9 エクサティック・フォヴウィード 4
「ええい!元より【SID】と【MID】は犬猿の仲じゃないか。それに加えて今の話だ、宰華帝国美怜皇帝の件で私の気が変わったんだよ!今回、我々が手伝うのは外部介入の証拠固めだけだ。大体だな世理臼、元々君が断ったんじゃないか?こっちも忙しくってな、今から愛すべき遠縁の息子と、ジャジャ馬娘達のお迎えをせにゃならんのだ」
世理臼は、明らかにイラついた語気の中に、クラファードなりの優しさが込められているのを犇々(ひしひし)と感じていた。
その優しさ故に、彼自身自らの地位を危うくしかねない難癖でもあり、それはまた反面、何ら有力な後ろ盾も無いまま非情なる巨大情報調査機関【SID】のトップへと登り詰めた男の持つ、揺ぎ無い強力な武器でもあった。
「ふむ、そうだっけかな?まあ、今回の【MID】も含めた軍統制部の大掃除については、本格的に君の所【SID】を巻き込みたくは無かったのも本当だよクラファード。それと《星龍》の件もだ。有難う、感謝しているよ」
世理臼は、何一つ文句も零さずあっさりと引き下がった。
「ほほう?極めて珍妙な事もあるもんだな、あの世理臼大元帥閣下の口から職務遂行上に於いて感謝の言葉が聞けるとはねぇ、しっかし気持ちが好いものだな~これは。よし、よし、ラジャーだ、そいつも暫くこっちで預かるとしよう」
つい先程まで、嫌味っぽく話を進めていたクラファード局長は、立場を逆転させたように上機嫌で世理臼に応えていたが、やがてその声のトーンを抑えると相手を説得をする様な声色で世理臼に呼びかけた。
「処で・・・結果、貴重な超古代遺跡惑星の一つが消滅し、後々あの星系を崩壊させ兼ねん惨状となってしまった訳だが、君はまだ諦めてはいないのか?」
「ああ、もう後戻りは出来ないさ」
世理臼・レイルズ総監は、キラキラと輝く軌道衛星都市【エリシュオン】のアバターを見つめたまま、遠き昔、滾る希望と夢を抱いて、そして恐怖に凍り付きそうな程の絶望を掻い潜り、辿り着いたあの場所へと思いを馳せる。
「それが【トップ・コア星域】で、君たちが目にした幻影なのか?」
「そう、愚かしいまでに孤独なる人類の中で、それを知り得た者の背負いし宿業だからな」
そう語る世理臼の手元には、グリーニー提督から送られて来たデータ・フォロビジョンの報告が入っていた。
[レイルズ艦隊総監へ、超長距離警戒観測ユニットより報告あり。第五化楽天ニェルマーナ・ラーナティ星系旧【香忰】軌道南極天上方6.3万パーギル付近にて、先ほど正体不明の複数の爆散現象を確認。他世界の艦艇群のものと思われますが、リヴュス反応拡散が微弱であった為、艦籍確認までは不能でした。なお、我々を含めアディリア連合星系、宰華帝国の全ての艦艇は当該宙域からの撤退を確認しております。以上]
世理臼とクラファードが話し込んでいたその頃、【光燐海】の残響による狩猟から零れ落ちた【ヴァレダ】のクラスターサンプルを回収し、【香粋】の在った周辺宙域から離脱を企てていた【FOSS】外周星系連邦の高速強行情報収集艦隊が、何者かによって射掛けられた超長距離グラビティ・ブラスターの集中砲撃により、一瞬の内に殲滅させられていた。
「クラファード、どうやら【シスター】が後始末を着けてくれている様だな」
「うむ。だとすると流石に抜かりは無いな、実に周到・・・と言う外あるまい。道理で、最近音沙汰が無かった筈だ」
世理臼とクラファードは、互いに両の目を眇め、久しく触れることがなかった遠い星々の中に身を潜める、強大な力の存在をまざまざと実感していた。
