7 コンヴァージェンス・ジェネシス 3
【ヴィオラディ・テグラ】との死闘を繰り広げていたアリュナールと明利の眼前では、青天の霹靂の如く天空を切り裂いた一筋の白亜のエネルギーラインによって、呪詛帯樹状クラスターに閉ざされた空間が突如解放されて行く光景が映っていた。
突然の出来事に天空へと目を凝らした明利は、抉じ開けられた蒼穹の裂け目から、煌めく陽光を反射させて星銀蒼に輝く【ルーミィ】の艦体が悠然と翻り、一気に高度を下げて接近して来る姿を捉える。
「来たぞ!!ルーミィだ!」
「ええ、来てくれたわ明利!!」
【ルヴァージュ】の脱出用小型巡航艇へと向かい、死闘を続け必死に後退するアリュナールと明利の瞳に映った【ルーミィ】の勇壮な姿は、絶望に閉ざされた空間に穿たれた一筋の希望の光明にも思え、二人は忽ち歓喜に包まれた。
「ラッキィ~!!!アル、すっごいタイミングじゃないか!!」
「ええ、そうね明利。それに【ルーミィ】との通信も回復したわ。ええそうよ、二人とも無事よ・・・んんっ待って、何?テミアが何か言ってる・・・えっ?何ですってぇ?言ってる意味が解りませんょお~って、ティアスが?【ミッドガルド】で北天へ飛べって言ってるって?」
「なんだって?アル、それってどうする心算なのかな?」
歓喜に溢れた明るい安堵の表情を見せたかと思った矢先、ティアスから指示された難易度の高い救出プランに対して、顰めっ面をしたアリュナールが辛辣に零す。
「んっとにもう!明利、覚悟しといて下さいな、《ハイレート=クライム》で私達を回収するんですって!何てこと、無茶と言おうか、乱暴なのは何時もの事なのよね~ほんっと!下品です」
「冗談じゃない!そんなの何時もやってるのかい?《ハイレート=クライム》ってば、戦闘機じゃないんだぞ!」
「ふふふそうね、やってなくも無いわね、今回はもう少し余裕が欲しいとこだけど」
「下品なんてもんじゃないと思うんだけどなぁ、僕たちの身にもなれってーの!」
「でも、こんなのもアリかもね・・・この状況じゃあ贅沢は言えないんじゃなくって、明利?それとも、また私と一緒に飛ぶのはお嫌ですか?」
緊張の連続の中でも力強さを失わない、柔らかなアリュナールの声が説得力を持って明利の心に響き、キラキラと輝く彼女の瞳は二人の未来へと繋ぐ手を差し伸べているようにも思えた。
「ううっラジャー。ふぅぅ、しょうがないなぁ、じゃあ行くよアル」
「ハイ!!」
躊躇する事も無く返されたアリュナールの明るい微笑みに、明利の不安もあっという間に霧散する。
「よっ!お二人さん、精が出るじゃないか。俺も加勢するから、早いとこ脱出艇へ向かおうか?んんっ、ちょっと頭を屈めてくれないか、そう、ほうらよっと!!」
その声に明利が振り向くと、リディスを背負ったサミュエルがハイパーブラスターを勇壮に構えており、一瞬、劈く射撃音と共に彼の構えたブラスターからエネルギーブレッドが迸ると、明利とアル目掛けて飛び掛かって来た【ヴィオラディ・テグラ】を吹き飛ばした。
「おーいレイルズ君、何をしている。ぐずぐずしてるとお二人さん共、泥だらけにされちまうぞ?まぁ、俺は一向にかまわんがね」
「はは、僕も嫌ですよサミュエルさん。無事だったんですね・・・あれ??でも、何となく先程と違っていますよね」
「ほう、分かるかねぇ?成程、SID調査局員の感覚も鋭い、侮れんな、なかなか優秀だねぇ」
サミュエルがさっきのお返しにとばかり、明利に向けてニヤリと微笑み、ハイパーブラスターを小脇に抱えて溌溂と答えた。
「な~に、ほんの今し方なのだがね、俺は華麗に転職を果たしたのさ」
