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【祝コミカライズ】銀狼殿下の専属薬師~冷酷な狼王子は私にしか懐かない~  作者: ぽんぽこ@銀郎殿下5/16コミカライズ開始!!


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第48話 潮風の夜、君と寄り添う


 やがて港町に夜が降りた。


 市場には明かりが灯り、昼間とは違う柔らかな賑わいが広がっている。屋台の灯りが石畳を照らし、遠くの海には船の灯が小さく揺れていた。


 女商人との話が終わったあと、私はニケと一緒に少しだけ市場へ戻った。


 ノエルを一人にしたわけではない。護衛騎士たちが控えていたし、私たちはすぐ近くにいた。


 ただ、彼には少しだけ静かに息を整える時間が必要に見えたのだ。


 そして戻ってきた私は、海沿いの広場に立つノエルを見つけた。


 黒を基調とした服に銀の髪が映えて、夜の港でもすぐに分かる。整った横顔は月明かりを受けて白く、けれど昼間よりも少し疲れて見えた。


「ノエル、ただいま戻りました」


 声をかけると、彼はゆっくり振り向いた。


 赤い瞳が私を捉える。


 その瞬間、張り詰めていた気配がほんの少しだけ緩んだ気がした。


「これを」


 私は手の中の小さな香り袋を差し出した。


 布は市場で買った淡い青色の端切れで、口を細い紐で結んでいる。中には、女商人から分けてもらった薬草と、私が手持ちの香草を少し合わせて入れてあった。


「これは……?」


「今日いただいた薬草で作ったんです。お守り代わりにどうぞ」


 ノエルは受け取ると、鼻先に近づけた。


 香りを確かめるようにゆっくり息を吸う。


 その目元が、かすかに緩んだ。


「いい香りでしょう? 抑制薬ほどの効果はないですけど、少しは心が落ち着くかなって」


「……ああ」


 ノエルは香り袋を大事そうに手のひらで包んだ。


「ありがとう」


 その声が、いつもよりずっと柔らかかった。


 胸の奥が、あたたかくなる。


 彼の表情から、さっきまでの強張りが少しずつほどけていくのが分かった。


「……なんだ、そんな顔もできるじゃないか」


 女商人が、いつの間にか少し離れたところに立っていた。


 肩をすくめ、からかうように笑っている。


「銀狼殿下は野蛮、なんて噂を聞いて心配したが……杞憂だったようだね」


「……噂は噂だ」


 ノエルはそっけなく答える。


 けれど、先ほどまでのような苦しさはもうなかった。


 女商人はにやりと笑うと、周囲の人々へ声を張った。


「もうツィオの呪縛に縛られる必要はない。アンタにはもう新しい家族がいるんだ。奥さんたちと幸せになりな」


「お、奥さんたち……?」


 思わず私が小声でつぶやくと、ニケが胸を張った。


「僕は家族枠だよ!」


「そこは分かってるけど、言い方が……」


 私が頬を熱くしている間に、背後に控えていた護衛騎士たちが揃ってうんうんと頷いていた。


(どうしてそんなに温かい目で見ているんですか!?)