そして【ルーミィ】の艦体中央部に在るメディカル・ルームでは、バイタル蘇生ユニットに横たわるアリュナールの側で、リトルが鋭く射すような視線を彼女に向け、中断していた憑依体に対する解犎印処置を再び開始していた。
「・・・フムフム。これはまた奇妙奇天烈な《憑神》の様だな。汝、そう息を殺して潜んで居らずとも、余の前へさっさと姿を現すが良いぞ?正体は知れて居るのでな、今より、汝が焔命を召喚する。出でよ【羅刹の王】よ」
リトルは燻らす様に超高速多元開封呪文を括り始め、アリュナールの左腕に填められた【炎樹の剣】の具象体であるブレスレットに向かって、そっと息を吹きかける。
やがて、リトルの詠唱する解犎召喚術駆式の美しき調べに載って、微かな輝きを灯した【炎樹の剣】から数個の蒼い蝋燭の形状をした焔か浮かび上がり、次々と中空に出たその焔群は次第に力強く躍動を始めた。
【カシィ=ゼフェルテティ】は、アリュナールの【炎樹の剣】に封印され、還る故郷を失った不遇なる己が身を呪いながら、その意を失いかけて忘我の淵を彷徨い続けていた。
そして今【ルーミィ】の胎内から生じる強力な厭勝を得て、リトルの謳う解犎召喚術駆式により再び己が意を取り戻し、その身を顕現させていた。
「・・・我は、我々は守護する星を失ってしまった」
「存在し、安棲とする棲み処を永久に無くしてしまった」
「我が使命は果たされたのか、それとも否か。何者も応えてくれる事も無い」
「我々は如何すれば良かったのか?どの様にすべきだったのか?」
「存在するその証を、我々は何者に問えば善いのだろうか?」
「存在する意義すらも、もう既に無いのだ」
カシィの集合意識体は弱々しく怯えて、其の焔をフルフルと震わせながら囁き続ける。
「我々の消滅は、宿命からの解脱と為り得るのか?」
「誰か、我々にその解を与えてはくれぬか?」
リトルは、その身窄らしく小さく灯り、ワナワナと揺らめくカシィの焔をさも面白そうに、それでいて蔑む訳でもなく、暫くの間飄々として眺め入っていた。
「何を小癪な。何故そうまでして小難しき悲壮感を嗜好しているのか、余には全く解せぬのだがな。守護機構神の嘆きとやらは、さてもこのように易と面白き物なるか」
カシィはアリュナールの腕を伝って横たわる彼女の頭上へと静かに漂い遷り、その焔を打ち震わせながらリトルへ問いかける。
「我は最早、その存在を問えぬ身か?」
「ならば御柱は、その答えを持つというのか?」
「我等を哀れと思し召すのであらば、その解を導いては貰えぬか?」
漏れ伝って来るカシィの消え入りそうな思考波を捉えたリトルは、「キャラ、キャラ」と甲高い嘲笑をあげたかと思うと、やおら目を細めて【金銀妖瞳】の妖艶な眼光を湛えた鋭い眼差しで、カシィをキッと睨み付ける。
「何、意図も容易き事であるぞ。汝を縛る軛も既にのおなった故にな。さてよ如何じゃろう?此れよりは余の眷属となるが善かろう。未来永劫その身を粉にして働かば後悔はさせぬ故、如何だ?」
「星龍の眷属となるが解か、ならば古き主も許してくれよう。不幸にして古の契約から解き放たれたる今、新たなる主よ、我等【カシィ=ゼフェルテティ】へ、星々の海にて我等を導きその存在する証を賜らん事を切に願う」
「愛い奴、愛い奴、善きに計らえ」
リフターカウチの上にチョコンと座り、脚を半跏に組んで僅かに傾げた右頬に、小さな人差し指を添えて微笑むリトルの周囲を、カシィは燥ぐ子犬の様にクルクルと舞い続けていた。
