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【祝コミカライズ】銀狼殿下の専属薬師~冷酷な狼王子は私にしか懐かない~  作者: ぽんぽこ@銀郎殿下5/16コミカライズ開始!!


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第55話 忠実な侍女は国を滅ぼす

 砂漠との国境近くに建つ辺境伯の館には、朝から赤い砂風が吹きつけていた。


 古い石壁には長年の風で削られた跡が残り、庭に掲げられたソライアの旗も重たく揺れている。王国兵とザハル連邦の戦士たちは、互いに距離を取りながら鋭い視線を交わしていた。


 会談室の長い卓には、公王フォルス陛下とモルト殿下、そしてこの地を治める辺境伯が並んでいる。


 向かいに座るのは、ザハル連邦の赤砂派を代表するザイフという男だった。日に焼けた肌に砂色の長衣をまとい、腰には湾曲した剣を下げている。背後には黒衣の従者たちが並び、誰も表情を動かさなかった。



「我らはザハルを敵ではなく、隣人として共に歩みたい」


 フォルス陛下は落ち着いた声で告げた。

 けれど、ザイフは薄く目を細めただけだった。


「理屈はどうでもいい。我らが欲しいのは秩序だ」

「武力による支配を、秩序とは呼ばぬ」

「それは勝者が決めることだ」


 短いやり取りのたび、会談室の緊張が増していく。

 モルト殿下は頬杖をつきながらも、視線だけは周囲を警戒していた。


 ふと、窓の外へ目を向ける。

 砂丘の影で、黒い布のようなものが揺れた。


(あれは……砂漠の傭兵団? なぜここに……)