 心の中で叫んだけれど、誰にも届かない。


 女商人はさらに声を上げる。


「それに、アンタのことを覚えているのはアタシだけじゃないよ! 海の人間は、一度受けた恩を忘れやしないのさ!」


 その言葉に、周囲がざわめいた。


 市場の明かりの中から、一人の男性が進み出る。年配の、日に焼けた顔をした人だった。


「……あの時、さらわれた子を取り戻してくれたのは殿下だった」


 続いて、若い青年が一歩前に出た。


「俺も助けられたんです。あの夜、殿下が賊を退治してくれなかったら……今ここにいません」


 別の女性が、涙ぐみながら両手を胸の前で組む。


「家族を救ってくれて、本当にありがとう……!」


 感謝の声は、一つでは終わらなかった。


 あの日連れ去られた子の親。


 助け出された子どもが成長した青年。


 家族を取り戻した母親。


 次々と、人々がノエルへ言葉を向ける。


 ノエルは思わず目を伏せた。


 信じられないものを聞いたように、唇をわずかに開いている。


 護衛騎士たちも、誇らしげに彼を見ていた。


 その眼差しには、主を敬うだけではない、確かな信頼があった。


「ほらね」


 女商人が笑う。


「ちゃんと殿下のしてることは伝わっていくもんだよ。そのまま頑張りな」


 ノエルは長く黙っていた。


 それから、小さく苦笑する。


「……そうだな」


 短い言葉だった。


 けれど、その声には確かに何かが戻っていた。


 彼はゆっくり視線を上げる。


 表情に差していた暗い影が消え、すっきりとした笑みが浮かんだ。


 ほんの一瞬の笑顔。


 それでも、私には分かった。


 ノエルの中で、長く絡まっていたものが少しだけほどけたのだと。


     ◇


 初めて人を傷つけた夜。


 ノエルの手は血に濡れていた。


 洗っても落ちず、心の奥に残り続けた。


 血に濡れた手で人質の少女を引き、必死に走った。


 その少女は泣いていた。


 助けられたことへの安堵なのか、ノエルへの恐怖なのか、その時の彼には分からなかった。


 ただ、その手が汚れていることだけが、はっきり分かった。


     ◇


 けれど今。


 私はその手を取った。


 何も言わずに、そっと重ねる。


 ノエルの指先が一瞬だけ震えた。


 すぐに、ニケの小さな手もそこへ重なる。


「ほら、帰ろうよ。お腹空いたし」


 ニケが明るく言う。


 ノエルは驚いたように私たちを見て、それから小さく頷いた。


 私たちは三人で手をつないで歩き出す。


 夜の港町は、昼間よりも少し静かで、灯りが水面に揺れていた。


 ノエルは深く息を吐き、夜空に瞬く星を見上げた。


 その眼差しは、苦しみだけに沈んではいない。


 安堵があった。


 そして、前へ進もうとする意志があった。


「あのころとは違う」


 誰に聞かせるでもなく、ノエルが呟く。


「俺は……俺の意思で戦えている。大事な人たちを守るために」


 その言葉に、私は静かに微笑んだ。


「はい」


 握った手に、少しだけ力を込める。


「私は、そのノエルの隣にいたいです」


 彼がこちらを見る。


 赤い瞳が、夜の明かりを受けて柔らかく揺れた。


「……マリー」


 名前を呼ばれただけなのに、胸がきゅっとなる。


 ノエルは何かを言いかけて、けれど言葉に迷ったように口を閉ざす。


 代わりに、つないだ手を離さなかった。


 それだけで十分だった。


     ◇


 結局、その日は港町ズッパに泊まることになった。


 街長のすすめもあり、遅い時間に無理に王城へ戻れば、護衛騎士団にも負担がかかる。港の門も閉じられていた。


 案内された宿屋の客間は、王城ほど豪華ではないけれど清潔だった。窓の外には夜の港が見え、遠くで船の鐘が小さく鳴っている。


 ニケは気を使ったのか、それとも本当に眠かったのか、別室ですでにぐっすり眠っている。


 つまり今、この部屋には私とノエルしかいない。


「……結局、泊まることになっちゃいましたね」


 私は落ち着かない気持ちを隠すように言った。


「街長のすすめもあったし、遅い時間に無理に帰れば騎士団に負担がかかる。港の門も閉じられていたしな」


「そ、そうですよね」


 会話は普通のはずなのに、なぜか妙に意識してしまう。


 蝋燭の灯りが揺れて、ノエルの横顔に淡い影を落としていた。


 銀色の髪は少しほどけ、昼間よりも柔らかく見える。赤い瞳は私をじっと見つめていて、逃げ場がない。


「……マリー」


「!」


 心臓が大きく跳ねた。


 どうして名前を呼ばれただけで、こんなに緊張するのだろう。


 ノエルは意を決したように近づいてくる。


 そして、もぞもぞと私の肩に頭を預けた。


 そのまま、すっと体を寄せてくる。


「ちょ、近い、近いです!」


「香り袋もいいが、こちらの方がもっと落ち着くな……」


 ノエルは真面目な顔でそう言うと、私の肩口に頬を寄せた。


 銀色の髪が首筋に触れて、くすぐったい。


(完全に犬だ……)


