☆12かいめ☆ お願い
「すまん!待たせたな!」
大地の声が響いた瞬間、ラビリスはビクッと肩を跳ねさせ、弾かれたように彼の方へと駆け寄った。
「……遅いぞ!余の『戦力調査』は既に完了したわ!そなたの不手際で、どれほどの時間を浪費したと思っておるのじゃ!」
「悪かったって、怒んなよ。……それで?さっきの調査、あの『うさぎ』が気に入ったのか?」
「なな、何を馬鹿なことを!あのような、もふもふとした軟弱極まりない物体に、この余が興味を持つわけがなかろう!」
ラビリスは顔を耳まで真っ赤にして否定した。
だが、その視線は隠しきれず、何度も背後の白い塊へと吸い寄せられている。
(ほんっとに素直じゃねぇな、こいつ……)
大地は苦笑しながら、その巨大なぬいぐるみを見上げた。
魔王の娘に買い与えるにはあまりに可愛らしすぎるが、だからこそ今の彼女には必要なものに思えた。
「……まぁ、なんだ。一緒にいるのが俺みたいなおっさんだけだと、お前も面白くないだろ?そこで提案なんだが……あのうさぎを……そうだな。そう!お前の『配下』に加えてやったらどうだ?」
「……なに?余の、配下だと?」
ラビリスの動きが止まった。
「あぁ。見たところ、あの白さは隠密行動には向かないが、敵を油断させる囮としては一級品だ。……ただし、あいつを雇うにはそれなりの契約金がいる」
大地は少し意地悪な笑みを浮かべ、腰を落としてラビリスと視線を合わせた。
「お前がちゃんと、俺に『お願い』できたら、あいつを『パパ』が雇ってきてやるよ。……どうだ?お前の軍団に、一人くらいああいうのがいてもいいんじゃないか?」
「お、おね……っ。き、貴様、この余に向かって、下僕に頭を下げろと言うのか!?」
ラビリスは驚愕に目を見開いた。
魔王の娘として、他者に「お願い」など一度もしたことがない。
しかし、その視線の先には、自分をじっと見つめている(ように見える)うさぎの丸い瞳。
「契約なんだから仕方ないだろ。……さぁ、どうする?嫌ならこのまま帰るけど」
「ま、待て!早まるな!」
ラビリスは、喉まで出かかった「お願い」という言葉と、数千年の重みを持つ「魔族の矜持」の間で、かつてないほどの激しい葛藤に身を投じることになった。
「ほら、どうするんだ?嫌なら無理にとは言わないぞ。必要なものも買えたし、もう帰ってもいいんだからな」
大地はわざとらしく出口の方へ足を向け、カウントダウンを始める。
「ま、待て!待たぬか貴様!早まるなと言っておろうが!」
ラビリスが慌てて大地の裾を掴んだ。
その顔は、今にも沸騰しそうなほど真っ赤に染まっている。
(お、おのれぇ……!この余に、下等な人間に向かって『お願い』などという屈辱的な言霊を吐けというのか!?魔族の王(予定)としての威厳はどうなる!先祖代々の英霊たちに合わせる顔がないではないか!!)
