二十話
「先輩、署に連絡してきます」
「ああ、こっちは救急車が来るまでなんとかする」
救出活動に目処がついたと判断した鬼崎が、報告するために倉庫を出て行った。
「聞こえるか? 名前は言えるか?」
道祖土ががたがたと震える中学生に呼びかける。
「なななな、かかかか、ひひひ、ららら、ちち、ひひ、ろ」
歯の根が合わないなか、怯えた顔のまま凍り付いた少年が答えた。
「なかひらちひろ、だな? 暖かい飲み物があるけど、少し飲めるか?」
「はははは、いいい」
「よし、ゆっくりでいいぞ」
道祖土の注いだ水筒のコップから湯気が立つ。それを少年がゆっくりとすする。
懸命に少年の救命に尽くす道祖土の姿は、漫画探しの依頼をことごとく断るイメージとはかけ離れていた。その面倒見の良さを少しでも漫画探しに向けてもいいのではと思い、真岡は不服だった。
「怖かっただろうね」
「モモネが助けたんだ」
「うん。本当に良かった」
モモネはモモネで涙を懸命に堪えていた。
「真岡さんもひどい目に遭わなくてよかった」
そこでモモネの涙はあふれ出した。
「うん、そうだね」
「さっきからどうして反応が薄いんですか!」
泣くモモネに叱られた。
真岡も不思議だった。なぜこうも命の危機に対して鈍いのかと。
「あ、そうか」
愛犬が死んだときに知った、命はモノであるという強烈な真実が原因だった。それ以来、命が消費されるものであることをまざまざと見せつけられたのだ。スーパーで売られる命を犠牲にした商品の数々。蚊や蜂、ゴキブリなど憎悪される昆虫を退治し、農作物を守るためにばらまかれる化学兵器。愛玩と名付けられた人間の寂しさを埋めるためだけに生まれては取引される動物。そういうものを悲しそうに見ている少年時代の真岡がいた。
真岡は、人間にほとほと愛想を尽かしているのだ。
目の前で少年が助けられたことに、なんら心が動かないことへ納得した。
獣医として命の明暗を見てきたからだと思っていたが、違ったのだ。
渋谷駅前を歩くスイッチの切れた人たち。その中の一人に真岡もいた。真岡のスイッチは、二度とオンになることがないように思えた。山口のようにパワーを吸収して、活発な振る舞いを見せることもない。充電不可能な使い捨ての電池。電気を使い果たして空っぽになった再利用さえできない燃えないゴミ。それが真岡だった。
「俺は燃えないゴミなんだ」
「な、なに言ってるんですか?」
モモネが心配そうに真岡を見る。
真岡から見て、モモネは常にスイッチの入った人だった。山の神や田の神と繋がりを持っているからパワーに事欠かないのだ。
「先輩! 救急車が来ました!」
鬼崎が救急隊員をつれて戻ってきた。
少年は救急隊員に容態を確かめられ、道祖土の説明もありすんなりと病院へ運ばれることとなった。
「誰か付き添いをお願いできませんか?」
「あー、俺が行きます」
救急隊員の依頼に道祖土が応えた。
「悪いが、モモネを送ってやってくれ」
道祖土は真岡に一万円札を握らせてから、少年と一緒に救急車へと乗り込んだ。
「誘拐された少年を見つけてくれて、ありがとうございました」
「い、いえ。大したことはしてません」
「大したことです。正直なところ警察だけでは、あの少年を助けられませんでした。本当にありがとう」
「その、どういたしまして」
そのモモネは、鬼崎にべた褒めされて顔を赤くしながら恐縮している。
鬼崎よりも付き合いの長い真岡でも見たことのない顔だった。
モモネのああいう顔を引き出してみたかったと、真岡が感じるほどに可愛らしいのだ。
モモネにはほとんど相手にされていないのだとわかると、手の中にある一万円札を投げ捨ててしまいたくなった。真岡にとってパワーに満ちたモモネは得難い存在であり、誰にも取られたくない存在でもあった。
「もうしばらく話します?」
真岡は、自分でもよくわからない会話の混ざり方をした。
「いや、捜査に戻るよ。君も応急処置を手伝ってくれてありがとう」
鬼崎という道祖土の後輩で不良警官は、腹立たしいほどにできた男だった。
「当然のことをしたような気がします」
真岡の答えを聞いて、鬼崎が苦笑する。
