二十四話
レンタルオフィスを出ると、モモネの姿はなく夜道と通行人だけがあった。
「ああ、今日はこんな感じか」
モモネに謝ったことで、やるべきことはやったと思っていた。
真岡は、白い息を吐き出して家に向かって歩きながら、普神の研究のことを考える。
普神は白い狐探しを続けていた。今度は、モモネの故郷へ当たりをつけたのだ。モモネのプレゼントから、福島出身だと真岡は思っていた。いずれ普神も福島へ行って調査をするのだ。
真岡はうつむいたまま歩く。
モモネはこのあとどうするのだろうと、そればかりが気になった。
もし、普神を止めるためになにかやるのだとしたら、なにか手伝うべきだろうか。
採用通知が見つかるわけでもないのに、真岡にそこまでする義理はない。義理はないが、神獣学という学問がモモネを追い詰めていることだけはわかった。
真岡の考える学問は、幸せになる人はいても不幸になる人はいないはずだった。モモネに限らず、学術振興会の辺春や中平の孫などが被害を受けている。それらは普神の研究に対する姿勢があまりにも過激だからだと考えられた。
「神獣学もひどいことになりそうだ」
志す学問がことごとくダメになっていく。もっと気持ちよく学問をしたかった。なぜ、先人たちはこの状態を放置するのかとも思った。
真岡は、すぐにその理由へ思い当たった。
面倒くさいからだ。面倒くさがった結果がこうなのだ。誰も学会の腐った部分を正そうとしない。それは学者として賢い選択かもしれないが、尊敬される大人のすることではなかった。尊敬できる大人が進路上にいないのは、ある意味で道が拓かれてる。
「はぁ、普神博士を止めるしかないか」
誰もやらないなら、自分でやるしかなかった。
道祖土からもらったメモを見て、普神を犯罪者としてなんとか逮捕できないかと考える。
「あいつを頼るのはなんか嫌なんだよな」
個人的な対抗心もあり、鬼崎に借りを作るのは格下になるようで屈辱だった。
「セニハラか。くっそー」
スマートホンを取り出して、鬼崎の番号を入力する。
「ああ、やだなー」
歩道の横断防止柵に腰を預け、呼び出し音に耳を澄ました。
「あー、どちらさんですか?」
機嫌の悪そうな鬼崎が出た。
「道祖土さんに教えてもらいました。真岡です」
「あー! どうしたの?」
鬼崎は妙に真岡のことを信頼しているのか、馴れ馴れしい言葉遣いをしてきた。
「単刀直入に言います。私は、辺春が殺された事件と中平くん誘拐事件の二つを普神博士が依頼したのではないかと思っています」
「普神?」
「神獣学研究所の研究員です」
「んー、なにか証拠とかある?」
「辺春が殺された次の日、普神博士は科研費の申請を通しています。また、中平くんが誘拐され当日に研究の計画書を通しています。どちらも通常なら通らなかったものです」
「そうか」
「逮捕された二人は、納得できるだけの動機を喋りましたか?」
「いや」
「おそらく、二人はすでに普神博士からお金を受け取っています」
「わかった。調べられたら調べてみるよ」
「普神博士は、近々福島へ調査へ行きます。できればそれまでに確認してください」
「それはまたなんで?」
「普神博士は、環境に大きな影響を与える白い狐を探しています。もし、普神博士が白い狐を見つけてしまったら、何が起こるかわかりません」
オカルト研究会長の渡辺が言った白い狐による豊作と凶作が事実だとすれば、大規模な気候変動が予想されたのだ。
「突拍子もない話だ」
一般人からすればもっともな反応だった。
ただ、神獣学を志す真岡としてはどうにかして、その重大さを理解して欲しかった。
「モモネは、普神から白い狐を守ろうとしてきました」
こういうところでモモネの存在を切り札に使うのは間違っていると思いながら、自分が普神と同じ手段を選ばない人間であるとわかった。
鬼崎が沈黙している間、真岡は自己嫌悪の沼にじわじわと沈む。
「なるべく早く調べてみる。またなにかわかったら連絡をくれ」
「ええ、お願いします」
通話をそうそうに切り、顔のこわばりをほぐす。相手に表情が見えないというのに、感情を表に出さないよう無駄に努めていた。
鬼崎に理解してもらうことがどれほどの価値があるのか。普神を逮捕するのが早まることを願うしかなかった。
「俺にできるのはこんなものかな」
真岡は、しばらく考えてみたが他になにも思い浮かばなかった。
論文という課題が燦然と存在を主張していたが、どうにもやる気にはならない。採用通知を見つける方法を明日考えることにして、今日はもうゆっくりと休みたかった。
冷え冷えとする夜道を歩き、電車で軽くうとうとしてから家にたどり着く。
「え」
「遅いです」
真っ暗な渡り廊下でうずくまるモモネがいた。
「寒いから部屋に入れてください」
「あ、ああ。ちょっと待ってて」
真岡は急いで玄関の鍵を開けて部屋の明かりを点けると、モモネを招き入れる。モモネの手には、くしゃくしゃになった履歴書が握られていた。
「キレイになってますね」
「あ、ああ。採用通知を見つけるために片付けてみたんだ」
「ここにはないって言いましたけど」
モモネは不愉快そうに言ってから、部屋の隅へ座る。断熱材の不十分な壁からひんやりとした冷気が漂い、モモネは肌寒そうにしていた。
