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7 コンヴァージェンス・ジェネシス 5

 「赤い星の運命を背負いしロドネルの宗主殿、我が親愛なる友アルテミアよ」


 再びリディスは、疲れ果てた表情の中にも穏やかな慈愛を湛え、アリュナールに向かって優しく語りかける。


 「古き記憶を忘れ去った貴女へ、そして今、守るべき者を手に入れた貴女に、この剣【炎樹の剣レーヴァティン】の呪力を渡しておく。そうね、あの時の約束を果たさせる時なのかもな、【明利(メイリ)】と一緒に大切にするのよ」



 リディスは、【炎樹の剣レーヴァティン】の発現器であるブレスレット、《第Ⅵ文明の散逸遺産》の一つをアリュナールに手渡しながら、そっと明利へと目配せする。



 「さあ、お行きなさい。あの時の《約束》よ、この子を宜しくね」


 「いえ、これは預かっておきます。必ず返しに行きますから」


 「あら、何てこと。それは良い心掛けね、《私の物は私の物。貴女の物も私の物》だった昔のアルテミアらしくなくて感心するわ。でも、その前に先ずは明利の命をお救いなさい。その昔、貴女が願った《約束》の続きが、今これから始まるのだから」



 そう告げるリディスの体は、次第にコントロールを失って再び酷い痙攣に襲われ始める。

 アリュナールは、失われていた筈の記憶を少しずつ手繰り寄せ、確かめる様にリディスに向かって問いかけた。



 「しっかりして、貴女は何者なの?その記憶・・・まさか、そう。フェリィシィアしかいないわ?・・・そうか、やっぱり貴女はフェリィシィアなのね?」


 「フフフ、アルテミア、少しは思い出してくれたらしいな。・・・ああ、その名を聞けるのも、実に久しぶりだわね」


 「じゃあ、あの時の、あの【リトープス】を、【フェリィシィア・コルディス】憶えているのですね?」



 急に咳き込み、屈み込んだ込リディスの左腕の傷口から滲む血の色は、もう既に完全な藍青色へと変わっていた。



 「ゴホッ・・・残念だが、そうとも言えるし、違うとも言える。ハァハァ、私は【明利】の遺伝子提供者【フェリィシィア・コルディス】のグッッ・・・ミーム同位体の一つ、彼女の記憶を継ぐ別の存在(フェリィシィア)なのだ」 


 リディスの発する圧縮集積された高速犎印詠唱と同時に、【炎樹の剣レーヴァティン】は、アリュナールのブレスレットから立ち昇る琥珀色のオーラを輝かせ、ゆっくりと彼女を包み込み融合してゆく。



 「だから、私を探す限り、何れ再び私に会える筈だ。さあ、もう行くがいい。願わくば【炎樹の剣レーヴァティン】よ、その庇護の下にて、彼女らを守らしめよ」


 「リディス、いえ、フェリィシィア。貴女これから一体、何をするつもりなの?」



 リディスの目は、既に焦点が定まらなくなっているようで、遥天空の先を見据えて彷徨っていた。



 「ここを・・・破壊するのだ・・・【ヴァレダ】を封滅させるのだよ」


 「ダメです。貴女をここに置いては行けない」

 

 「今度は、私が助ける番だ・・・さあ、もう行け」


 

 サミュエルの耳に何気なく交わされる二人の会話が届くと、彼女を気遣いそっと支え続けていた彼の顔は、血の気が引く様に見る間に凍り付いて行った。

 その会話の内容には、場違いに思える程驚愕すべき重要な事実が秘められており、サミュエルはその情報群に触れてしまった事によって、途轍もない畏怖の念を抱かざるを得なかった。



 (リティス少佐=カリビア議長の根源的正体が、あの【フェリィシィア・コルディス】だと!?)



