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【祝コミカライズ】銀狼殿下の専属薬師~冷酷な狼王子は私にしか懐かない~  作者: ぽんぽこ@銀郎殿下5/16コミカライズ開始!!


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第47話 優しさの裏にあったもの

 女商人は、人波から少し外れた裏通りへ荷車を進めた。


 表通りの賑わいはまだ聞こえている。けれど、こちらは建物の影が濃く、潮風に混じって乾いた薬草の匂いが漂っていた。


 荷車には束ねた草や小瓶、古びた布が積まれている。そのそばに立つ女商人は、風に焼けた頬を夕陽に照らされながら、まっすぐノエルを見た。


「ツィオは……孤児だった。私と同じ孤児院で育ったのさ」


 ノエルの赤い瞳が、かすかに揺れる。


 銀色の髪が潮風にさらりと流れた。いつも背筋を伸ばしている彼が、その瞬間だけ、ほんの少し肩を落としたように見えた。


「孤児院で……」


「ああ。あの子は昔から頭が良かったよ。けれど、優しいだけの子じゃなかった」


 女商人は目を細める。


「貧しい街角で、よく一人で本を読んでいた。粗末な服を着て、膝に本を置いてね。周りの子どもたちが走り回っていても、あの子だけはずっと文字を追っていた」


 その声は懐かしむようでいて、どこか苦かった。


「けれど、身なりのいい子どもたちにはよく馬鹿にされていたよ。孤児のくせに本なんか読んでどうする。貴族でもないくせに、薬師になれると思っているのかってね」


 私は思わず唇を引き結んだ。


 薬師になるには、知識だけでは足りない。道具も、本も、師も、身分もいる。前世の知識がある私でさえ、この世界で薬師として認められるまで、何度も壁にぶつかった。


 何も持たない孤児のツィオが、それを望むのは、きっと簡単なことではなかったはずだ。


「ツィオはね、特権階級への強い劣等感を抱いていたんだ」


 女商人は荷車の取っ手に手を置いた。


「だからこそ、必死に頭を使った。誰に近づけば得をするか。何を言えば相手が喜ぶか。どこで弱みを握れば道が開けるか。あの子は子どもの頃から、それを考えていた」


 ノエルは何も言わない。


 けれど、拳は固く握られていた。


「やがてツィオは、ある貴族の屋敷に入り込んだ。最初は使い走りのような立場だったらしいけどね。けれど、そこでうまく立ち回った。病弱な奥方には薬草の知識を見せ、気難しい主人には忠実な顔をし、使用人たちには弱みをちらつかせた」


 女商人の声は低くなる。


「最後には、その家の養子になった。戸惑う養父母の前で、涙まで流したそうだよ。自分には学ぶ機会が必要だ。必ず家の役に立つ、とね」


「……それで、薬師に」


 ノエルの声はひどく静かだった。


「ああ。本来なら、孤児が手にできるはずのなかった地位だ。ツィオは狡猾さでのし上がった。貴族の養子となり、薬師の地位まで掴み取った」


 風が吹き、荷車の上の布が小さく揺れた。


「他人を利用してのし上がる……それがアイツの正義になったんだ」


 その言葉が、夕暮れの裏通りに重く落ちる。


 私の胸にも、小さな痛みが走った。


 ツィオはノエルにとって、ただの専属薬師ではない。


 孤独だったノエルが、心を預けていた人だ。


 その人の過去を、こんな形で聞かされるのは、どれほど苦しいだろう。


 ノエルは目を伏せたまま、低く息を吐いた。


「俺は……あの人を、信じていた」


 その一言に、胸が詰まる。


 私はそっと手を伸ばしかけた。けれど今は、彼が自分で受け止めようとしている時間なのだと思い、指先を引っ込める。


 女商人は、そんなノエルをじっと見ていた。


「アンタに近づいたのも、優しさだけじゃなかったんだろうね」


 その言葉に、ノエルの肩がわずかに動く。


「神獣人を従える専属薬師。王家に近づける立場。あの子にとって、それは自分を馬鹿にした連中を見返すための、何より分かりやすい証だったのさ」


 ノエルの表情に、影が差した。


 彼の瞳は遠くを見ている。


 きっと、昔の記憶をたどっているのだ。


     ◇


 王城の訓練場。


 まだ幼いノエルは、木剣を握って立っていた。


 銀の髪は今より短く、体つきも細い。それでも周りの兵士たちは、彼を子どもとして見ていなかった。


 神獣人。


 国を守るための力。


 そう呼ばれるたびに、幼い胸には重いものが積もっていった。


「迷うな」


 背後から、ツィオの声がする。


 白衣をまとった青年のツィオは、薬瓶を差し出した。整った顔立ちに浮かぶ笑みは穏やかだったが、その目は冷静だった。


「お前は神獣人だ。国のために牙を研げばいい」


 ノエルは薬瓶を受け取る。


 迷いながらも飲み干すと、喉の奥に苦みが広がった。


 しばらくすると、胸の奥が熱くなる。


 怖い。


 苦しい。


 けれど、その感情が薄い膜の向こうに遠ざかっていく。


 目の前の相手を倒す。


 命じられた通りに動く。


 ただ、それだけを考えればいい。


 木剣が振るわれる。


 何度も、何度も。


 相手が倒れても、訓練が終わるまで動きを止めない。


 その様子を、ツィオは訓練場の端から見ていた。


 満足げに。


 まるで、薬の効果を確かめる研究者のように。


     ◇


 次に浮かんだのは、戦場だった。


 煙と怒号の中、成長したノエルは敵兵を斬り伏せていた。


 白銀の髪は血と泥で汚れ、赤い瞳は感情を失っている。


 誰かが彼を化け物と呼んだ。


 誰かが銀狼だと叫んだ。


 それでもノエルは止まらない。


 敵を倒す。


 国を守る。


 神獣人としての役目を果たす。


 そうするしかないと信じ込むことで、自分の心を守っていた。


 その後ろで、ツィオが静かに頷いている。


 彼の表情には、労りよりも、手応えを確かめるような色があった。


(ツィオは自分のために……俺をただの、指示通りに動く殺人の道具に仕立てたのか?)


 その疑問が胸を刺す。


 けれど、答えは誰も返してくれなかった。


     ◇


「彼は優越感に酔っていたんだよ」


 女商人の声が、現在へ戻してくる。


「神獣人を従える専属薬師。権力者に利用されるどころか、利用する側に立ったつもりでね」


 ノエルは唇を噛みしめた。


 白い肌に、血の気が薄くなっている。


 赤い瞳は、怒りとも悲しみともつかない色に沈んでいた。


(ノエル……)


 私はもう、ためらわなかった。


 そっと彼の手に触れる。


 ノエルの指先は冷えていた。


 彼は一瞬だけ驚いたようにこちらを見る。


 けれど、私が何も言わずに手を握ると、拒まなかった。


 その代わり、苦しそうに目を伏せる。


「……ツィオ……お前は……」


 小さくこぼれた声は、潮風に消えそうなほど弱かった。


 裏切られた怒りだけではない。


 それでも信じた時間を、なかったことにできない痛みが、そこにはあった。


 女商人は静かに息を吐く。


「全部が嘘だったとは言わないよ。あの子にも、情はあったのかもしれない。ただ、その情よりも自分の欲が勝った。それだけさ」


 ひどく簡単に言われた言葉なのに、胸に重く残る。


 ノエルは黙ったまま、握った私の手を少しだけ強くした。


 その力が、今にも崩れそうな彼の心を支えているように思えて、私は指を絡めるように握り返した。


  

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