真岡の借りた安い部屋には古いエアコンがあって、稼働すると鬼のように電気代が掛かる。それを避けるためにコタツを買ったのだが、今年はまだ準備していなかった。コタツ布団もなくコタツを点けるのはあまりにも変なので、電気代を諦めてエアコンのスイッチを入れた。
「う」
「くさいです」
掃除をしていないので、かび臭い温風が部屋に充満する。エアコンを止めて、窓を開けて換気した。かえって寒い思いをモモネにさせる。
「いや、ごめん。寒いよね」
「突然押しかけた私が悪いんです。気にしないでください」
気にするなと言われて、部屋に女の子がいて気にしない男性はいないのだ。
真岡は、なにか暖かいお茶でも出そうとキッチンの周りを探したものの、よい接客手段は見つからなかった。
「真岡さん、少し落ち着いて話を聞いてくれませんか?」
「え、うん。わかった」
真岡は開きっぱなしのノートパソコンを畳んで、テーブルの前に座る。
「私の家は、代々狐を祀る巫女の家系でした。私がもっとも新しい巫女なんですけど、何代さかのぼっても鼻が利くのは私だけみたいなんです」
「あー、そうなんだ。遺伝性じゃないんだね」
「先代の巫女、私のおばあちゃんなんですけど、その人が言うには狐様になにかよくないことが迫っている。都へ行って調べて来いと言われました」
「へー」
「東京に来たら神獣学という学問が盛り上がっていることと、普神という人が狐を調べていることを知りました。おばあちゃんの言っていたことはこれだと思って、実家に報告しながら普神と神獣学会を監視してました」
「偉いね」
「もうダメです。私の素性が知られて、狐様を守れません」
モモネが、抱えた膝に額を打ち付けて塞ぎ込む。
「実家へは報告したの」
モモネの頭がゆさゆさと左右に揺れた。
「じゃあ報告してみよう。そうしたら、なにか実家の方でも力を貸してくれるかもしれない」
「そうですね」
モモネはスマートホンを軽やかに指で叩いて実家へ電話をする。
二言三言交わした後、黙り固まってしまった。
「あー、モモネ?」
「代わるね?」
「え?」
「お父さんです」
「え?」
「話をさせろって」
真岡は突然の交代劇に面食らう。
「わ、わかった」
真岡は恐る恐るモモネのスマートホンを受け取る。
「もしもし、代わりました」
「君が真岡くんか?」
厳しそうな男の声が耳にずっしりと入り込んだ。
「はい」
「娘から聞いている。普神がこのあとどういう行動を取るか教えて欲しい」
真剣な協力の要請に、真岡はどんな風に自分のことが伝わっているのか気になり、マイナス面を補うよう真面目に答えることにする。
「えっと、以前神獣ハンターという人たちを使って白い狐を探していたので、今回も同じようにすると思います。もし、本格的に罠などを仕掛けるなら、市から狩猟許可をもらうはずです。それは三ヶ月間のものになると思います」
以前に白い狐を探したときに調べたことを喋る。さすがの普神も国の許可をもらわずに白い狐を狩るとは思えなかった。
「三ヶ月か。長いな」
「狩猟が許可されるのは一年に一回だけになりますね」
「我々は狐様を守りたい。協力してくれないか?」
誠心誠意の申し出であることは理解できた。真岡は三ヶ月間という時間に拘束される訳にはいかない。論文や学業があるのだ。それに、その期間の生活費もできれば抑えたかった。
別の感情もあった。百稲にとっての最善は普神を止めることだった。それを今、もっとも推し進めているのが鬼崎なのだ。独走させるわけにはいかないと、対抗心が沸々と煮えたぎっている。真岡も何かをやりたい衝動は芽生えていた。
「一日だけなら」
真岡の口から出た言葉に、スピーカーの奥で憤然と息を吸い込む音が聞こえる。
「なぜかね?」
「俺は学生で金がありません。他にやることもあります。三ヶ月もその用件に付き合うことはしたくありません」
「そうか」
神獣に携わる家系。その人を落胆させるのは、神獣学者として間違っている。だから、真岡は自分にできる最大限の協力を提案した。
「こちらで普神の所属する研究所の所長と連絡を取り合い、普神の行動を探ります。そして、普神がそちらに行く一日だけは、全力で協力しますから」
普神は大量の捕獲器を仕掛けるはずだった。普通の狐やそれに準ずる野生動物が掛かるだけで、普神曰く知性を持つ白い狐は最後まで掛からないのではと感じていた。普神が動いたときは、白い狐を発見したときだ。いるとわかったときに普神が動くと、真岡は直感していた。
「君の立場を考えれば、それがベストかもしれないな。それでいい。ありがとう」
「いえ」
「娘はしばらくそちらにいるから相手をしてやってくれないか?」
「え、まぁ、はい」
娘の父とは思えないほど大胆な提案だと思った。
「君のことを信じているからね?」
「あ、はい」
若干の脅迫じみた念押しに理解する。手は出すなという意味だった。
モモネへスマートホンを返し、親子の会話が終わるのを待つ。
「真岡さん」
「ん?」
通話を終えたモモネが、正座をして改まる。
「改めまして、狐塚百稲と言います。その日が来るまで、こちらでお世話になりたいと思います」
「え」
まさかの住み込み宣言に、真岡はしばらく頭が空っぽになった。