「主よ、そこでだが、暫くの間この娘に手を貸しておいても良いだろうか?」
「それに、この俱現呪器も思いの外、身を宿すに中々居心地が良いのだ」
「序に、この娘にも借りがある」
「我自ら、調伏されし契約を反故にはできぬ」
カシィの描く軌跡を眼で追い、静かに眺めていたリトルは、然も不思議そうに頷く。
「汝、それはまた殊勝と言うべきか狷介不羈なる事よのぉ、まぁ我が眷属となるに相応しい心掛けよ。善かろう、寧ろその交した契約とやらを、我が命に代えてと致しても構わぬぞ?」
「其は有り難き事なれば、御心広き主よ、何時久しく誓約を果たされん事を願い給え」
だが、カシィはこの時、アリュナールと名を変えた【アルテミア・ディモス・ロドネル13世】の奥底に潜んでいる《異形の存在》について、何一つ触れようとはしなかった。
そしてこれ以降、永久に失われし惑星【香忰】の守護機構神、羅刹の王【カシィ=ゼフェルティティ】は、【ルーミィ】達と行動を共にして、その威光勢力の復興を目論む事となる。
やがてリトルは、次なる興味の対象をアリュナールへと向けた。
彼女は、意識を失った状態のままバイタル蘇生ユニットに横たわり、躰中の至る所をバイオリミック再生促進パッドに覆われている。
小さな寝息を立てながら、静かに眠り続けるアリュナールの顔をゆっくりと覗き込んだリトルは、少しばかり奇妙な口調で彼女に語りかけ始めた。
「さぁて、アリュナールよ。お前は【香粋】で何を知り、何を視て来たのじゃ?そして、其処に何を隠し持っておるのだ?」
彼女の口元へと近寄って行くリトルの顔には、銀色に光る鱗の様なタトゥーが浮き上がり、アリュナールの喉元から首辺りに唇を添わせて何かを探るようにじっくりと覗き込む。
不気味に命脈する光の雫にも似た、幾筋もの白銀に燐光を放つ星龍の鱗様紋章を顕現させたリトルは、アリュナールの首筋付近にある皮膚に同化したリディスの情報チップシールを見つけると、その内容を確かめる様に舌を這わせ、透き通った真白き皮膚の上からペロペロと舐め回す。
「ふん、何だこれは?存外大した情報ではないではないか。こいつの殆どはつまらない、タダの単なる情報群じゃぞ?フムム、何かの符号か?多積層双極連動群幇諦呪式で括られておる訳でもないのぉ、リディスは何故この様な物を寄越したんじゃ?」
リトルが読み取ったチップシールに記録されていた情報は、何処か見知らぬ宙域にある複数の単なる詳細星域図と、いくつかの大圏航路領域にある経済活動指標を表す数値の羅列としか見えない。
「ダミーにしては、手間の係る事よ。まぁ・・・急ぐ事もあるまい、暫し様子を見るとしようぞ」
一般既知情報の集積である事のみを読み取ったリトルは、そのデータが持つ真の意味を解き明かす価値を計り兼ねたのか、瞬く間に興味を失ってアリュナールの傍から離れた。
続いてリトルは、いよいよ真の目的である明利のメディカル・ポッドへ向かってゆっくりと近づき、辺りを照らして漂っていたカシィに向かって命を授ける。
「カシィとやら、早速だが一つ手を貸してはくれぬか?」
「主よ、何用であるか?」
「汝にとっては容易い事よ。この眠りし者の体内に侵蝕しておる、卑しき呪詛帯の屑を全て焼き払ってはくれぬか?」
リトルは、内臓組織系に損傷度レベル5に至る程の重篤な損傷を受け、凍結呪法を施されていた明利の体内に、未だ潜伏している呪詛帯残滓の侵蝕が酷く気になっていた。
「確かに易き事なれば」
「なれば承知した。命に伏そう」
「この様な使役など、造作もない事よ」
