二十三話
誘拐事件の後から、サイド探偵事務所へ行くのは躊躇ってばかりだった。事務所へ行くとなにかしらの事件へ巻き込まれてしまうため、それ以外の場所でモモネに会いたかった。
真岡がなんとかモモネに会えないかと、日本橋のサテライトショップへ通い初めて、三日目のことだった。
大学でオカルト研究会の会合に出席した後、サテライトショップへ向かうために大学の校門を通り抜けようとして、誰かを待っているモモネを発見した。
「モモネ」
「私に会おうとしてるみたいでしたから」
真岡に向けられたのは、空元気な微笑みだった。無理をして笑っている。
モモネからパワーがなくなっていた。
山の神か田の神か知らないが、パワーの供給を絶たれたのだ。
真岡は、自分の責任も感じつつ、早くモモネへ誠意を見せたかった。
「少しだけ話に付き合ってくれるか?」
「はい」
目に力がなく、常に弱々しい。
初めて会ったときに感じた野性味のあるモモネではなくなっていた。
真岡は、以前訪れた水源の森公園へ向かい、モモネに頭を下げる。
「モモネの言っていることは正しかった。病院の前で言ったことは撤回する。ひどい言葉をぶつけて申し訳ない」
モモネが良いというまで頭を下げ続ける覚悟だった。
季節は秋から冬へ片足を突っ込んでおり、夕暮れもなく夜へと移り変わる。
木枯らしがモモネと真岡の間を吹き抜けていた。
「はい」
消えそうな声が、一言だけ降ってくる。
真岡がゆっくりと顔を上げると、モモネは静かに泣いていた。
「す、すまなかった! 本当に悪かった!」
真岡はたまらずにもう一度頭を下げた。
「もう、いいですから」
モモネの許しを得て、涙が止まるのを待った。
「私の言っていることが正しいと、どうして思ったんですか?」
「あれから調べたんだ。事件と普神博士に関係があるのか」
「どうでした?」
「関係はありそうだった。モモネは正しかったんだ」
モモネは悲しそうな顔をしたままで、真岡の言葉が響いているのかわかりかねる状態だった。
「実は、私も真岡さんに相談があったんです」
「そ、そうか。もちろん相談にのるよ!」
「普神が、サイド探偵事務所に出入りしています。私は、怖くて近づけません」
「え?」
白い狐探しは見事に失敗したはずなのに、なぜ普神がいるのか。
真岡にも異様な事態だと理解できた。
「一緒に行ってくれませんか?」
「ああ、もちろんだ」
「今日も来ているんです」
「今からでも大丈夫!」
真岡は、とにかくモモネのパワーを取り戻したくて、モモネの頼みは何でも聞くつもりだった。
サイド探偵事務所へ向かう途中、普神が中平博士の留守を狙って研究の計画を通した話を思い出していた。
探偵を使ってまたなにかを調べるつもりかもしれないと予想する。
都心にあるレンタルオフィス。
その前でばったりと普神と出くわした。
「おやおや」
「普神博士」
「まさか私を監視する人間がいるとは思いもしなかったよ」
「はい?」
真岡は、その言葉が後ろにいるモモネへ向けられていると遅れて気づく。
「これはいよいよ真実を手に入れられるかもしれないな」
普神は何気なく歩きながらモモネの顔を覗き込む。
「コヅカモモネさん?」
モモネが勢いよく飛び退った。
「あっはっはっは! それでは」
なにが面白いのか、普神は大笑いしてから背を向けて帰って行った。
普神は、モモネの苗字を知っていた。
その音には、真岡も覚えがあった。
「コヅカって」
「あのときだ。道祖土さんが読み間違えたときに気づかれたんだ!」
モモネは血相を変えてレンタルオフィスへ飛び込んでいく。
真岡も慌てて後を追った。
開きっぱなしのオフィスのドアをくぐると、道祖土が山積みにされた札束の前に座っていた。
「このお金は?」
デスクの反対側からモモネが詰問する。
「あー、依頼で稼いだお金だ」
「たった数日でこんなに稼げる訳がない!」
道祖土もまた数日前とは打って変わって落ち着きのない態度だった。
「あいつが私の名前を知っていた」
「あいつ? あー、普神か」
「あいつに私の何を教えたの!」
モモネがデスクへ張り手を叩きつける。
「その、なんだ。普神が、コヅカと言ったのはなんでだって聞いてきたから、従業員にそういう名前の奴がいるって答えたんだ。そうしたら、その従業員の履歴書を見せてくれたら金を払うっていうから」
道祖土は、焦点の合わない目でうなされたように喋っていた。
「私の履歴書を見せたの?」
「そういう、ことだな。うん」
個人情報の売買。
四十野という人の依頼で発見したメモを見たときに、道祖土が見せた顔だと、真岡ははっきりと思い出した。
道祖土には金が必要だった。個人情報が売られているところを見て心を動かされていたのだ。それに目を付けた普神が現れたことで、モモネの個人情報を売り渡してしまったのだ。
「返して」
「え?」
「私の履歴書を返して! もうここでは働かない!」
モモネが絶叫し、道祖土があわてふためいてモモネの履歴書を金庫から出して渡した。
「信じてたのに、最低よ!」
モモネは履歴書をふんだくると、オフィスから走って出て行った。泣きはらした顔に掛ける言葉もなかった。
「ああ、最低だな。金に目がくらんじまって」
道祖土も自分が、そちら側になったことをまだ受け入れられないようだった。力なく椅子に座ったままうなだれている。
「普神博士は、何を知りたかったんですか?」
「モモネの出身地だ。そこにいるんだとよ」
「なにがです?」
「白い狐が」
道祖土の姿は、見ていられなかった。道を踏み外し、作ってきた人間関係を木っ端微塵にしたどうしようもない人間の姿だった。
「調べたんですけど、普神は殺人事件と誘拐事件。両方に関わっている可能性があります」
「そうかよ。お前、探偵にでもなるのか?」
「そんな気はありませんが」
「でも、許せないんだろ?」
道祖土が、死んだような身体を動かしてメモに番号を書いていく。
「鬼崎の番号だ。俺なんかより、よっぽど頼れるぞ」
覇気のない声と一緒に渡されたメモには、血の通わない文字が流れていた。
「ありがとうございます」
「お前は、モモネを裏切るなよ」
「はい」
道祖土の顔には感情がなかったが、目は若干の暖かさを残していた。
重い罪と金を背負った道祖土のこれからを思うと、真岡はモモネのように罵声を浴びせる気にはならなかった。
「今までありがとうございました」
「おう。扉、閉めてってくれ」
「はい。失礼します」
わずかな日数ながら、通い慣れたレンタルオフィスにもう来ないと思うと、閉める扉を重く感じた。
「できれば自首してください」
「考えておく」
真岡は天井を見上げて動かない道祖土を見納めてから、静かに扉を閉めた。