 【フェリィシィア・コルディス】。

 その名は、今を遡る事約30星歴年前、ラー・レラス共星群拡大調査局【グラーヴェ】の最盛期にあって、七大世界の隅々にまで情報収集網を張り巡らせた諜報組織、特殊調査機関の局長として君臨し、伝説の魔女と呼ばれていた存在である。

 しかも、人類銀河世界に最も恐れられていた、今は亡き彼女自らが生み出し、その力を継承した影の諜報組織【ノェル機関】の支配者である、評議会委員長カリビア・エレ・ラーナが彼女と同一人物だったとは。



 「・・・有り得ない、有り得る筈が無い・・・だが・・・」



 加えて今、彼の目の前に存在しているアディリア連合星系国防議会調査局リディス・メルヴィスの実態さえも同時に有しているとは。

 《フェリィシィア=カリビア=リディス》と称する、この人物の前に流れる30星歴年と、三つの異なった特殊調査機構を支配し存在すると云う時空間的隔たりは、当に【魔女】の所業なのかもしれない。



 「・・・だが、それもまた事実だ・・・理解は出来ないが、不思議と納得はいく。ふぅ、そう、何故かは知らぬが・・・まあ、いいのさ」



 彼は一瞬肩を竦めると、それ以上考えることを諦め何事も無かったかのように、淡々と二人のやり取りを見つめ続ける事しか出来なくなっていた。

 それにもう一人、彼の目の前に佇んでいる華奢な体をした女性の正体が、嘗てソル系連邦の重要人物の一人であった【アルテミア・ディモス・ロドネル十三世】であると明かされていたが、その当該人物についても、既に死亡したと記録に残されていた。

 面白い事に、互いに亡霊とも言えるその二人の間には、接点と云うべき何らかの関連性が存在していたらしい事も窺い知れる。



 「俺も、これまで随分と色々な事象を見て来たが、そのどれもが事実で、どれもが虚構であり、真実とやらには辿り着け無かった気がするが・・・いや、そもそも真実など在りはしない」



 彼は決して語られる事の無い埋もれた歴史の一断面に、今、遭遇していた。



 「真実とは、一つの事実に多くの思考認識が重り合わされた結果に過ぎないものだ。そして、それは当事者以外の第三者にとって、永遠に解り得ないモノなのだろうな」



 これも、只の単なる一つの事実=寓話にして、世界の趨勢と数多の人の運命さえも決しかねない者たちが紡ぎ出す、些細な物語の一つなのだろう。

 唯一そう感じる事が、虚無なる傍観者へと成りきる事が、今、彼に課せられていた。

 これまで、何事にも(こだわ)りを持たぬ生き方が自然と身に沁みている、それが彼、国防議会調査局員サミュエル・イスファルト特務佐官補の強さなのかもしれなかった。



 「答えのないモノを探し続ける愚者、か。これも調査局員の性なのだな。実に哀しくも、面白いものだ」



 彼は感慨深げにそう零して、リディスとアリュナールを傍観者の如く見つめ続けていたが、リディスの発した次の言葉に、再び激烈な闘争の現実へと意識が引き戻される。



 「アルテミア、既に最終攻撃用質量兵器を発動させている。もうすぐ私の意識は閉じるが、その前に衛星軌道上に待機している【ルヴァージュ】の辺縁系ユニットを、此処へ落下させるようセットしておいた」


 リディスらが【香粋(かすい)】へ降下する際、惑星周回軌道上に残置しておいた【ルヴァージュ】の辺縁系ユニットの《リヴュス反応炉》は、まだ活性(いき)ていた。



 「少なくとも、半径300Kテルメ四方の物質が消し飛びますか・・・」



 サミュエルが淡々と破壊目算を告げると、リディスは引き攣った笑顔を返して言葉を続ける。



 「その莫大な落下質量エネルギーと、臨界状態のリヴュス・ドライブを有した巨大誘導爆縮爆雷で、ここの機能の全てを消し去るつもりだ」


 「何てことなの、貴女は最初から死ぬつもりで・・・」



 リディスの言葉に隠されていた堅く不抜(ふばつ)の決意を感じ取り、思わず絶句するアリュナール。



 「ああ、そうとも言えるし、そう在りたくも無かったとも言える。だが他に、もう奴の覚醒を止める手段は無いのだよ、アルテミア」


 「だからって・・・だからって、貴女が犠牲になるなんて、良い訳ないじゃない!」


 「アルテミア?他愛のない単なる二者択一の過程に過ぎぬよ。「滅ぼす」か「滅ぼされる」のか、それはそれで実に選択の余地もない、奴らの創造主と同じくシンプルで、儚く美しき滅びへの(いざな)いだとは感じないか?」