「遺伝子レベルに至るまで、完全に卑しき者どもの汚臭を消し去ろう」
「主の命とあらば、根こそぎ丁寧に滅却浄化しよう。そう、懇ろにな」
《クリプトビオシス=無代謝休眠状態》となって、メディカル・ポッドの中に沈む明利の躰に向けカシィは小躍りしながら同化すると、超微細な一漠プラズマ胞焔を使って、呪詛帯に汚染された彼の身体細胞の約7%を遺伝子単位まで浸潤し緻密に焼却してゆく。
カシィのプラズマ胞焔によって、次第に浄化されて行く明利を凝視していたリトルの表情は歓喜に包まれる。
何時もとは違う、リトルの鋭い輝きを宿した【金銀妖瞳】の眼差しには、まるで絶好の獲物を前にした獰猛な獣が発する欲望の光が宿っていた。
「主よ、一先ず浄化を終え、こ奴の躰もほぼ修復しておいた」
「だかな主よ、こ奴の正体が、奈落に沈みて微睡んでおる様だぞ」
「魂に覇気がない、覇気が」
「つい先程まで、醜悪なる呪詛帯相手に元気に乱舞しておったのだがな?」
「何とも他愛の無い、脆弱な命脈よのぉ」
「而して主よ、こうして看ると、意外や愛おしくもあるな」
「そう、愛おしくも感じて来るのは何故か?」
「もしや、主の影響やも知れぬな」
「以前に感じた、奇妙な感覚」
「身を委ねし、暖かき命」
カシィは、明利の躰からゆるりと浮かび上がって分離すると、リトルの許へと揺らめきながら漂い出て、明利のインナーメンタルが危機に瀕している事を告げた。
「我らの呼び掛けにも全く応じて来ぬが、さて、如何したものかな?」
「主よ、こ奴このままでは正体を失い兼ねぬが、如何なさるか?」
「凡そ人属の脆弱なる魂には、ホトホト呆れ果てるものだ」
「この儘放置しておれば、二度と苦界の底から戻れぬ」
「主よ、如何するか?捨て置くのか?」
クルリと輪を描いたカシィは、リトルの周囲を鬱陶しいまでに纏わり憑いて、10個の焔に分裂しながら盛んに飛び回る。
「知れた事よ、しかして余が身を持って迎えに行かねばなるまいな。したが、・・・ええい、煩わしいのぉ!汝はもう良いぞカシィ・ゼフェルティティ!鬱陶しくて敵わん」
リトルは盛んに周囲を集るカシィの焔を振り払いながら、浮き出た幾筋もの銀色に光る星龍の鱗様紋章を更に輝かせて、煩いカシィに向かって一括する。
「汝は、アルの俱現呪器にでも鎮かに引っ込んで居れぃ!後は余が何とかするでな!」
「主よ、承知した、主よ」
「主よ、主よ」
「主よ・・・」
カシィの焔群はスルスルと、アリュナールの左腕に填められたブレスレット【炎樹の剣】の中へ、意外な程素直に姿を消して行く。
やがて、メディカルポッドの中で揺らめく明利を見つめるリトルの体は、待ち望んでいた何かの意を決した様に、次第に怪しい輝きを放ち始める。
「さてと、明利よ、余の真の姿を思い出すが良い。そして余に誓いし契りを果たして貰おう」
静かに彼女の口から漏れ出した言葉は、遠き昔に誓約を交わす筈であった明利に向けて、その約定履行を迫るものであった。
「最早、余は仮初の余興を続ける気なぞ無い。余を目覚めさせる真の鍵となる御身と漸く巡り逢えた以上、あの忌まわしき時に封じられし誓約を果たしてもらう時が来たのじゃ」
リトルは蒼銀色に輝く髪を振り乱しながら、猛然とメディカル・ポッドの外筒に跳び付くと、妖艶な指使いで明利のメディカル・ポットのタブロックを強制解除し始める。
「さあ、お前の血が、肉が、遺伝子構造の中に織込まれ、隠匿されし【世羅之叡封禁呪文書ルルィエ異幇円陣】が、余の支配を受け入れし契約の証となり・・・」
