☆11かいめ☆ 矜持の裏に
「……さて、いつまでもここに居ても仕方ない。腹ごなしに少し歩くか」
大地は空になったトレイを片付け、何気ない口調で促した。
「うむ。同意じゃ。戦士たるもの、飽食の後に身を沈めては鈍るというもの。……して、次はどこへ向かうのじゃ?余をここの『中枢』へと案内するのか?」
「中枢、ねぇ……。まぁ、そんな感じの場所だよ。ちょっと俺も、仕事で使う備品があるか見ておきたいしな」
大地は適当な理由を並べ、ラビリスを伴って歩き出した。
賑やかな飲食店街を抜け、エスカレーターを一つ上がり、婦人服や紳士服の並ぶ落ち着いたエリアを通り過ぎる。
(……ふん。布、布、また布か。この世界の人間は、どれだけ着飾れば気が済むのじゃ)
最初は退屈そうに周囲を眺めていたラビリスだったが、ある一角を曲がった瞬間、彼女の足がぴたりと止まった。
そこは、これまでのエリアとは明らかに「空気」が違っていた。
「……む?大地、待て。前方の様子が……おかしいぞ。色彩が、狂っておる……!」
彼女の視線の先には、原色をふんだんに使った巨大な看板。
そして、棚の端から端までを埋め尽くす、圧倒的な物量の「箱」が並んでいた。
そう、この場所はショッピングモールが誇る広大な『子供の聖域』。おもちゃ売り場だった。
「あぁ、ここか……ちょっと場所を間違えたかな。まぁ、せっかくだし少し通り抜けていくか」
大地はわざとらしく首を傾げながら、その聖域へと足を踏み入れた。
「……っ。な、なんじゃ、この……魔力の残滓のような輝きは……!」
一歩、また一歩と進むにつれ、ラビリスの瞳は大きく見開かれた。
勝手に走り回る色鮮やかな四輪車。ボタン一つで雄叫びを上げる巨大な竜の模型。
そして何より、先ほどのメニューの隅にいた「玩具」など、砂粒の一つに過ぎないと思わせるほど精巧な人形たちの群れ。
「……おい、パパ。あ、あそこを見よ!あの透明な箱の中にある城……!あのような緻密な細工、王宮お抱えの彫刻師でも一生を賭さねば作れぬ代物ではないか!!」
「あぁ、あれはブロックだな。こっちでは子供が自分で組み立てて遊ぶんだぞ」
「……こ、これを、幼子が作るだと!?貴様、また余を担いでおるな!この世界の幼子は、全員が神の手を持つ匠だというのか!!」
もはや、隠しきれない興奮でラビリスの肩が震えている。
大地は隣で、「やれやれ」と言いたげな表情を作りつつも、彼女が次々と「未知の秘宝」に目を輝かせる様子を見守っていた。
「……ラビリス。悪いんだが、俺はあっちのエリアで他にいりそうなものをいくつか探してくる。お前は少し、ここで時間を潰しててくれないか?」
大地は時計を眺めながら言った。
「なっ……余を一人にするというのか!?もし刺客が襲ってきたらどうするつもりじゃ!」
「大丈夫だって。ここは平和の象徴みたいな場所だし、すぐそこのレジに……あー、そう、『守衛』もいる。いいか、この売り場からは絶対に出るなよ?」
「 ……ふん、よかろう。そこまで言うのなら、余がこの地の『戦力調査』を行ってやろうではないか。……早く行け、パパよ!」
大地が苦笑しながら人混みに消えていくのを見届け、ラビリスは一人、色鮮やかな迷宮へと踏み出した。
「……ほぅ。まずは、あそこの『動く箱』から調査するとしようか」
彼女がまず目を止めたのは、専用のコースを猛スピードで駆け抜ける『ミニ四駆』や『ラジコン』だった。
魔力による駆動音ではなく、乾いたモーター音が響く。
(……馬鹿な。一切の術式が刻まれておらぬのに、なぜこれほどまでに統制された動きができるのじゃ?もしや、中に精霊でも閉じ込めておるのか!?)