 澄み切った瞳をスッとリディスに向けたアリュナールは、微かに震えた声でリディスに問いかける。



 「・・・あの時と同じなのね。私達、また何時か逢えるのかしら?」



 そう呟いたアルの両瞳には、自然と涙が溢れ出していた。



 「ふっ、・・・同じことを何度も言わせるな。まさか、本当に貴女に託す事になるとは・・・ね、アルテミア」



 リディスは、残った震える右手をアルの頬に当て、その暖かな頬を零れて伝い流れ落ちてゆく涙にそっと触れる。



 「暖かい。・・・ホントに傲慢な奴だな、お前さんは。アルテミア・・・いいから早く行ってくれ!!息子を・・・【明利】を頼む。それから(ついで)にサミュエル・・・こいつもな」


 「・・・はい、リディス。いいえフェリィシィア・コルディス。確かに【明利】を貰い受けたわよ!!」



 アリュナールの、いや、アルテミアの魂の底から振絞った覚悟の声を受け、リディスは安心した様子で微笑みながらゆっくりと双瞼を閉じる。



 「リディス少佐、リディス艦長!それはダメだ、リディス、目を開けろ!リディース!!」



 サミュエルが絶叫に近い声を張り上げて、リディスの躰を抱え上げようとしたその瞬間、彼女は再び閉じた瞳をカッと見開くと、既にその瞳は蒼く染まり不気味な程に異様な光を放っていた。

 遂に、自らの意識さえも【ヴィオラディ・テグラ】に支配されてしまったリディスは、強烈な力でアリュナールの体を振り飛ばすと、続いて追い縋るサミュエルを思い切り蹴り飛ばし【レセプター】を囲む断崖の上に向かって一気に飛び跳ねていった。



 「くそぉ!・・・リ、リディス・・・・・・・・・・・」



 彼女は、サミュエルの声も届かぬ間に異様な程の跳躍を見せて、急速に彼らの許から遠去かって行く。

 最早、彼女を救う手は無く、開かれようとする古の破壊兵器の眠る扉を、塞ぐべき手立てさえも潰えてしまった。

 サミュエルはゆっくりと立ち上がると、リディスへの別れを告げる筈の言葉を探して、次第に小さくなって行く彼女の姿を追って迷い続けた挙句、成す術もなくただ無言のままに敬礼を送る事しか出来なかった。



 「・・・無様だな・・・」


 「いいえ、そんな事は有りません。サミュエルさん、きっと彼女は誇りに思っている筈です」



 サミュエルには、彼女に対する別れの言葉を本当は如何告げていいのか、判らなくなってしまっていたのであろう。

 アリュナールの差し伸べられた救いの言葉に、彼は再びリディスへの想いを確かめてみる。


 <貴官ととご一緒させていただき、光栄でした>

 いや。

 <尊敬しています>

 それも違う。

 <貴女を愛していました>

 況してや、そんな有触れた低俗な言葉でもない。

 彼の中に湧き上がって来た言葉は、何故かどれも彼の心情とは酷く違っていた。

 満身創痍の姿で、最後まで忠実に己が使命を全うしようとする激しいまでの彼女の執念と生き様に、心の底から敬意を払うべく、唯、静かに黙して敬礼を送るのが精一杯だったのだ。

 やがて、断崖の上へと辿り着いたリディスは佇んだ後に振り返って、アリュナールとサミュエルの方を見降ろすと、一瞬だが一瞥を送る様な仕草を残し、活性化した水蓮の胞襞(レセプター)受容体中心核の上へとその身を投げ落として消えていった。