リディスを背負ったサミュエルが、不敵な笑みを浮かべ再びブラスターを連射し追い縋る【ヴィオラディ・テグラ】の群体を粉砕し始め、明利は防戦しながらアリュナールの盾となって援護へと入る。
明利の頬は痙攣したように酷く引き攣り、疲労と弾けんばかりに激しく脈打つ鼓動が全身を支配していたが、自らの精神と肉体の限界まで、出し尽せる限り全ての力を振絞ってアリュナールを守り、リディス達の脱出を果たす為に【ヴィオラディ・テグラ】を次々と切り伏せてゆく。
死闘を続ける彼らの遥頭上には、高度を最低域まで下げるため一端フライバイして行き過ぎる【ルーミィ】の艦体が眩く輝き、その姿を仰ぎ視たサミュエルが静かに呟いた。
「あれが君たちの、SIDの艦か・・・こりゃ好い、美しいな」
「ええ、そうです。あれが僕たちの艦です」
共に見上げる明利の瞳に、その白星銀色に光ったエンジンの輝きがきらりと彼らに降り注ぐと、ふと、サミュエルの背中辺りから弱々しい声が聞こえて来る。
「そうか【ルーミィ】か・・・お姐も、一段と綺麗になったこと」
何時の間にか、サミュエルに担がれていたリディスの口から感慨深げな言葉が漏れだしていた。
「気が付きましたか?リディス」
労わる様に発せられたサミュエルの声を受け、生存する意思を求めた彼女のそれは本能だったのか、再び引きずり戻された自分の意識を嗤うかのようにリディスが呟く。
「残念ね、サミュエル。まだ地獄へ堕ちるまでには少し時間がありそうだわ。フフフ、・・・最後の仕事が残っていたな」
「リディスさん、その傷は・・・」
「フフフ、ぼうや、まだ終わる訳には往かんのだよ」
片腕を失い、ぐったりとサミュエルに担がれたリディスの姿に驚いた明利は、彼女の瞳の奥に秘められた執念を感じ取り思わず絶句する。
だからなのか、明利は頭を過る彼女に対する疑問に急かされながらも、何故だかその正体を解き明かす術を失ってしまった。
上空では、回頭を終え再び接近してきた【ルーミィ】から戦術多弾頭定域重力弾が次々と放たれ、明利達の周囲に押し寄せていた【ヴィオラディ・テグラ】の群体が豪雨の様な激しい弾幕を受けて、地表層ごと抉られ薙ぎ払われてゆく。
「今です、サミュエルさん、リディス少佐を連れてアルの処へ、彼女の処まで退いてください」
「了解した。君も急ぐと良い・・・いや、明利君!逆だ、彼女が危ないぞ!!」
サミュエルが振り向いたその先、祭壇基底部のテラスの上では、分断された【ヴィオラディ・テグラ】の一群が【ルーミィ】から放たれた弾幕の隙を衝いて、アリュナールに憑依すべく【ミッドガルド】へ一気に押し寄せ襲い掛かって行くのが見えていた。
「明利君!彼女は私に任せろ」
「お願いします。サミュエルさん!!!」
サミュエルは一際激しい爆圧が巻き起こる中を、殿を執って防戦に入った明利を残し、アリュナールの乗る【ミッドガルド】へと一気に距離を詰めようと奔る。
アリュナールは【ミッドガルド】を器用に操縦し、次々と襲い来る刺胞触手の攻撃を逃れ、青黒く鈍く光る群体を粉砕し続けていたが、やがてウェポンユニットに搭載されていたエネルギー弾も遂に底を衝き、頼みのガトリング・ブラスターが沈黙してしまった。
「ヤだ、何てこと!こんなとこでエネルギーブレッド残弾なしぃ?来ないで!寄らないで!下品すぎます!!」
彼女が悲鳴にも似た声を挙げたその途端、【ミッドガルド】の後部スラスター部に憑りついた【ヴィオラディ・テグラ】の攻撃刺胞が、彼女を目掛け一斉に伸びて襲い掛かり、その刺胞触手が彼女の体を貫こうとした寸前、鏡の如く薄く撓ったプラズマ爆焔が突如としてアリュナールの体を包み込む。
その蒼く輝く爆炎は、彼女のパーソナル・フィールドキャンセラーとなって、一瞬にして襲い掛かった刺胞触手を弾き返し焼滅させていた。