 しかも大型の、すごく綺麗で、すごく甘え方を知らなかった犬だ。


「もぉ……! みんなの前でも甘えすぎですよ」


「俺は別に気にしないが」


「私が気にするんです!!」


 思わず声が大きくなった。


 ノエルは少しだけ耳を下げる。


 その顔をされると、強く言いづらい。


 けれど、ここで引いてはいけない。


 私は顔をぷいとそむけ、できるだけ毅然とした声を出した。


「もう、そこまで頑固ならルールを決めます! 人前でいちゃつかないこと!」


「……いやだ」


「即答!?」


 思わず振り返ると、ノエルは真剣な顔でこちらを見ていた。


「じゃあ、私に嫌われてもいいんですか!?」


 その瞬間、ノエルは迷いなく頷いた。


「守る」


 早い。


 あまりにも早い。


「……でも、その代わりにご褒美がほしい」


「ご、ご褒美?」


 嫌な予感と、少しだけ期待してしまう気持ちが同時に胸を叩く。


 ノエルは私の手を取り、指先を包んだ。


 その仕草があまりに自然で、言葉が詰まる。


「人がいないところでなら……多少は、その……」


 自分で言って、顔が熱くなった。


 ノエルの耳がぴんと立つ。


「約束だ」


「ま、待って。今のは言葉のあやというか、限度はありますからね?」


「分かっている」


 本当に分かっているのだろうか。


 不安になって見つめ返したけれど、ノエルの眼差しはひどく真剣だった。


 甘えているようで、どこか大事なものを確かめるような目。


 その瞳を見ていると、胸の奥が静かに熱を持つ。


 蝋燭の炎が揺れた。


 影が壁に重なって、部屋の中が少しだけ静かになる。


 ノエルはそっと私の手を取り、ベッドの縁へ導いた。


「……っ」


 腰を下ろすと、距離が近くなる。


 肩が触れそうで、触れない。


 鼓動が早くて、うまく言葉が出てこない。


 ノエルは迷いを捨てるように、私の前に膝をついた。


 そして、ゆっくりと顔を近づける。


 唇が触れたのは、額だった。


 あたたかくて、丁寧な口づけ。


 それだけなのに、胸の奥までほどけていくようだった。


「今日は、ありがとう」


 ノエルの声が近い。


「俺の手を取ってくれて」


「……何度でも取ります」


 自然と、言葉がこぼれた。


「ノエルが望むなら。いいえ、望まなくても、必要そうなら勝手に取ります。私は薬師なので」


「それは理由になるのか?」


「なります」


 そう言い切ると、ノエルが小さく笑った。


 その笑みがあまりにも優しくて、私は息を呑む。


 次の瞬間、彼は私をそっと抱き寄せた。


 強くはない。


 逃げようと思えば逃げられるくらいの力。


 でも、私は逃げなかった。


 彼の胸に頬を寄せると、ゆっくりとした鼓動が聞こえる。


 昼間の痛みも、過去の記憶も、今だけは遠ざかっていく。


 寄り添う心は、少しずつ温もりに変わっていく。


 港町ズッパの夜は静かで、遠くの波音だけが聞こえていた。


 私は目を閉じる。


 ノエルの腕の中は、もう怖くなかった。


 むしろ、ひどく安心できる場所になっていた。


 その夜、私たちは長い時間、ただ寄り添っていた。


 言葉は少なかったけれど、触れた手と、重なる呼吸が、互いの気持ちを少しずつ確かめてくれた。


 夜更けの空に、星が静かに瞬いている。


 明日になれば、また何かが起こるのかもしれない。


 けれど今だけは、この穏やかな時間を大切にしたかった。


 ノエルの指が、私の手をそっと包む。


 私はその手を握り返しながら、小さく息を吐いた。


 港町の夜が、私たちにささやかな休息を与えてくれていた。


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