 そして遂に【ヴァレダ】が覚醒する。


 【レセプター】は、その花唇に包まれて融合を遂げたリディスから【ヴィオラディ・テグラ】の呪詛帯構成因子である【ヴァレダ】の賦活起動情報を受け取り、幾重にも重ねた赤銅色に色付いた蓮華状の花弁を輝かせながら一斉に開花を始めた。 

 その姿は、次第に巨大な水蓮の花弁を模して膨らみながら、不気味な程に可憐な輝きを増す。

 その融合の輝きを受けて、アリュナールのブレスレット【炎樹の剣レーヴァティン】に封印されていたカシィは、もがき苦しみながら慟哭した。



 「「「「「「「「「「しまった!しまったぁ!!」」」」」」」」」」


 「闇を生むもの、全てを破滅へと導く【ヴァレダ】が到来するぞ」


 「【ヴァレダやつ】が起動する」


 「奴の覚醒を防げなかったのは、何と愚かな振る舞いだったか」


 「愚かな我が欲望に、身を委ねてしまったからだ」

 

 「我らが抱いた欲望、その後悔に、未来永劫苛まれる事となるのか」


 「何故だ!何故だ!何故だ」


 「使命さえ果たせぬとは、何と無益で愚かな事なのだ」


 「我らが主の、滅びて後」


 「なお待ち続けた、800万那由多劫に至る久遠の時が、今、瓦解する」


 「我は、負けたのか」



 滅び去る運命に抗いきれず、滅び去った(あるじ)に託されし使命を果たせなかった孤高の守護機構神は、永遠なる未来永劫へと継承される自らの負った深き罪を嘆き、身悶えするしかなかった。



 星蒼銀の槍と化して【香粋(かすい)】の大気を切り裂きながら、気圏内巡航高度限界危険低空域に達した【ルーミィ】のブリッジでは、【香忰】の惑星全体に広がってゆく異変を前にして、【ヴァレダ】が賦活状態に到達したことを知らせるフォロビジョンが激しく次々と明滅していた。



 「惑星全体に、高エネルギー流動反応が多数発生してるよゥー!オービタルリングを巻き込みながら、惑星軌道領域にまで、急速に呪詛帯が浸食し始めていますゥー!喰われちゃうよゥー、何かヤダよゥー!!」


 「呪詛帯樹状クラスター構造によって覆われちゃって行ってるよゥー、惑星規模で急速に構造崩壊・再編してますゥー。もう直ぐこの空間も取り込まれちゃうよゥー!喰われちゃうよゥー、何かヤダよゥー!!」


 「ギャーギャーうっせぇンだよ!あんぽんタ〇ス〇双星神(アシュヴィン)が、ちったぁー黙ってろぃ!!お前らの〇〇☆彡▽◇でぇ****ってやるからなぁ!!」


 「落ち着け!混乱するな、伽罹那。ちょっと今の、セクハラ問責だぞ、いいから落ち着けィ」



 虹色に煌めく操艦パイロットスーツを身に纏った伽罹那が、噴き出す汗を輝かせながらラミアに向かって罵詈雑言を投げ衝け、何時もの冷静さを取り戻すべきティアスも、珍しい事に少しばかり混乱している。

 繰り広げられる異様な光景を前にして、既に半泣き状態になっているラミアのコンソールボックスの上部では、アリュナールと明利を呼び続けるテミアが、ビジィフォン・イコライザーと必死に格闘を続けていた。



 「んんーっと、よっし拾ったぞゥー!!何?何んて言ってるのアルゥー?良く聞こえないよゥー・・・ティア!アルです。アルからの通信拾いましたよゥー」


 「よし、フォロヴィジョンへ、スプールアップだ。メインへリレーしろ!」



 ティアスの指示と共に、傷だらけになったアリュナールの小さな姿が映し出されると、アリュナールの声が微かに囁き始め、そして次第に確りとした声が耳へと届き始めた。



 「アルよりティア。ティア、リディスの救出は不可能、ダメでした。でも、彼女の持っていた属性情報を手に入れたわ。オペレーション遂行完了です、オペは成功です!」


 「「「よッしゃあ!!」」」


 「ラジャーだ!アル良くやった、これよりターミナルフェイズ回収ステージに移り、一気にここから脱出するぞ!」



 双星神(アシュヴィン)伽罹那(カリナ)の声が見事に輻輳すると、ティアスもキャプテンシートから身を乗り出し、小さくガッツポーズを決めてアリュナールへ答える。



 「でも、ティアお願いよ、早く!お願い早く来て!明利の命が危険な状態なの!!今は、リディスの施犎術で躰も意識も凍結されているけど・・・でも、でも!呪詛帯に浸食されて・・・もう長くは・・・持ちそうにないわ!早く!お願い早くうぅぅぅ!!」