それは碧く輝くプラズマの焔鏡。
彼女との契約履行に則ったカシィ=ゼフェルティティが、敢然と彼女を護って守護機能を発現していたのである。
カシィは、次々と伸びてくる【ヴィオラディ・テグラ】の刺胞触手をバッサリと切り落とすと、アリュナールを取り囲んでいた一群に容赦なく襲い掛かり、片っ端から焼滅し尽して行った。
だが、カシィは、アルの危機を救うべくリディスを背負いながら駆け寄って来たサミュエルに気付くや否や、そこで思いもよらぬ行動を起こし、引き寄せられるようにその二人の周囲を取り囲み始めたのである。
「おお、我が残り身が、我が許へと還って来たぞ」
「さあ汝、今こそ契約を履行し、奪い去られた全ての我が身を差し出すが良い」
「さあ大人しく還せ、戻せ、今こそ奪われた我が半身に掛けし、その小癪な幇術を解き放つが良い」
カシィは、獰猛な獣の意思に支配されたかのように大きく雄叫びを上げ、二人に襲い掛かろうとする。
健気にも契約を履行して、アリュナールを守護するに見せかけていたカシィの真の狙いが遂に明かされ、それはリディスが持つ【炎樹の剣】に封印された、自らの残存集合体の回収へと向けられ、今、牙を剥いた。
「やめて!カシィ」
為す術もなく、唯逃げ惑うサミュエルへ向かって襲い掛かるカシィに、寸手の所でアリュナールからの制精霊幇声が投げつけられる。
「お願いです、カシィ。今はだめです!!」
そう言ったアリュナールの口元からは、続けて無意識に音律制御犎印が放たれ駆式し始めた。
カシィはその音律制御犎印詠唱に弾かれて、引き戻されるようにサミュエルとリディスの包囲を解くと、再び一個の焔へと集合しながら今度はアリュナールの方へとにじり寄って来た。
「小娘が、余計な事を!!何故妨げるか。汝と我との契約を違うとでも謂うのか?」
「こ奴の術中に封じられし、我が残存する片鱗が呼んでいるのだ」
「最後の一つと言えど、全てを我に帰するがいい」
「果たせぬとならば、これまでだ!」
カシィの恫喝にも似た咆哮が、再び堪え難き邪悪な想念となつて唸り声を上げる。
「いいえ必ず、必ず元に戻します!」
突如、アリュナールの集積記憶巣の奥底に秘められ、古き情報深淵部に埋蔵された未開封の施法領域が目覚めると、彼女へアクセスを求めてハッキリと喚き始めた。
〈そのまま犎印を駆式し、想念をこちらへ引き付けろ。だが間合いを見誤れば、魂ごと持って行かれる事になる〉
彼女はその声に静かに耳を傾け意識を集中する。
〈引き出すが良い、自ら封印した幇逞術を。続けて精霊制圧駆式を明らかとし、起動精錬丹せよ〉
その囁きは、アリュナールの集積記憶巣に封印されている高等魔導プロトコルに秘められた、幇逞術書庫の犎印開示機能であった。
〈鬼神羅刹【ラークシャサ】属との戦いに於いては、必ず勝たねばならぬ。否、只克のみ。我を用いて覚悟を決めて圧し征くが善い〉
「その者らに手を出すこと罷り為りません、【羅刹の王】よ!鬼神の属長たる【カシィ=ゼフェルティティ】よ!」
静かに目を閉じたままのアリュナールは、その囁く言葉に乗せてこれまでに発した事の無い力強い一声でカシィを制し始めた。
「そうか、我が意に添わぬとなれば、汝との契約履行もこれまでよ。その代償高くつと思うが良いわ」
「そうだ、邪魔だてするこの者を我の物とすべし。あの時の様にな」
「それだ、所有してしまうのだ」
「愚かな拙き者よ、大人しく我が憑代となり果てるが良いわ」
カシィは突如として豹変し、今度は守護すべきアリュナールに向かって襲い掛かっていった。
「我が意に添い、我との契約を違える時に非ず。鎮まるがよい【カシィ・ゼフェルティティ】よ!」
