十九話
「ったくめんどくせーなー」
「そう言わないでくださいよ、先輩。それと、さっきはありがとうございました」
「ああん? なんのことだ?」
「さぁ、なんのことでしょうね」
出発前のパトカーで、こんな風にリラックスしている警察官を見るのも初めてだった。ずっと緊張感を保つことは不可能なのだと真岡はうっすらと理解した。
後部座席の三人がシートベルトをすると、準備は整った。
「誘拐犯は、渋谷へ来る前に電車に乗ってました。その前は車です。一度、海に面した場所にも降りてます」
モモネは地図を見ながら匂いの打点の軌跡を描いていく。誘拐犯からは潮の香りがした。
「海だと?」
「そこからわざわざ渋谷まで戻ってきたのか。どういうつもりだ?」
「自信があったんだろ。舐めやがって」
道祖土は鬼崎と会話しながら、誘拐犯がスーツを着ていて渋谷にいたことから、警官の動きを見て楽しんでいたのではないかと勘ぐった。
「有明かな」
モモネにも初めてことだった。複雑な軌跡の匂いを地図上で描いて場所を特定するのは、まだ自信がなかった。
「近いことには変わりない。オーバー・ザ・レインボーだ!」
「了解。レインボーブリッジを渡りましょう」
モモネへ絶大な信頼を寄せる道祖土の号令で、鬼崎は行き先を有明に定めた。付き合わされる巡査も少し楽しそうだった。
パトカーでドライブなんて税金の使い方にうるさい人たち叱られるかもしれないが、真岡は爽快な気分だった。ただ、道行く人から逮捕された人間として注目されている節があり、居心地の悪いときもあった。
レインボーブリッジの半ばまで来たところで、鬼崎が口を開いた。
「この先はどっち方向です?」
「左折でお願いします。だいぶ近いと思います」
モモネがしっかりと答える。
「先輩、そちらの女性の捜査力を少しご教授してくれませんか?」
「企業秘密だ」
真岡は、鬼崎と道祖土の軽口を聞きながら、警察官なら誰もが羨む能力ではある
と思った。
「あ、あれ? 通り過ぎちゃった」
「焦るな。インターチェンジを降りてからまた教えてくれ」
「はい」
一刻を争う状況に慣れているのか、道祖土の励ましは堂に入ったものだった。
「鬼崎、有明一丁目だ」
「了解」
モモネの反応から、道祖土は人質のいる場所に当たりを付ける。離職してから数年も経つのに、未だに頭の中で都内の地図が生きていた。
パトカーはインターチェンジを降りると、二度の左折をしてゆりかもめの下を走りながら、有明一丁目へとやってきた。
「えっと、次の交差点は右折してください」
巡査が安全運転で右折レーンへ入る。
「あ、あの建物です!」
右折すると同時に右前方へ大きな建物が見えてきた。
「物流センターか」
道祖土が窓ガラスに顔を貼り付けて確認する。
トラックなどが往来する搬入口へパトカーが突入した。
「あの、右から三番目の穴から奥へ連れて行かれたんです」
「ドッグシェルターか。犯人はトラックで人質をここまで運んできた、と」
モモネの言葉をそのまま信じて、鬼崎が犯人の行動を推理する。
パトカーは、ぐるりと建物を回り、玄関前へ止まった。
巡査を残して、即席の人質捜索斑が物流センターの受付へなだれ込んだ。警官に探偵、特殊能力者に神獣学者へ転向予定の獣医の卵だった。
真岡は、妙な一団を形成している自分が滑稽で、物流センターへ入るなり天井を見上げた。
「ああ、なにしてんだろ俺」
採用通知を探すという目的から遠ざかりすぎて、人の生き死に関わる深刻な問題から現実味を感じないのだ。誘拐犯が普神だと思っていただけに、推理が外れてやる気もなかった。
「えーと、ご用件はなんでしょうか?」
統一性のない一団に受付嬢もひきつった顔をする。
「警視庁捜査一課の鬼崎と言います。こちらに誘拐された人が隠されている可能性がありますので、捜査に協力してもらえないでしょうか?」
「は、はい。少々お待ち下さい」
鬼崎の警察手帳を見て、受付嬢が慌て始める。上役へ連絡し、しばし待つように告げた。
「早くしないと」
足止めされたモモネが独りごちる。
「お待たせしました」
物流センターのそれなりに偉そうな眼鏡を掛けた人がやってきた。
「本日起きた誘拐事件で、搬入口から荷物に紛れて連れ込んだ人間が倉庫にいる可能性があります。調べさせてください」