 必死に助けを求めるアリュナールの声は、未来を失う恐怖に怯えているのか、何時もの彼女らしからぬ程に打ち震え、激しく動揺していた。



 「何だと!待っておれ!!今直ぐそこへ行く。全てを(なげう)ち、一刻も早う余の許へ還って来るが良い!」


 「ラジャーだ。アル!《ミッドガルド》に明利を載せて、北天に向けてフルスロットルで上昇しろ!!全力で、必ずお前達を受け止めてやる!!!」



 正常な言語野の調律を取り戻したリトルの声に被さって、ティアが一際大きな声で叫ぶ。

 ティアスの絶大な信頼に裏打ちされた、熱い声を聴き届けたアリュナールの心の中からは、明利を失いそうになっている絶望感が今、不思議と潮が引くように搔き消えて行った。

 アリュナールは決意を新たに顔を上げると、必死に明利を引き摺りながら最後のチャンスに賭けるべく、敢然と【ミッドガルド】へ向かい始める。



 「もう、泣き言なんて言っていられないわ。生きて、生きて、生きて!生き残ることに執着するんだ!あの時の様に。そう、あの時の様に私達は必ず未来を勝ち取ってやるの!!例えこんなちっぽけな命でも、必ず繋ぎ止めて見せるわ!!」



 アリュナールはそう呟いて自分に言い聞かせると、確りと踏み出す一歩一歩には、ずっしりと圧し掛かる明利の重みと、その命の確かな存在を感じていた。

 だが、彼女の足取りは覚束なく、その足を踏み出す度に彼女の躰にも鈍い痛みが込み上げ大きく蹌踉よろめく。

 満身創痍となった彼女の躰には、これまでの戦闘により至る所で酷使された疲労が蓄積し、彼女は悲鳴を上げる全身の筋肉へ更に負荷を掛けながらも、必死に明利の躰を運んでゆく。

 突如、その重みがスッと軽くなったかと思うと、傍に寄り添ったサミュエルの力強い腕が、明利の躰を軽々と持ち上げてくれていた。



 「もう直ぐそこだ、急げ」


 「ありがとう、サミュエルさん」



 寡黙に語り掛けたサミュエルは、アリュナールに手を貸して二人をミッドガルドの傍へと寄せ、そして操縦シートに跨った彼女の背中へ明利を背負わせると、確りと固定用ハーネスで二人の躰を機体へ固く結び付け始めた。

 アリュナールの背中にはゆっくりと、だが確実に冷たくなってゆく明利の体温が伝わっていたが、それに加えて、彼女にはもう一つの厄介な問題にも向き合わねばならなかった。



 (急がなきゃ。でも、如何しよう)



 アリュナールは、その最も苦しい決断に迷っていた。

 タンデム仕様のミッドガルドでは、(たと)え全てのウェポンユニットをリジェクトしたとしても、もうあと一人として余分に人間を搭乗させるペイロードなど存在しはしない。

 そう、今当に二人を助けてくれようとしているサミュエルを乗せて、一緒に離脱上昇する事など到底不可能である事は明白であったからだ。

 サミュエルを見捨て自分と明利を生かすか、共に滅ぶのか、どちらかを選択せねばならない。

 だが、彼女が下すべき究極の選択の結果を導くかのように、サミュエルはゆっくりとミッドガルドから後ずさり、尚も戸惑い続けるアリュナールに向かってキッパリと言い放つ。



 「さあ、行けぇい!行くんだ!!彼を助け、自らの任務を果たせ!!」


 「だめよ!サミュエルさん。貴男も行くの!」


 「そうだな、その言葉だけで十分だ」



 躊躇を続けるアリュナールの必死の呼びかけに、サミュエルは満足げな微笑みを湛えて静かに首を振りながら答えた。



 「リディス、いや、カリビアの指令をやり遂げねばならんのだがな・・・それも、もう遅かろう。既に私はアディリア軍籍を、属した国家機構体からさえも消されてしまった存在だ。何、君らが私を助ける理由に及ばないし、その意味も、もう無くなった」