〈懼れる事は無い、鬼神羅刹と謂えど、所詮、魔性傀儡の類に過ぎぬ。数多の集合意識の混乱の渦中とて、組入る隙は必ず或る〉
アリュナールは動ずることなく、自ら紡ぎだす精霊制圧駆式を必死に詠唱し続ける。
「黙りおれ小娘如きが、汝こそ我が意の前に簸れ伏すが良い」
「そうだ、あの時と同じように」
「さあ、我に従え」
アルの意識の中には、突如としてあの銀色に鏤められ黄昏の仄暗い薄明りに照らされた、荒漠たる地下都市状構造空間の廃墟が一気に広がってゆく。
「そう、今度こそ、私を封じるつもりなのね?」
だが、アリュナールはもう、その銀色に暮れる黄昏を恐れてはいなかった。
彼女の奥底で【何か】が、ゆっくりと力強い胎動を始める。
「そうとも、それにこの閉鎖空間ごと消し去ることも、容易き事だ」
「頃相だ、我れらが焔の中へと、汝が身を沈めるが良い」
「汝が我が憑代として、我らが意に拠るのだ」
「そして、我の意のままに従え」
やがて【カシィ・ゼフェルティティ】の意識体がアルの精神抵抗域を捉え、自ら燃え盛る焔の中へと取り込もうとした時、守護機構神は彼女の奥底に潜む異質で強大なる【存在】を感知し、戸惑いと未だかつて抱いた事の無い程の脅威を憶える。
しかしその時、既に遅きに失していたカシィは、そこに潜んでいたより強大な【存在】に魅入られ、逃げ場を失い混乱し始めた。
「?」
「何だ!」
「これは、何だ!」
「ナニモノだ!ナニモノなのだ!!」
「これは、巧妙に仕掛けられし罠なのか!」
「おおぅ、今すぐ全てを、焼き尽くしてくれよう!!!」
「汝の深淵に潜めし扉を開いた。開いてしまったのは、我自身なのか!?」
「そうだ!もう遅い・・・」
やがてカシィが感じた脅威は、久しく忘れていた恐怖と云う感覚を呼び覚ました。
其れは、【存在】に対する絶大な《畏れ》となって、自らを脅かし蝕み始める。
「何故このような【存在】が・・・この者、憑代となる事敵わぬと謂うのならば、今すぐにでも・・・」
「いやだ!イヤだ!嫌だ!嫌だ!イヤだ!いやだ!」
「この様な【存在】など知らぬぞ!」
「焼き尽くせ!」
「誰が開いた?其処に居るのは誰だ?お前は・・・何だ?」
「早ようせい!消し去るのだぁぁぁぁぁああああああ!逃げよ!逃げろおおおぉぉぉ!」
カシィの爆焔がアリュナールの躰を覆い、一層激しさを増して彼女を消滅させようとしていたが、彼女は穏やかな表情にも微かな峻別を湛えた顔をして佇み、最早カシィのプラズマ爆焔の影響を全く受けてはいなかった。
「それも無駄な事です。私は何時でも此処から解脱できる。そして貴方を下僕として従わせることもね、この時を待っていたわ」
〈開封した幇逞術、起動錬丹せし精霊制圧駆式を今こそ駆使せよ〉
アリュナールの額に鮮やかな赤錆色に光る五角形の紋章が浮かび上がると、彼女は静かに掌を合わせて、集積記憶巣に封印された幇逞術書庫の精霊制圧駆式を詠唱し始めた。
そして、彼女の駆式が広がると共に周囲の空間は時を止め、一瞬にして凍り付いた様に制止する。
「ぐぐっ何だ、これは・・・」
「この粗野で、強大なる原初の力は何だ」
「あまりにも強大過ぎる。いかん、蹴散らされ犎じられるは我らの方だ」
「これは、惑星霊の意思。いやそのもの、惑星霊の使徒なのか?」
「こんな小娘の中に、このような圧倒的に強大な力が潜在していたとは何故だ」
「何故此処に潜むか、赤き惑星の主よ。醜悪なる《戦鬼神の汪》ともあろう者が何故だ」
〈汝が知り得ぬ理の為、世界の成り立ちもまた同様。幾重にも暈ねし古の惑星、赤き星を守護する戦天神が加護だ〉
「【羅刹の王】カシィ・ゼフェルティティよ、さあ、我が軍門に降るがいい」