「そうですか。わかりました。ご案内します。こちらです」
鬼崎の真剣な顔は、こういうときに有無を言わせない説得力があると、ゆるんだ頬をさすりながら真岡は考察した。男の顔の使い方を見た気がしたのだ。
大規模な物流センターは、ちょっとした迷路だった。山積みになった荷物とそれらを保管する棚が巨大な壁を作っていた。フォークリフトが行き交い、今も荷物が動き続けている。
「モモネ、探せるか?」
普通に探すとなると骨が折れる状況も、モモネという存在がいることで誰も怖じ気づくことはなかった。
「はい。あっちです」
バックする度にブザーを鳴らすフォークリフトを避けて、真岡たちは倉庫の中にある倉庫へやってきた。
「ここは?」
鬼崎が尋ねると、社員は動揺しつつ答えた。
「冷蔵倉庫ですけど」
真岡は誘拐犯の省電力モードの顔を思い出した。きっとあの何食わぬ顔で、ここへ誘拐した人間を放り込んだのだ。
鬼崎や道祖土には緊張が走り、案内役の社員もまさかという顔をする。
「は、早く開けてください! 誘拐された人が死んでしまいます!」
モモネだけが焦りを爆発させていた。
「わ、わかりました」
すべてのキーを預かってきたのか、社員が急いで巨大な鍵付きの冷蔵庫を開ける。ひんやりとした冷気が真岡たちのくるぶし当たりまで漂った。
モモネが明かりのない薄暗い倉庫へ飛び込み、人質の中学生の元へ走る。
鬼崎と道祖土はモモネを見失わないように急いで追いかけた。
真岡は、犯罪者の行為を信じ切れない様子の社員と並んで後についていく。
「ここです! この箱です!」
モモネは、すぐに人質の隠された箱を見つけ出し、報せた。
「よし、まずは外に出すぞ!」
「了解」
道祖土と鬼崎が、協力して棺のよう直方体の段ボール箱を抱えて倉庫の外へと運び出していく。その後をモモネも追いかけていった。
「すいません。毛布や暖かい飲み物、それから湯たんぽって用意できますか?」
「え、はい。すぐに用意させます」
「できれば救急車もお願いします」
「わかりました」
倉庫から出るときに社員へ注文をつけた。まだ生きていた場合の備えであった。恒温動物は内蔵が冷え切ると、それが致命傷になる。人間も犬猫もそれは変わらないのだ。
倉庫へ鍵を掛けたあと、社員はすぐに倉庫内の事務室へと走っていった。
「開けるぞ」
「はい」
倉庫の外では、すでに鬼崎と道祖土が段ボールの解体作業を始めていた。窒息させるためか丹念にガムテープで目張りしてあり、鬼崎は引きはがすのに苦労している。道祖土は多機能ナイフを取り出して、ビリビリとガムテープを切り裂いていった。箱が解体されると中から大量の吸音材と毛布にくるまれた男子中学生が現れる。手足や口にもガムテープが巻き付けられ、眠ったように動かなくなっていた。
「おい! 生きてるか! しっかりしろ!」
「まだ脈はあります」
道祖土が呼びかけ、鬼崎が脈を確かめた。
口に貼り付けられたテープはゆっくりと剝がされる。唇の皮膚も剝がれてしまい、紫色になった唇を赤くした。
「持ってきました!」
手足のガムテープが取られたころ、社員が毛布や水筒、湯たんぽをもって戻ってきた。
「あんた気が利くな!」
道祖土は社員を賞賛しつつ、冷え切った毛布をのけて、暖かい毛布を中学生に被せる。
「そちらの青年に頼まれたんです」
「そうか。いい判断だ」
「救急車も呼んであります」
「万全だな!」
道祖土は棒立ちした真岡を見上げて、歯を見せて笑った。
「お腹や脇を暖めてください。意識が戻ったら暖かいものを少しずつ飲ませるといいです」
「お前、医者かなにかか?」
道祖土は学生服を脱がし、湯たんぽをTシャツの上から当てながら真岡に訊いた。
「獣医の卵です」
「そうだったのか!」
道祖土が改めて驚いた。
今に至るまで漫画をなくした学生とだけ認識されていたのだ。
「っはぁっ! はぁ、はぁ」
寒さで震える唇が、空気を激しく吸い込む。寒さで休眠していた呼吸が再開され、道祖土や鬼崎が安堵し、モモネは涙ぐんでいた。
「よかった」
「うん、そうだね」
命の助かる瞬間よりも、息を引き取った瞬間を見てきた真岡は、一人感動から取り残されていた。モモネに相槌を打ちながら、救急隊が早く来ることを願っていた。冷蔵庫に放り込まれた人間の救命措置など責任が重すぎるので、さっさと解放されたかったのだ。