次に彼女を驚かせたのは、壁一面を埋め尽くす『精巧なフィギュア』の棚だった。
鎧の隙間、髪の毛、そして瞳の光沢。彼女の世界では英雄の石像ですらこれほど緻密ではない。
「……おのれ人間。これほどの『ゴーレム』を、これほど無造作に、しかも大量に並べるとは……。この世界の工芸技術は、もはや神の領域に達しておるのか」
彼女は食い入るようにそれらを見つめたが、ふと、ある一画で足が止まった。
そこには、小さな鉄の箱の前に列を作る幼子たちの姿があった。
「……む?あれは……先ほどのおまけの玩具が入った箱か?」
カプセルトイ。
子供たちが銀色の円盤を捧げ、ハンドルを『カチカチ』と回すと、コロンと鮮やかな球体が転がり落ちてくる。
中から出てきた小さな宝物を手に、子供たちは歓喜の声を上げていた。
「…………」
ラビリスは、自分の懐を探った。そこには、何の重みも触感もない。
当然だ。彼女はこの世界の貨幣など、一枚たりとも持っていないのだから。
(……ふ、ふん。あのような、何が出るかも分からぬ無秩序な箱。余が手を出す価値など万に一つもないわ!そもそも、あのような玩具など、余が望めば大地が……)
そこまで考えて、彼女は唇を噛んだ。
「パパ」としての義務だ何だと豪語してはいるが、自分は彼に衣食住の全てを依存している身だ。
これ以上の甘えなど、許されるわけがない。
「……余は、魔王の娘。あのようなはした金で得られる快楽など、興味はない」
彼女は背筋を伸ばし、努めて毅然に、カプセルトイの列から背を向けた。
しかし、その足取りは先ほどよりも少しだけ重い。
賑やかな電子音、楽しげに笑う親子連れ、そして棚を埋め尽くす「手の届かない」宝の山。
ラビリスは、大地の姿が見えなくなった通路の奥を、ほんの少しだけ寂しそうに見つめながら、再び「調査」という名のウィンドウショッピングを再開した。
無機質なプラスチックや、冷たい金属音を立てて走るおもちゃの森を抜け、寂しげに歩いていたラビリスの足が、再び止まった。
今度は驚愕でも畏怖でもない。ただ、吸い寄せられるように、その「一点」から視線を外せなくなったのだ。
「あれは……。なんと、ふわふわとした姿なのじゃ」
視界に飛び込んできたのは、彼女の背丈の半分ほどもありそうな、白く大きな『うさぎのぬいぐるみ』だった。
ボタンのように丸い瞳、桃色の柔らかな耳。そして、遠目からでも伝わってくる、雲を固めたような圧倒的な質感。
そこへ、一組の親子が通りかかった。
「わぁ!おっきなうさぎさんだぁ!パパ見て、かわいいね!」
父親の手を握った幼子が、無邪気な声を上げてぬいぐるみに駆け寄っていく。
「……ふむ。『うさぎさん』という名前なのか。……かわいい。かわいい、か」
ラビリスは口の中でその響きを転がした。
城の中に幽閉されるように育った彼女は、他種族を支配するための知識は詰め込まれても、小さな命を慈しむ術を知らなかった。
ましてや、生き物を模した「温もりだけの存在」など、彼女の世界のどこにも存在しなかった。
(い、いかん!余は魔王軍の正統なる後継者、魔王ヴィラルが娘なるぞ!このような軟弱な物体に、心を乱されるなどあってはならぬ……!!)
彼女は激しく頭を振り、胸の奥から湧き上がる未知の感情をねじ伏せようとした。
しかし、いざその場を立ち去ろうとしても、足が鉛のように重い。
(……一撫で。ほんの一撫ですれば、あの白い毛が、どのような感触なのか確認できるのじゃが……)
彼女は、自分が「お金」を持っていないことを思い出した。
先ほどの子供のように、あれを抱きしめる権利も、ましてや連れて帰る権利も、自分にはない。
「…………」
結局、ラビリスは一歩も動けずに、その場に立ち尽くした。
背筋を伸ばし、あくまで「視察」を装う。
けれど、その真紅の瞳は、まるで磁石に引かれるように、白いうさぎの姿をずっと、ずっと捉え続けていた。
「やべっ、結構待たせちゃったな。ラビリスの奴、今頃怒ってるよな……」
大地は自分の用事を大急ぎで済ませると、額の汗を拭いながらおもちゃ売り場へと駆け戻った。
人混みをかき分け彼女の姿を探すと、意外な光景が目に飛び込んできた。
そこには、大きな白いうさぎのぬいぐるみの前で立ち尽くし、穴が開くほどそれを凝視しているラビリスの小さな背中があった。