アリュナールはゆっくりと目を開き、脈動しながら次第に小さくなってゆくカシィ=ゼフェルティティの焔を、自らの両腕を広げて抱きかかえるように包んで行った。
「お前は、この時を待っていたのだな・・・調伏されし時か?」
「このような、欲深き、幼き種属にか?」
「小癪な・・・本当に」
アリュナールがカシィを屠ろうとした寸前、リディスの躰がスルリとサミュエルの背中を離れると、崩れ落ちそうな砂の上に片膝をついて弱々しく立ち上がる。
「・・・やれやれ、世話の焼ける事ね、お嬢さん。調伏は手順を違えると後が怖いのよ?」
彼女は深い溜息交じりにそう言い捨てると、残った力を振絞って【炎樹の剣】をいきなりアリュナールの胸元へ向けて振り翳した。
次の瞬間、琥珀色に輝く【炎樹の剣】がアリュナールとカシィの間を遮り、小さくなったカシィの焔を、半ば強引にその伸びた洸柱へと吸収し封滅したのである。
アリュナールの眼前を横切って激しく明滅していた琥珀色の洸柱は、やがてゆっくり【炎樹の剣】へ収斂されると同時に、アリュナールの周囲を包み込んでいた地下都市状構造空間の寂寥たる廃墟が突如崩壊を始め、剥がれ落ち、まるで舞い踊る雪のように、ハラハラと音もなく虚空の彼方へと消え去って行った。
「おのれぇええい!何故邪魔をしたぁあああああ!!」
辺りを支配していた束の間の沈黙を打ち破って、突如降りかかって来た強烈な咆哮へリディスが振り仰ぐと、そこには先ほどまでの静けさを湛えた表情とは激変し、漆黒の髪を逆巻く鬣の様に靡かせて、燃え盛る激烈な眼差しでリディスを睨み付けるアリュナールの姿があった。
怖ろしき鬼神が振り下ろす妖術刃の様な視線を向ける彼女に向かって、リディスは敢然と斬り還して応える。
「そうはいかない・・・貴女も心得ておくがいい、所詮は【羅刹属】だ。人類の眷属では無い、甘く見るなよ」
「己ぇ人間が!!勝手を呪くか!そうか、お前の様な人間如きが、私の呪怨を受くるとでも謂うのか?覚悟せよ!グォガルルㇽㇽル!!!」
アリュナールは、まるで獰猛な獣の如く一際高らかに咆哮を上げた。
これまでの姿とは一変した彼女のその凄まじき憤怒の形相を目の当たりにしたサミュエルは、一瞬たじろぎ圧倒されるままジリジリと二、三歩退き、ハイパーブラスターの残弾数を確かめる。
「こ、これは一体、・・・リディス、彼女はどうしたのですか?これ以上得体の知れないものを相手にするのは勘弁ですよぉ?」
「撃つなよ!サミュエル、もう大丈夫だ。彼女の記憶巣に埋蔵されていた、幇逞術書庫法印開示機能の制御下に擱かれて、一時的に制精霊術駆式が持つ厭勝の強力な影響を受けているだけだ」
「はぁ、そんなもんなんですかねぇ。あの忌々しい《プラズマクラスター》守護機構神を屠ろうとしたんですよぉ?」
「ああ、心配するな。・・・直ぐに収まる」
トリガーに込めた指先の力を緩めないサミュエルが、リディスの説明を聞いている間にも、アリュナールの顔から憤怒の表情が急速に薄れ始め、波が引く様に消え去っていくのが窺える。
やがて、ガクリと前屈みに俯いた彼女から発せられる低く呻く様な声が止み、振り乱した髪の毛が元の姿へと自然に整えられると、彼女は天を仰ぐ様にスッと身体を仰け反らせた。
汗の滴る彼女の白い額の下では、確と閉じられた瞼が小刻みに震えている。
そして一瞬の間隙を置いた後、「ふっ」と瞳を開き正気を取り戻したアリュナールは、まるで何事も無かったかのように何時もの柔らかな声を発していた。
「はっ、・・・何が起こったのかしら?あら、リディス少佐、サミュエルさん。大丈夫ですか?」
リディスらの姿に気付いた彼女は【ミッドガルド】から飛び降り、心配そうに見つめる二人に向かって駆け寄ると、事態の収束に安堵したのか、リディスは力尽きたかの様にその場にがくりと崩れ落ちた。