リトルは激しく訴えながら執拗なまでにタブロックの表面を撫で回すが、彼女の意に反して何故か一向にハッチは開こうとはしない。
ニヤリと唇を歪ませた彼女は、一瞬瞳を見開くと繊細な指先をタブロックに突き立て、まるで粘土細工の様にその爪をメリ込ませた。
「愚かよのぅ、ティアスの奴め、呪符封禁でも咬ませおったか?だが、そうはいかんぞぉ。・・・明利、お前の肉叢の中に存在する全ての記憶情報はのぉ、余の軛の支配を終わらせ、この世界から開放する鍵となるのじゃ。そして余の力はのぉ、お前自身のものとなり、縁ってお前は余に隷属するべき者である事を知るのじゃ」
徐々に【星龍の顕現】を魅せ始めたリトルは、メディカル・ポッドのハッチを紙箱の様に毟り取って抉じ開け、勢い溢れ出すLCL-重Ringel氏液に浸されていた明利の顔を液面に浮かび上がらせると、彼の頭を貪る様に自らの胸元へと手繰り寄せ、その小さく薄い双丘に諚と抱き込む。
「ああぁ、何と、何と愛おしいのじゃ?余がどれほど望んだか、どれほど欲し、待ち焦がれたかぁ!お前には解るまいのぉぉぉ明利よぉぉ、ああ狂おしい迄に愛しきかな!」
明利の胸と腹部にポッカリと開いていた3つの貫通創は既に塞がれ、物理的補完治療を終えて仄と赤く色差した顔色からは、滔々と脈打つ血の気が通い始めているのが窺い知れれた。
「余が幾久しく待ち望んだ時が、今ここに到来しようとしておる!余が心の奥底から欲した時が今此処に在るのじゃ!」
激しく脈動する星龍の鱗様紋章が、銀光に滾り迸る幾筋ものラインを描く。
リトルのか細く小さな両の掌が明利の頬を一層優しく撫でまわし、そして更に激しい息遣いと共にその妖艶な瞳を薄く開いて彼女は喘ぎ始める。
「さあ目覚めよ、明利よ、お前を誘おう。いざ戻り来て、余を受け入れよ」
「何者だ!!如何して、その姿リトルなのか?」
「お前を惑わそう。さあ、余を求めよ、お前にこの身を委ねしその罪を許そうぞ」
「何故だ、何をするんだ?・・・くそっ、近寄るな」
昏睡状態の無意識の下で、明利は必死に踠いていた。
突如として彼の目前に現れ、神々しい迄に銀色の龍翼を広げた蒼銀星龍神属となって迫るリトルの姿に怯え、事の次第も解らぬまま必死に彼女を拒絶し後ずさる。
「さあ明利よ、目覚めて一儀に及び余を犯すが好い。余と共に星龍の戯れし星々の享楽と、微睡みの泉へと至るのじゃ。時空を超えた無常を知りて、その命果てるまで余と共に堕つるが善いぞぉ」
明利の左側には、暗黒の空間が自我を飲み込む奈落の深淵となって、広大な口をポッカリと広げている。
そして右側には、美しき龍姫の姿となったリトルの佇む空間が、仄りと薄桃色に染まって奈落の深淵から続く漆黒の闇の侵蝕を遮っていた。
やがて明利は自らの精神を支配されるが儘、暖かな燐光を発する少女の姿となったリトルに魅入られる様に、ゆっくりと手を差し伸べる彼女の方へ向かって近寄り始める。
「それで好いのだ。明利よ、さあ此れへ。心安じて、余の許へと来るが善い」
フワリと佇むリトルの華奢な両の腕が、明利を誘ってゆっくりと嫋やかに開かれる。
「さあ、余をお前の両の腕に確と抱き入れ、離すでないぞ。さあ、此れへ明利・・・此れへ」
「あ、暖かい・・・何時か同じような記憶が・・・とても危険な感じがする・・・だけどあの安らかな愛撫に包まれて・・・僕はまだ眠っていたいんだ」
朦朧とした意識に呑まれる明利は、魅力的な仄かな明かりを発するリトルの艶かしい姿態へ向かって、欲望に突き動かされるまま引き寄せられてゆく。
