心を強く持つがよい。余はすぐ前の席におるゆえ、案ずるな」
彼女は大地の開けた後部座席へとウサギウスを鎮座させた。
ふかふかのシートに、もふもふな巨体が乗り込む。
「よし、じゃあ閉めるぞ」
大地がドアを閉めようとした、その瞬間。
「待て!はやまるな!!」
ラビリスが、処刑執行を止めるかのような切実な声を上げた。
「なんだよ、びっくりするだろ。忘れ物か?」
「……愚か者め。ウサギウスに『命綱』を装着しておらぬではないか!貴様の馬車は、風を斬るほどの猛速で駆ける。配下を守るのもまた、主たる余の役目……しばし待て」
ラビリスは身を乗り出し、後部座席へと潜り込んだ。
彼女が手に取ったのはシートベルトだ。
「……………」
たどたどしい手つきでベルトを引き出し、ウサギウスの真っ白な肩にそれを回す。
異世界の鎧の緒を締めるような、あるいは拘束魔法を施すような真剣な面持ちで、彼女は後部座席の隙間から飛び出たバックルに金具を差し込んだ。
カチッ。
駐車場に、小気味よい金属音が響く。
「……よし。これで、いかなる衝撃がこの馬車を襲おうとも、ウサギウスが放り出されることはあるまい」
大きなぬいぐるみの胴体をがっしりと固定し、満足げに頷くラビリス。
シートベルトに少しだけ締め付けられ、より一層丸っこくなったウサギウスは、どこか誇らしげに、あるいは少し苦しそうに前を見据えているように見えた。
「……満足か?来る前とは段違いの安全意識だな、お前」
「ふ、ふん。当たり前じゃ!有能な人材を、移動中の事故などという下らぬ理由で失うわけにはいかぬからな!」
ラビリスは顔を真っ赤にしながら、ようやく後部座席から這い出し、満足感に満ちたドヤ顔で大地を見上げた。
「よし、じゃあお前も早く乗れ。暗くなる前に帰るぞ」
「うむ。では居城へ帰還するとしよう」
ラビリスが慣れない足つきで助手席に収まると、大地は「ほら、お前も命綱だ」と言いながら身を乗り出した。
シートベルトを探り、彼女の肩越しに手を伸ばす。
その時、ふと、彼の視線がラビリスの襟元に留まった。
試着室で着替えたばかりの、新品のパーカー。
その少し広めの首元から、ラビリスの幼い鎖骨と、陶器のように真っ白な素肌が覗いている。
「…………」
大地の動きが、ピタリと止まった。
バックルを差し込もうとした指先が、空中で凍り付く。
(……待て。……おい、待てよ。俺はさっき、服屋で何を買った?)
脳内のレシートを高速で巻き戻すも、それの存在は確認できない。
彼女の「外見」が完璧に馴染んでいたせいで、思考がそこで停止していた。
(下着……。『中』に履くものを、一着も買ってない……!!)
つまり、今の彼女はこのパーカーの下に、異世界の肌着をそのまま着ているか、あるいは……最悪のケースを想像して、大地の顔から血の気が引いた。
「……大地?どうしたのじゃ。なぜそのような、石化したガーゴイルのような顔をしておる?」
至近距離で、ラビリスが不思議そうに首を傾げる。
大きな瞳が真っ直ぐに自分を射抜き、無垢な体温がすぐそばにある。
だが、今の彼にとってそれは「癒やし」ではなく、「通報一歩手前の恐怖」でしかなかった。
(40近い男が、小さな女の子を連れ回しておいて、下着の一枚も用意してないなんて……。もしこれで職質でも受けて、着替えの荷物を改められたら……。俺の社会的生命は一瞬で終わる!!!)
「お、おい、大地……!そなた、もしや毒気に当てられたか?どこか悪いのか!?」
急に冷や汗を流し始めた大地を見て、ラビリスが不安げに彼の腕を掴む。
「……いや。……悪い。ラビリス。……今すぐ、もう一回、店に戻るぞ」
「なっ!?なぜじゃ!既に必要物資も配下も確保したではないか!」
「……重大な……国家機密級の『備品』を、買い忘れたんだよ……っ!」
大地は震える手でラビリスの手を掴んだ。
せっかく「パパ」としての信頼を築きかけたこの日に、自らの「独身男としてのデリカシーの欠如」を呪わずにはいられなかった。