「君も、色々と複雑なものを、いや属性を持っているようだな」
サミュエルは倒れ込んだリディスの躰を抱え上げると、先程とは打って変って穏やかな表情に戻ったアリュナールを見つめ、不甲斐なくも背筋に悪寒が奔るのを必死の思いで抑え込んでいた。
「あら、私、何か変でしたか?・・・取りあえず、さあ、リディス少佐をこちらへ」
アリュナールは不思議そうに見つめるサミュエルの顔をチラリと窺い、何事も無かったかの様にリディスの体を支えて歩きはじめる。
リディスを背負ったサミュエルの遥後方には、湧き出す様に追い縋って来る【ヴィオラディ・テグラ】の一群と、【ルーミィ】から射掛けられる定域重力弾の連鎖爆圧から逃れ、こちらへと向かって必死に駆け上がって来る明利の姿がもう直ぐ間近に迫っていた。
「くそっ!カシィの奴め、掌を翻してアルを襲おうなんて、鬼神の類はやはり信用できないな。アル待っていろ、もう直ぐ行くよ!!」
アリュナール達の居る祭壇基底部の丘を目指して簸た走る明利が、カシィの裏切りに注意を反らされてしまった瞬間、彼の体を強烈な衝撃が突き抜け、続いて激痛が奔る。
彼の胸の傷が、また酷く痛んだ。
さっきの爆風で接合しかけた肋骨が再び折れたのか、いや、それに加え右のわき腹にも強烈な痛みが襲って来た。
「グっ!がはっ!!!」
思わず彼の喉元から熱い呻きと共に一筋の血飛沫が飛び散り、その深紅の飛沫とは別に、腰から足元にかけて生温く走る液体の感触に彼は違和感を覚え、思わず自分の腹部へと恐る恐る視線を走らせる。
そこには、自分の胸から腹部にかけて青黒く光る円錐状の刺胞触手の牙が突き出し、赤い血の色に染まってしっとりと濡れて光っていた。
漸く明利は、己の躰の3か所を【ヴィオラディ・テグラ】の硬化刺胞触手に貫かれている事に気付いた途端、抉られる様な激烈な痛みと共に視界が霞み、次第に呼吸が浅くなって行くのを感じる。
「くそっ、・・・これまでか。あと少しだってのに。・・・すまない、アル」
この時彼は、初めて自らの死を意識した。
続けて明利の躰は【ルーミィ】の援護射撃が生じさせる衝撃波に吹き飛ばされ、続けざまに巻き起こった激しく叩き付ける重力連鎖衝撃に翻弄されてゆく。
明利の瞳には、リディスを背負ったサミェルと、彼女を支えるアリュナールの姿が目まぐるしく宙を舞うように映っていたが、それは彼が受けた重力衝撃により、彼自身の躰が木の葉が舞う様に吹き飛ばされていたに他ならなかった。
明利は酷い眩暈に襲われ、瞼を閉じる。
「・・・、・・・明利、・・明利、・明利、明利!明利!!明利ぃ!!!」
ふと気が付くと、耳元近くでアルの心地よい声が木霊していた。
彼が薄っすらと瞼を開くと、そこには朧げながらに映ったアリュナールの顔が、ボンヤリと浮かんでいる。
「ドゥルガーは、うん、握ったまま同化している。まだ、充分余力ありだな」
彼は朦朧とした意識の中で手にしたドゥルガーの感触を確かめ、何故かしら自分が頗る冷静に思えていた。
それにしても如何してなのか、必死に何かを喚きながら自分を覗き込んでいる真逆になったアリュナールの顔が、僅かに引き攣っている様にも観える。
「君はこんなにも綺麗なのにね、アリュナール。美しい顔をそんなに曇らせてはだめだよ、君には笑顔しか似合わないんだ。・・・クスッ、ああ、我ながら今のはちょっとカッコ良すぎたかな?へへへ」
明利は、ゆっくりとアリュナールに話しかけたつもりだったが、その声は発せられることは無く、彼の唇だけが微かに震えているだけであった。
再び薄れゆく意識の中で、彼は思う。