それでも彼は必死に手繰り寄せた記憶の中で、真摯に彼を見つめるアリュナールの瞳に意識を繋ぎ止め、リトルの姿に危殆を感じて躊躇する。
「だ、だめだ・・・此の侭ではいけない」
「迷うでない。さあ!早うに!!早う我を抱きて、我を解き放つのじゃぁ!」
待ち焦がれるリトルの【金銀妖瞳】の両眼が確と見開かれ、燃え立つ蒼銀色の光を湛える。
明利は、彼女の発した言葉に抗しきれずその言霊に強制的に操られ、ゆっくりと伸ばした彼の手がリトルの躰に触れようとした瞬間、聞き覚えのある鋭い声が二人の間を刺し貫いた。
「はい、残念でした!!双方ソレまで、其れまーでっ!やはりお前の狙いは、明利の宿業。未来確定変動指数側線上に湧現する不安定確率変動因子との融合にあったのか。ええい、覚悟しろッ!!」
メディカルルームの入り口で、実弾装填マガジン付き【イェルカ・ブラスト】を構えたティアスは、躊躇う事無くリトルに向けて引き金を絞った。
大きな圧搾音の響きと共に【イェルカ・ブラスト】から放たれた2発の弾道は、正確にリトルの眉間と喉元を捉え吸い込まれる様に宙を奔る。
反射的に身構えながら不意を突かれて驚愕に引き攣るリトルの眼前で、「パン、パン」と鋭い破裂音共に透明な液体の入ったアンプル弾頭が飛び散り、清々しいまでに清涼な飛沫がリトルと明利の身体を朝霧の様に包み込んだ。
「ギィヤぁアアアアあああああ!!!」
絶叫を上げるリトルの引き攣った顔が、忽ち苦渋に満ち【ルーミィ】の艦体もそれに合わせて僅かに身震いするのを感じる。
「己れぇい!!何をするうぅぅぅ!こ、これは堪らんぞぅ!!己れぃぃぃ!」
リトルは悪態を吐きつつ悶絶し、彼女の躰を幾筋ものラインとなって銀光に滾り脈動していた星龍の鱗様紋章は、明滅しながら収束を始めてやがて何も無かったかの様に鎮まって行った。
「クッソゥ!この痺れるクッさい下劣な激汚濁臭を、神聖なる我が胎内にて撒き散らしおってからにぃぃ!!」
「あーらそうですか、そりゃ堪りませんよね。ほ~ら、お前が大嫌いなブロスフェ・ルディアーナ(V・R)鉱露水だもの。あら~とぉ~ってもいい香りじゃなぁい?オ~ッホホほほ、邪悪過ぎるお前にはピッタリよね?」
今し方まで確と抱き抱えていた明利の躰を放り出し、苦悶の表情でのた打ち回るリトルを前にして、ティアスは正鵠を射ったとばかりに、ニンマリと不敵な笑顔を湛えていた。
ティアスは、【香忰】へ墜落した混乱の最中に【ルーミィ】への仕返しとして思い付いていたアイディアを実行し、何時か再び出現するであろう【星龍の顕現】となったリトルを封印するため、嘗てリトルの忌避剤として唯一効果があったブロスフェ・ルディアーナ(VR)鉱床から採取された水解物をお見舞いしたのである。
「あら、やっぱりこれって聖水なのかもね?眉唾物だったけど、結構姉貴には効き目有るわねぇ。しめしめ、今度、星間通販で大量に仕入れとこッと」
「何をするのか!ぁぁぁあああ!こうも毎回、毎回、毎回、いけしゃあしゃあと余の邪魔をしおってからに。大概にせぇよ馬鹿ティアース!!折角、昂った崇高なる我が煽情思考紋が台無しではないか!萎えたわ、あーあ、萎えてしもたわい!ううう、臭、くさ、クサ~くっさいわい!!ケロケロ~ぉ」
苦悶の表情をしたリトルの悶え苦しむ様は、ティアスにとって快感にも似て、いや殊更愉快でもあった。
「如何したものかしらねぇ?封禁まで破っちゃって、あんまりお刺激が強過ぎたのかしら?やれやれ、やっと正気に戻ったか。私の目の前で、お前みたいな淫乱星大蜥蜴が人と交合う姿など、そんなケッタイな見世物曝すんじゃ無いわぁよ!!」