 椅子から立ち上がろうとした、その瞬間だった。



「……ぐっ……!」


 フォルス陛下が喉を押さえ、苦しそうに顔を歪める。


「父上!」


 モルト殿下が駆け寄ろうとする。

 ザイフは椅子に座ったまま、冷たい笑みを浮かべた。


「油断したな、フォルス王。貴様の国は今日、終わる」

「貴様……!」


 モルト殿下の前へ、辺境伯が割り込んだ。


「殿下、下がってください!」

「どいてくれ! 父上が!」


 辺境伯が顔を上げたとき、首筋に黒い紋様が浮かんでいた。

 狼牙を使い続けた者に現れる、変色した血管。


 モルト殿下が息を呑む。



「まさか、お前も……」


 次の瞬間、轟音が館を揺らした。

 窓が砕け、黒衣の兵たちが会談室へなだれ込む。投げ込まれた火薬が床で弾け、壁際の布に炎が燃え移った。


「公王を狙え!」

「父上を助けないと……!」


 モルト殿下が手を伸ばすが、辺境伯の兵に両腕をつかまれた。


「殿下、ここは危険です! 退避を!」

「離せ! 父上がまだ中にいる!」


 フォルス陛下は煙の中で膝をつきながらも、息子へ手を伸ばしていた。


「モルト……行け……!」

「嫌だ! 父上!」


 炎が天井へ広がり、陛下の姿を隠していく。


 その向こうで、ザイフがゆっくりと立ち上がった。



「真の平和には、血が必要なのさ」


 モルト殿下は抵抗し続けたが、護衛兵たちに抱えられるようにして館から連れ出された。


 赤い砂風が吹きつけ、焼け焦げた王国旗が地面へ落ちた。



 ◇


 数日後の夜。

 王城の謁見の間に、砂と血の匂いが流れ込んだ。


 重い扉の向こうから現れたモルト殿下は、歩くことさえ難しい状態だった。外套は裂け、肩には深い傷がある。明るかった青い瞳も、今は疲労と絶望に沈んでいた。


 私とノエル、そしてマルグリット王妃が駆け寄る。

 モルト殿下は玉座の前まで進むと、その場に膝をついた。



「……父上が……砂漠の奴らに殺された」

「そんな……」


 マルグリット王妃は口元を押さえ、床へ崩れ落ちた。


「そんなはずありません……陛下が……」


 ノエルは何も言えず、拳を固く握っている。爪が食い込み、手のひらから血が滲んでいた。


「父上が……」


 かすれた声だった。

 私はそっと彼の背へ手を添える。



「ノエル……あなたのせいじゃないわ」


 そのとき、乾いた音がした。

 モルト殿下の外套の内側で、何かが動いている。


「動かないで!」


 私はすぐに前へ出た。

 肩口から這い出したのは、黒い甲殻を持つ小さなサソリだった。尾の先には毒針があり、灯火を受けて鈍く光っている。


「黒砂サソリ……!」


 手近な布をかぶせ、床へ押さえつける。


「砂漠に生息する猛毒種です。特定の香辛料の匂いで興奮して、人を襲う習性がある」


 モルト殿下の顔が強張る。


「逃げる途中、辺境伯の兵から食料袋を渡された。まさか、その中に……」


「辺境伯は完全に砂漠側へ寝返っていたのでしょう。逃げ延びた殿下まで殺すつもりだった」


「父上も……この毒で……?」


 私は返事に迷った。

 けれど、曖昧にすることはできない。



「可能性は高いです。黒砂サソリの毒は、量によっては短時間で命を奪います」


 モルト殿下は目を閉じ、肩を震わせた。


「……マリー、助かった。お前がいてくれて……よかった」


 ノエルが静かに立ち上がる。

 赤い瞳には悲しみと怒りが宿っていたが、声は冷静だった。


「国境の防備を固めろ。王都へ続く街道を封鎖し、辺境の住民を避難させる」


 近衛兵たちが姿勢を正す。


「戦争が始まる」



 ◇


 出陣前夜、王城は戦支度に追われていた。

 兵士たちの掛け声や、武具を運ぶ音が廊下に響いている。


 その喧騒から離れたノエルの部屋だけは、静かだった。

 ノエルは銀色の胸当てを身につけ、剣帯を整えている。いつもの黒い服とは違い、全身を守る重い鎧姿だ。


 私は薬箱を抱え、扉を閉めた。



「私は後方で、負傷兵の治療にあたります」

「ああ。よろしく頼む」


 ノエルは振り返り、穏やかに笑った。

 父親を失ったばかりなのに、その悲しみを押し隠しているのが分かる。


 私は彼の胸当てにそっと触れた。


「気を張りすぎないで。あなたが倒れたら、皆が困るわ」

「お前に心配されると、不思議と力が出る」

「それなら、何度でも心配します」


 ノエルの手を取る。

 冷たい甲冑の下から、確かな体温が伝わってきた。



「必ず帰ってきて」

「お前を置いていくわけがない」


 ノエルは私の手を握り返し、そのまま肩を抱き寄せた。

 胸当ては硬く冷たかったけれど、背中へ回された腕は優しかった。


「怖いか?」

「怖いです」


 私は正直に答えた。


「でも、ノエルが戦うなら、私も薬師としてできることをします」

「無茶だけはするな」

「それはノエルもです」


 顔を上げると、ノエルの視線と重なる。


 彼は私の額へ口づけを落としたあと、名残惜しそうに髪へ指を通した。


「約束だ。二人とも、生きて戻る」

「はい」



 ◇


 翌日の昼、国境砦に角笛が鳴り響いた。

 赤い砂塵の向こうから、ザハルの軍勢が押し寄せる。赤砂派の戦士たちに加え、黒衣をまとった黒月派の兵も混じっていた。


 砦の一角が爆発し、石片が飛び散る。



「王都からの増援が間に合いません!」

「持ちこたえろ! ここを抜かれれば、背後の町が襲われる!」


 ノエルは前線で剣を振るいながら、兵士たちへ指示を出していた。


 私は後方の治療所で、次々と運び込まれる負傷兵を診ていた。


「この傷は縫合を。そちらの人は止血を優先して!」


 薬草を砕き、傷口へ押し当てる。


「血が……止まった……」

「まだ動かないで。薬が効くまで横になっていてください」


 そのとき、遠くで巨大な爆発が起きた。

 地面が揺れ、治療所の天幕が大きくはためく。



「モルト殿下の軍、音信不通です!」


 伝令の声に、前線のノエルが顔を上げた。


「モルト……!」


 その直後、砂煙の中から一人の女性が歩いてきた。

 淡い色のドレスをまとい、足元も定まらない。


「……母上?」


 ノエルが剣を下ろす。

 アルマ妃だった。


 瞳はうつろで、まるで意識がないまま歩いているように見える。



「なぜここに? 護衛はどうした! 危険です、戻ってください!」

「ノエル……私のノエル……」


 アルマ妃が手を伸ばす。

 ノエルも母親を支えようと近づいた。


 その瞬間、彼女の袖口から黒い影が飛び出した。


「ノエル!」


 黒砂サソリの針が、ノエルの首筋へ深く刺さる。

 ノエルの体が硬直し、その場に膝をついた。


「な……ぜ……母上……」


 アルマ妃は苦しそうに顔を歪めると、そのまま地面へ崩れ落ちた。


 頬を一筋の涙が伝う。



「母上! しっかりしてください!」


 ノエルは震える腕で母親を抱き寄せる。

 けれど、その呼吸も急速に浅くなっていた。


「ふふふ。ようやく油断したわね」


 聞き慣れた女の声が、砂塵の向こうから響く。

 現れたのは、黒いヴェールをまとったイーラだった。


 いつもの穏やかな侍女長の姿はどこにもない。冷たい笑みを浮かべ、倒れたノエルを見下ろしている。



「イーラ……なぜここに……避難を……」

「まだ私を心配するの?」


 イーラは足元の黒砂サソリを踏み潰した。


「その毒は、私が潜ませておいたのよ。あなたを倒すために」

「な……にを言って……」


 私の声が震える。

 イーラは楽しそうに目を細めた。


「あなたに刺さった毒も、狼牙も、すべて私がこの国を滅ぼすために用意したものよ」


「まさか……お前が……」


「ええ。ツィオも、侯爵令嬢も、そしてあなたも。狼牙を広め、ザハルと手を結んだのは私」


 ノエルは母親を庇うように抱きしめた。



「だからって……母上まで……! 長年仕えてきた相手だろう!」


「この人は王族でありながら、現実から目を逸らし続けた。だから狼牙で、何もかも忘れさせてあげたの」


 イーラは小瓶を取り出し、銀色の液体を揺らす。


「ある意味、優しさだと思わない?」


 ノエルの腕から力が抜けていく。


「そんな状態になっても、一度も自分を愛さなかった母親を守るなんて健気ね」


 イーラは背を向けた。


「そのまま、その女と一緒に国が滅びるところを見ていなさい」


(ここで……倒れるわけには……)


 ノエルの脳裏に、昨夜の私の顔が浮かぶ。



『これ、体力を維持する強壮薬と、毒の予防薬』


『絶対に戻ってきて』


『約束だ』


 ノエルは震える指を胸元へ伸ばした。

 小瓶をつかみ、蓋を歯で引き抜く。


 残った力で、一気に薬を喉へ流し込んだ。

 強烈な苦みに顔を歪めながらも、口元を腕で拭う。


 途切れかけていた呼吸が少しずつ戻り、指先に力が宿っていく。



(マリー、ありがとう……俺はまだ戦える)


 ノエルは砂を握り、ゆっくり顔を上げた。


 その瞳には、再び強い光が戻っていた。


次回、最終話です。

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