 彼はそう言いながら、遠くを見つめレセプターの谷間へと視線を向ける。

 辺りは地殻構造が変化を続けて多くの亀裂が走り、今し方まで押し寄せてきていた呪詛帯の群れも次々とその渦の中へと飲み込まれ、【ヴァレダ】の躯体へと融合されて行く。



 「どの道、小型巡航艇まではもう間に合わん・・・それでも君は、このような輩の身までも案じてくれると云うのだからな・・・任務とはいえ、敵の身でありながらも嬉しい限りだよ」



 サミュエルの意を決した声がアリュナールに届いたその時、【炎樹の剣レーヴァティン】に刻み込まれたリディスの記憶情報から、【ルヴァージュ】の小型脱出艇にあるコクピットイメージがリーディングされ、彼女の脳裏に逆流の様に流れ込んで来た。



 「・・・!?そう言う事なのね。いいえ、貴男も必ず逃げてもらいます。私はリディスにそう約束したの!」



 アリュナールは、【炎樹の剣レーヴァティン】から流れ来る記憶情報が語る意味を読み解き、サミュエルをキッと見据えると、彼に向かって命ずるように言う。



 「サミュエルさん。貴男に託された、リディス少佐からの指令を果たして下さい。私からもお願いします。そして、《カリビア》によろしく伝えて。《フェリシィア》の古き親友、アルテミアから「愛しているわ」ってね!」



 そう告げたアリュナールは神々しいまでの微笑を彼に向けると、天高く(かざ)した彼女の左手が一瞬琥珀色に燦然と輝きを放つ。



 「今更、何を言っているんだ。君は、私に一体どうしろっ・・・・!?」



 彼が喚くように話している間にも、白く輝くカシィのサークレットが一斉にサミュエルの体を包み込み、あっという間に彼の姿は搔き消える様に消滅していった。



 「使わせて貰っちゃったわよ、リディス少佐の【炎樹の剣レーヴァティン】。うん、これって意外と便利かも。でも、どうしても【ルーミィ】まで跳べないってのが気になるわ。何でかしらねぇ?もうちょっと研究しなきゃ。このままでは、宝の持ち腐れと言うべきかな?ふ~ん、でも使えなきゃただのアンティークのガラクタよね・・・ホント下品です」


 アリュナールは繁々と【炎樹の剣レーヴァティン】をそらへと向けて翳しながら、不思議そうに囁いていた。



 「ところで、守護機構神さま?何時まで()いていらっしゃるのかしら。そちらも下品極まりなくってよ?カシィ=ゼフェルティティ。しっかりなさい!」


 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・。・・・・・。・・・」



 アリュナールの左腕【炎樹の剣レーヴァティン】の中で封印された、カシィの声にならない後悔と絶望の嘆きが、太古から続く思念韻律を奏でるかのように幾重にも連なり、無音のまま哀しき螺旋の旋律を描いて響き渡っていた。



 「いっけない、早く明利を助けなきゃ」



 彼女は確かめる様に後ろを振り向くと、目を閉じた明利の蒼白な顔に、差し迫った命の危機感を募らせる。

 アリュナールは、気を取り直して《ミッドガルド》の全ての武装ユニットを取り外し、スロットルレバーを全開に押し込むと、一気に瘴気渦巻く【鎮める神殿(レセプター)】の上空へと駆け上って行った。

 仲間を信じ、明利の命を守るため只ひたすら北天を目指して、再び「生」への渇望を勝ち取るために、アリュナールは独り、生き残るための戦いへと赴いたのである。

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