「アリュナール、君が無事ならそれでいい。さて、これからどうやって、脱出しよう・か・・な・・・」
遠く、近く、自分の名を呼び続けるアリュナールの悲鳴にも似た優しい声が響く中、やがて彼は微睡む様に、漆黒の闇の中へと堕ち行きながら意識を失っていった。
「明利!明利ぃ!!しっかりしてぇ、しっかりしなさい!私は、私はあぁ・・・ァアアア!!・・・昔!そう!!貴男との約束があったの!!」
意識を失ってゆく明利の頭を膝に乗せ、次第に冷たくなってゆく彼の躰を確と抱きかかえたアリュナールは、声の限りを張り上げ心の底から絶叫する。
その時、彼女の閉ざされた記憶の深淵から遠く消し去られていた筈の記憶、生き延びる為に封じられていた過去の思い出が、続々と堰を切って溢れ出すように鮮明に蘇っていた。
「明利、死なないで!!いやぁああ!!!思い出したぁ!今、思い出したわァ!!やっと逢えたのにぃ!!やっと貴男と逢えたのにぃぃい!!!」
静かに眠る明利の顔を見詰めて、彼女の見開かれた両の瞳から溢れ出した大粒の涙は、奔流となって降り注ぐ滝となり、まるで迸る激流の様に彼女の頬を伝って次々と彼の顔へと滴り落ちてゆく。
「ど、どうしよう、どうしよう、如何しよう、如何しようこれ。どうしようどうしよう如何すればいいのぉ?何とか、何とかしなきゃ!何とかしなきゃあぁ!!」
アリュナールは、明利の胸と腹部に空いた破孔に両の手を翳しながら、憑りつかれた様に千切れたタクティカルスーツを引き寄せて、その穴を必死に塞ごうとしていた。
「わ、私、私はぁ、貴男を失えないの・・・明利、もう貴男を失えないの!如何しよう!如何すればいいのぉ!!」
死に瀕した愛しき者の姿を抱いて、我を忘れて混乱し絶叫するアリュナールの悲壮な声を傍らで聞き取ったのか、リディスの閉じられていた瞼が再びゆっくりと開かれた。
彼女のその疲れ切った表情が、陽だまりに揺れる小さな花を眺めるかの様に見る見る和らいでいくと、彼女を背負ってくれていたサミュエルに、自分の躰を二人の傍へと降ろすよう伝える。
「サミュエル、これってやっぱり愛なのかしらね?・・・遣れやれ、参ったなぁ。じゃあ、母性の愛と絆とやらを見せとかなくちゃね」
そしてリディスは、サミュエル自身もこれまで嘗て目にした事の無い、まるで慈母の如き穏やかな慈愛の表情を満面に湛え、アリュナールに向かって優しく語りかけた。
「明利の体を此処へ。急ぎなさい・・・アルテミア」
明利を抱きしめ、泣きじゃくりながら子犬の様に震えるアリュナールに向かって、リディスが投げかけた言葉を聴いたその瞬間、アリュナールの体に小さくぎこちない硬直と衝動が奔ったのをサミュエルは見逃さなかった。
「時間がないわ、アルテミア。さあ、彼を早く此処へ運んで頂戴」
アリュナールは、突如として告げられた《アルテミア》と云う名前に驚愕するが、リディスの声に促されるように明利の体を懸命に引き摺って、何度も、何度も頷きながら彼女の傍へと移動する。
サミェルは、リディスに手を貸しながら明利のバイタル状態が危機に瀕しており、既に死を目前とした最悪の状態である事を看取っていた。
明利の胸に空いた破孔からは、薄桃色で白っぽい肋骨の破片と、呪詛帯の汚染を受け暗褐色に変色した酷く潰れた肺が覗けており、右腹部に空いた穴からは肝臓の一部であろう内腑の臓器が露出している。
「これは・・・酷い有様だな」
この様な状態にあっても幸いなのか、不思議と出血量が少ないのが気にかかったが、それも先ほどの呪詛帯による侵蝕が始まった影響なのかもしれなかった。
取敢えずサミュエルは、明利の躰へ応急措置を施術し始める。