彼女の脳内では、歴代魔王たちの幻影が「軟弱なり!」と一喝し、一方で目の前の白い「うさぎさん」が「ボクを雇って?」と無垢な瞳で見つめてくる。
かつてない規模の精神的内乱が、彼女の小さな体の中で巻き起こっていた。
「……お、……ぉ……」
「ん?何か言ったか?」
「……ぉ、ね……が…………」
「悪い、おもちゃのデモの音がうるさくて聞こえないな。もっとはっきり言ってくれないと、契約は結べないぞ?」
大地は耳に手を当て、意地悪く身を乗り出した。
「ぐ、ぬぬぬぬぬ……!!」
ラビリスは、強く拳を握りしめた。
あまりの葛藤に、頭のてっぺんから湯気が立ち上りそうだ。
彼女はギュッと目を瞑り、ついにその言葉を解き放った。
「……っ、おねがい……じゃ!!パパ……!!あの『もふもふ』を余の配下として雇い入れよ!頼む、この通りじゃ!!」
それは、魔王の娘が生まれて初めて口にした、敗北の、そして究極の「甘え」の言葉だった。
静まり返る二人の間の空気。
ラビリスは顔を伏せ、耳まで真っ赤にしたまま、大地の裾を震える手で握りしめている。
その姿は、ただ「どうしても欲しいものがある、一人の小さな女の子」そのものだった。
「…………」
大地は、一瞬だけ呆気に取られた。
冗談半分で仕掛けた試練だったが、彼女がこれほどの熱量で食らいついてくるとは思わなかったからだ。
(……ったく。そんな顔して言われたら、こっちの惨敗だよ)
彼はふっと表情を緩め、彼女の頭にポンと手を置いた。
「……よし。契約成立だ。最高に有能な配下を、今すぐ連れてきてやる」
「……ま、まことか!?嘘ではないな!?」
パッと顔を上げたラビリスの瞳には、隠しきれない歓喜の光が宿っていた。
「……よし、待たせたな。雇ってきたぞ」
レジでの会計を終えた大地が、大きな白い塊を抱えて戻ってきた。
それはラビリスの小さな体を半分以上覆い隠してしまうほど、巨大で、圧倒的な存在感を放っていた。
「ほら、お前の新しい配下だ。しっかり受け取れよ」
「……っ!!」
ラビリスの瞳が、大きく見開かれる。
彼女は一歩前に出ると、溢れ出しそうな笑みを必死に抑え込み、あえて険しい顔を作って大地と「配下」の前に立った。
「う、うむ……。苦労をかけたな。……では、これより『魔王軍・特務工作員』の授与式を執り行う!」
彼女は厳かに、まるで聖剣を授かる騎士のような神妙な面持ちで、大地の腕からぬいぐるみを受け取った。
「貴様。今日より余の配下として、この人間界における余の身辺警護、および精神的安寧の保持を命ずる!名は……そうじゃな、『ウサギウス一世』と名付ける!」
(……長いな、名前)
ラビリスは、仰々しく名付けを完了させると、そのままウサギウス一世をギュッと力いっぱい抱きしめた。
その瞬間――彼女の思考が停止した。
(……!?な、な、なんじゃ、この……柔らかさは!!)
腕の中に広がるのは、雲を直接掴んでいるような柔らかさ。
そして、どこか日向のような、温かく優しい香りが鼻先をくすぐる。
彼女の小さな指が、その長い耳に触れた。
滑らかな毛並みが指をすり抜け、これまで彼女が知っていた「冷たくて硬い玉座」や「重い鉄の剣」とは正反対の、「無償の優しさ」が全身を包み込んだ。
「……むふ、むふぅ……。なんじゃこれ、なんじゃこれは……。羽毛よりも軽く、綿よりも柔らかい……。こやつ、余の腕を溶かす魔法でも使っておるのか……?」
「おい、ラビリス?授与式は終わったのか?」
「………………」
ラビリスからの返答はない。
彼女は巨大なウサギウス一世の真っ白なお腹に顔を埋め、そのままフリーズしていた。
見れば、真っ赤になっていた耳が、今度は別の意味でポッと赤らんでいる。
「……ふん。致し方なしじゃ。こやつ、余の覇気に当てられて震えておるゆえ、余が直々に抱えて、その震えを鎮めてやらねばならぬようじゃ……」
顔を上げたラビリスの表情は、とろけるような幸福感に満ちていた。
大きなぬいぐるみを抱え、前がほとんど見えない状態でよろよろと歩き出す彼女。
その背中からは、「嬉しい」という感情が、隠しきれないオーラとなって溢れ出している。
「おいおい、前が見えてないぞ。ほら、手」
「……う、うむ。……パパよ、しっかりと案内せよ。余とウサギウスが、道に迷わぬようにな」
彼女は大切なウサギウスを一瞬落としそうになりながらも、片腕で必死に抱え直し、空いた小さな手を大地の手に重ねた
「はいはい。了解したよ、我が王」
夕暮れ時の光が差し込むショッピングモールの通路を、大きな白い塊を愛おしむように抱えた少女と、それを見守る中年の男が、ゆっくりと進んでいく。
それは、魔王の軍勢の進軍というよりは、どこからどう見ても「パパに甘えてご褒美を買ってもらった、世界で一番幸せな女の子」の姿だった。