「フン!!よっけいなお世話じゃい!お前も随分とご大層な身分じゃな。余を愚弄するにも程があろうぞ、この経験未熟な耳エロ年増めが!!そら、見るが良い」
リトルは頻りと鼻を押さえながら素っ裸で転がる明利を指差し、思わず釣られそこへと向けられたティアスの視線が凝固する。
「お前もこ奴の妖艶な躰が欲しかろうに、おお?そうであろう?では、お前も血迷うてみるか?ふふん!きぃ~っといいモノが味わえるだろうよ?ぎゃははハハハハ!」
「ば、ば、ばばばばばばかな事を!ち、ちちちち血迷うとるのはお前だぞリトル!ええぃもう一発これでも喰らっとくかぃ!!」
ティアスは思わぬリトルの反撃に狼狽し、再びブロスフェ・ルディアーナ(V・R)鉱露水弾の装填された【イェルカ・ブラスト】の引き金に指を掛けた。
今度はリトルも反撃の機会を狙って、クルリと宙を舞い天井へピタリと張り付くと、鋭い八重歯をむき出しにして上からティアスを威嚇する。
「う、ううん?・・・あっ、痛ったたたたたたた」
只ならぬ二人の喧騒を感じ取ったのか、バイタル蘇生ユニットに横たわっていたアリュナールが、何時の間にか上半身をゆっくりと起き上がらせていた。
「あら?ティア、リトル?二人ともどうしちゃったの?何時もの姉妹喧嘩?ふウゥぅ、ご機嫌宜しいかしら?」
彼女は互いに睨み合ったまま対峙しているティアスとリトルに向かって、その場違いな程に緩い微笑みを向けると、両者の間にあった一触即発の緊張感はスルスルとあっという間に解けて行った。
「お、おおぅ・・・フム、気が付いたかのぉ?アルよ」
「酷い目に逢ったみたいね、アル。もう大丈夫よ」
リトルは、再びヒラリと一回転しながら宙を舞って見事に着地すると、何事も無かったかの風体を装って、アリュナールの傍へと至極落ち着き払った自然な仕草で歩み寄る。
「あらぁ?何だか明るい日溜りの様な、草原を渡る清々しい凄く良い香りがしているのね?何かあったの?」
素朴なアリュナールの質問に、答え辛そうに苦笑いをするリトル。
その反対側に居たティアスも、握り締めていた【イェルカ・ブラスト】を静々と、後ろ腰のフォルダーにそっと収めた。
「・・・あっ、そうだ!明利は、明利は何処?明利は、大丈夫なの?」
アリュナールが慌てて周囲を見渡し、隣にあったメディカル・ポットの縁に引っかかって横たわる明利の姿を捉えた彼女は、一瞬表情を曇らせ立ち上がった途端、ふら付く身体を支え損ねてバイタル蘇生ユニットから床へと転げ落ちる。
「これ、アル、動くでないぞ!お前はまだ・・・」
「明利、確りして!・・・ヤだ、明利、明利、明利!」
リトルの制止を遮り、全身LCL-重Ringel氏液に塗れて横たわる明利の傍へと、それでもアリュナールは必死に満身創痍の躰を引き摺って近寄って行く。
彼女は明利の顔を覗き込み、ポッドの縁に引っかかっていた彼の身体をそっと抱き寄せると、愛おしいまでに優しい指使いで仄かな温かみのある彼の頬に触れ、その命の在処を確かめる。
「明利!明利!生きてるの?ああ・・・生きてるのね!!良かったわ、よかっ・・・た」
そして彼女は、明利の唇にゆっくりと柔らかな唇を重ねていた。
アリュナールの柔らかで暖かな唇の刺激を受けたのか、微かに明利の指先がピクリと動き、彼の瞳が薄らと開き始める。
塞がれた唇の感触を確かめながら、明利はそっとアリュナールの体を抱き寄せていた。
「・・・ア、アル。・・・無事だった・・・ようだね」