彼が確と握り締めているドゥルガーを捥ぎ取る様に取り上げ、バイタル・コントロール・システムの動力源として作動させるべく、タクティカルスーツのメタボライザーを連結させて、彼の右太腿のホルスターに確りと括りつけた。
「これで良し、バイタル・コントロール・システム復旧しました。しかし・・・これでも、そう長くは持ちません。リディス、一体何をされるおつもりですか?」
サミェルの言葉を無視するかのように、リディスはそっと明利の躰に空いた破孔に触れると、静かに高速集積犎印を詠唱し、凍結結界呪法を明利の体細胞に施術し始めた。
「リディス・・・さん?あっ、貴女、腕が・・・」
片腕を失っていても明利の命を救うため、必死に高速集積犎印を詠唱するリディスの姿に、アリュナールの顔が思わず強張る。
リディスの施術によって、明利の生体維持能力を一端最小限度に抑えるため、その躰を一時的な仮死状態となる結界凍結させ、常温下でのクリプトビオシス=無代謝休眠状態を作り出し固定化させたのであった。
やがて高等呪法凍結結界施術を終えたリディスは、アリュナールと明利へ向かって交互にゆっくりと視線を移す。
「一先ず、これで彼の生理的死を遅延させる事ができた。暫くはこれで持つだろうが、何れにせよ呪詛帯の侵蝕汚染の方は予断を許さない。早めに多角浄化蕭条結界内での呪詛浄化洗浄が必要だな。それにしても・・・何て穏やかな顔してるのかしらね、この子は」
アリュナールの膝の上に抱きしめられ、静かに眠る様な明利の顔には、泣きじゃくる彼女の涙の雫が滴り落ち、まるで朝露のように煌めいている。
「こんな処で再会するとはね、アルテミア。いえ、アルテミア・ディモス・ロドネル十三世。貴女も私も、まだ、この限象銀河三千世界の因果律に括られたままだとでも謂うのかな?」
訳も分からずコクリと頷いたアルは、零れ落ちる涙を拭こうともせず怯えた子犬の様に無言でリディスの顔をじっと見詰め続けていた。
「・・・道理で。カシィが、ああも簡単に貴女に同調した訳だ、理由が納得だわ。しかも調伏して眷属にしようなんてね。尊大且つ傲慢だった昔の貴女らしいこと。フフフ、今のその顔を、あの頃の貴女に見せてやりたいくらいだわ」
一層暖かな表情でアリュナールに語り掛けるリディスは、小さくクスリと笑っていた。
アリュナールの脳裏には、解らない事だらけの困惑と、クシャクシャになった毛糸玉のように、絡まり、重なり合った記憶と記録が混乱し溢れ返り、体が震えて覚束なく揺らぐ。
「私、解んない・・・。如何して貴女は、私の失った筈の名前を知ってるの?どうして・・・?」
「解っている筈よ。貴女は、ソル系連邦枢密院テラ宗家8惑星軌道会議筆頭ロドネル家の前宗主。そして掛替えのない私の親友。何より、私とこの子、明利・レイルズにとって最も大切な命の恩人なのだから」
彼女の言葉にアリュナールの心は激しく戸惑い、そして迷いながら記憶巣に封滅されていた遥か過去の情報と、今の自分の姿とが複雑に交錯し始める。
「喜び」、「悲しみ」、「安心」、「不安」、「信頼」、「絶望」、そして「祈り」、「願い」、久遠の果ての「夢」・・・数多の記憶情報群の中から生じた言い様のない感情に弄ばれるがまま、ただ成す術もなく彼女は小さく震え、怯えていた。
自らの記憶の混乱の渦中で、蹲ったアリュナールを導く様に、リディスは淡々とそして優しく言葉を続ける。
「漸く、埋葬されていた筈の封印記憶に辿り着いたようね。無理もないかな、あれからもう25星歴年も経ってしまったのだから。さあ、もう目覚めてもいいのよ、アルテミア」
リディスの言葉を受けた途端、アリュナールの記憶巣に深く埋もれ鎖されていた、ある一つのビジュアルソース・ライブラリーが紐解かれ、今、彼女の眼前に広がって映し出されて行くのが見えた。