「そうか。尊敬するよ」
真岡は、鬼崎を嫌いになった。
「それじゃ、私たちはこれで。鬼崎さんも頑張ってください」
「ありがとう。また、お礼に行くよ」
「はい。失礼します」
モモネが鬼崎へ礼を尽くすのを見ていると、真岡の中でふつふつと嫉妬の炎が燃え上がった。
俺にはそんなところ見せたことがないだろ。
そんな不満を抱くようになった。
物流センターの倉庫から出るために、社員に出口まで案内される。
「真岡さん、さっきから何を怒ってるんですか?」
「え、怒ってないよ」
「顔が怖いですよ?」
真岡は、感情を隠せない自分の顔を憎らしく思う。
「早くモモネを送って帰りたいだけ」
嫉妬に任せて、心ないことを言った。
「そう、ですか」
モモネが眉毛をがっかりさせる。
嫉妬の次は後悔した。
「いえ、できれば付き合って欲しいところがあります」
お礼のプレゼントを選んでいる途中だったことを思い出す。
「今日じゃなくてもいいだろ?」
「今日でないと、真岡さんと一緒でないとダメなんです」
後悔の次は歓喜だった。
単純で、モモネに頼られると嬉しくなるのだ。
モモネがどこかへ電話してからタクシーを呼んだ。
真岡も結局ついていき、到着したのは病院だった。
モモネに仕方なく付き合い、とある病室の前までやってきた。
「なんで病院?」
「さっきの男の子が運び込まれた場所です」
「俺、いる意味ある?」
「あります。ほら、あの部屋の前にいる人、知りませんか?」
「そう簡単に見知った人がいるわけ」
あったのだ。
病室の前で道祖土と話している白髪の老学者を真岡は知っていた。
神獣学研究所の所長、中平憐次博士だった。
「た、確かに知ってるけど雲の上の人だよ!」
「確認しましょう。普神と事件のことを」
モモネは、まだ事件と普神に関係があると思っているのだ。
道祖土がこちらへ気づいて手招きをする。
真岡は、いよいよ逃げられなくなった。
「君たちが、私の孫を助けてくれたと聞いた。ありがとう」
「当然のことだと、真岡も言っていました」
モモネが誇らしげに真岡の言葉を引用する。
「そうか。立派な青年だな」
憧れの中平博士に褒められることは、この上もなく照れくさいことだった。
「それで、神獣学研究所の所長、中平博士に尋ねたいことがあります」
モモネが探偵モードに入り、話を進める。真岡が逃げないように服の裾を掴んでいた。
「ん、私のことを知っているのかね?」
「はい。私たちは、今日の誘拐事件ととある殺人事件の裏に普神博士がいると考えています」
完全に共犯者へ仕立て上げられた。
「なんだって?」
中平は、突然の話に真岡がちびりそうになるほど眉間へしわをよせた。
「君、めったなことを言うものではないよ?」
なぜか真岡が睨み付けられる。
「す、すいません。もしかしたらと思っただけでして」
「そんなわけないだろ。バカバカしい」
「はい。失礼しました」
真岡は急いで頭を下げて、中平の前から退散した。
「あ、ちょっと待ってください!」
モモネも慌てて頭を下げ、真岡の後を追う。
二人は病院から慌ただしく出ると、すぐに口火を切った。
「どうして逃げるんですか!」
「どうして今聞くんだ!」
「博士と会えるのは今日しかないです!」
「俺はこれからあの人の下で働くかもしれないんだぞ! なんで心証を悪くするようなことをするんだ!」
いくらモモネを好ましく思っていても、進路に関わることへ余計なことをされたので真岡も黙っていられなかった。
「真岡さんは、普神と事件の関係を知りたいんじゃないんですか?」
「もう、やめてくれ。俺はもう、君と関わり合いたくない!」
真岡は言った。採用通知に繋がらない余計な人間関係をばっさりと切り捨てるために。
「そんな」
モモネは良かれと思って行動していた。駅で庇ってもらったお礼の意味もあった。真岡のためになると信じていた。拒絶されたことをすんなりとは受け入れられなかった。
「はい、交通費。ここからは、一人で帰って」
真岡は、タクシー代として残っていた数千円と小銭をモモネの手へねじ込み、病院の前から走り去った。
心細さに縮む瞳や噛みしめられた唇が目に焼き付いていた。