漸く離れたアリュナールの唇に目を遣りながら、明利の口から辿々(たどたど)しく言葉がこぼれる。
「バカね。自分だけ大騒ぎして、勝手に大怪我しちゃって、下品すぎます。でも・・・でも、助けてくれてありがとう。貴男が生きていてくれて・・・一緒に居てくれて、ありがとう」
互いの無事を確かめる様に、アリュナールは再び明利の唇を求め微かに震える彼女の頬を伝って、幾筋もの涙の雫が明利の口元へとポツポツと零れ落ちる。
彼女の背後では、その健気な姿とは対称的に鼻をつまみながら「ブツブツ」と、一心に文句を垂れているリトルの姿がとても滑稽に映っていた。
「アル、き・・・君の姿も・・・結構、酷い・・・よ・・・ね」
絞り出した明利の声にハタと気付いたアリュナールは、バイオリミック再生促進パッドを身体中に貼りつけられた自分の姿をマジマジと見回し、チョコンと肩を竦めてニッコリ微笑む。
「そうね、かなり下品かもね。でも、貴男が生きていてくれたわ・・・嬉しい。これ以上嬉しい事は無いの。私ね今、とっても嬉しいの。明利、明利、私を離さないでね。ずっと・・・傍に居て」
明利を確りと抱き包んで囁く彼女の一途な想いに、明利の返した声は擦れ言葉にならない侭、彼の目じりの端だけがニコリと歪む。
この数日、二人の間に一体全体何が起こったのか、初々しいまでに純粋に交わされる二人の愛の姿を、ティアスとリトルは半ば羨ましそうに、そして恥ずかしそうに見守るしかなかった。
「いや、まあ、その、何だな。・・・取敢えず良かったではないかティアよ、なぁ・・・コホン」
「まぁ、そう、良いんじゃあないの?・・・二人とも、何とか無事の様だし、ねぇ・・・エヘン」
「フム、フム。そう、善きかな、善きかな」
「ほーんと。そうね、若いって羨ましい事。こっちまでほっこり嬉しくなっちゃう」
「だがなぁここも、余の体内なのだがな?」
「異種属間の交合いより、ま~しでしょ?」
「(プチ)何んじゃぁとぉ!?やるのんかぁ?ごぅらあああ!このクッさい匂い、お前が除染掃除せぇよお!」
「(プチ)フン、元より無駄な事。除染ですってぇ?ほほぅ~邪魅を浄化したのだから、その必要はなかろうよ」
再びティアスとリトルの間に火花が散るが、タイミングを見計らった様にブリッジの伽罹那からコールが割って入る。
「ティア、リトル、間も無く【煉獄宇宙】第壱階層壺海周辺チャートを抜けるよ。それからさっきさぁ、艦の制御がちょっと変だったよ?何処ぞで油なんぞ売ってないで、さっさとブリッジに戻ってよ。直接リテラトゥール宙域に浮上する事になるんで、恒星系内軍警にでも見つかったら一発勃発、即刻揉め事だよ」
「ラジャーだ。伽罹那、すぐに戻る。・・・フン、もう一発喰らわしとくべきだったかしらねぇ」
「ラジャーだぞ。チィッ、相変わらず良い感をしておるのぉ?いや・・・確かに善い腕であるな」
傷だらけのアリュナールと明利との間で、互いに触れ合い交される愛情に癒されてゆく姿を前にして、これ以上邪魔するの余地が無い事を悟ったのか、小さな溜息を吐いたティアとリトルは二人仲良く連れ立って、悄悄とメディカル・ルームを後にする。
銀河中心恒星系群の淡い放射光を背景とした宇宙空間を切り裂いた【ルーミィ】は、一筋の漣を曳きながら【煉獄宇宙】入界時とは逆に、蒼白く輝く研ぎ澄まされた刀剣となって虚空を捲り現象宇宙へと出界した。
その遥前方には、小さく見慣れた青く輝く惑星【リティラトゥール星系第Ⅳ惑星シルファード】が、彼女達の帰還を待ち侘びるかの様に静かにポツリと浮かんでいた。




