5 アタック・バイアレント 1
5 アタック・バイアレント
その頃、アリュナールと明利が搭乗した【テイントⅢ】は、【ルーミィ】が軟着水した北半球の大陸東方海上から遥に離れた、赤道付近の積層ジャングル地帯へと何とか無事に不時着していた。
この惑星【香忰】の大陸表層一面に広がる植物樹塊群の遥奥底の下層部には、実質的地表が何処かに存在すると推測されていたが、この惑星が探索されて以降今だ辿り着いた者はおらず、その後閉鎖惑星として人類銀河文明より隔絶された後、この惑星に於ける全ての調査は放棄されて久しかった。
【香忰】の大陸表層には何層にもわたる植生領域が連なり合って空へと向かい、一つ一つ積み重なったそれぞれの植生領域自体が、柔らかな樹塊様態として空中に浮かんだ《浮島》群を形成し覆い尽くしていると云う、当に地表が存在しないに等しい特殊な構造となっていた。
【ヴィオラディ・シグラ】から放たれた呪詛超硬質刺胞体触手の攻撃を受け制御不能となって墜落したテイントⅢの機体は、その樹塊様態の《浮島》を二つばかり貫通して、密生する植物樹塊群の木々を引き千切り薙ぎ倒しながら落下を続けた。
その《浮島》に繁茂する植生物自体から噴き出た樹液は、それぞれ異なる種類毎に混ざり合うと強力な粘着質を発生させゲルテックス状の塊となる性質を持っており、それを浴びた【テイントⅢ】の機体にベッタリと貼着して、まるでゴム紐の様に機体を絡め取りながら強烈な落下の衝撃を受け止めていた。
軈て【テイントⅢ】は、底なしの植物樹塊群への不時着と云うべきか、幸運にもその一つの空中植生領域《浮島》に抱かれるようにして受け止められ、その《浮島》の端っこへと引っかかる形で辛うじてぶら下がって停止したのであった。
「明利、良かったわ、どうやら《ミッドガルド》は無事みたいよ。それにしても此処の植生群は不思議よね。まるで私達を助けてくれたみたいだわ」
アリュナールは浅葱色をした混半透明の混合樹液で固着され、大きく斜めに傾いて停止していた【テイントⅢ】に残されたラゲージユニットの内側を器用にスルスルと攀じ登り、《ミッドガルド》が格納されているユニット・コンテナを調べ始めていた。
「そうだね。この植生群自体の本来の防御機能と言おうか、ナノマテリアルによる自己修復機能なのか、衝撃を受けて傷ついた個所から噴き出した樹液が混合する事によって、構造補強材の様な特殊な働きをするようだね」
明利には、植物樹塊群の持つこの強力で特殊な機能が何を目的としているのか、何処となく少しばかり気にはなったが、今の所その機能が果たす役割を見い出せずにいた。
「はっきりとは解らないが、多分こうしてこれらの空中庭園の様な《浮島》を維持しているのかもしれないな。でも、単に構造材であるならば、頑強な樹枝を張り巡らせる事で事足りそうな物だけどね・・・」
それ以外にも、この惑星には何か秘密が潜んでいることに間違いないと、明利の思考が囁いている。
何れにせよあれだけの衝撃を受けたにもかかわらず、ユニット・コンテナの緩衝トラスとの狭間に鎮座した高機動イオノビーグル《ミッドガルド》が無事だったのは朗報であった。
その無傷な姿を確認したアリュナールは、「ほっ」と溜息を吐くや重武装陸戦強行型特別仕様に装換すべく、直ぐ様ミッドガルドの搬出作業に取り掛かり始める。
明利は斜めに突き出したラゲージユニットの下から、緩衝トラスの応力構造体に跨り搬出作業を続ける勇ましい姿のアリュナールを見上げ声を掛けた。
「さっきはゴメンよ、酷い目に合わせちゃったね、アル」
「どういたしまして、お互い様よ。でも明利、貴男の操縦はまぁいい筋だったわよ」
「それは、お褒め頂いて光栄の至りだよ。それ以上に、君の正確無比なシューティング能力には驚いたなぁ」
「・・・そりゃどうも。お褒め戴きありがと、私も光栄の至りだわ。それに貴男の腕前のお蔭よ」
周囲に散乱しているユニット・コンテナを一つ一つ確認していた明利は、少しばかりいい気分になっていた。
「何せ、MIDでの僕の戦闘機操縦技能訓練の成績は、あまり芳しく無かったんでね」
「へぇ?そうかしら、結構良いんじゃない?少なくとも、人殺しの技能より人助けの技能は優秀だと思うわ。うん!それにしても、このジョイント、硬ったいわねぇ。エイ!トウ!!やあ!!!」
威勢の良いアリュナールの掛け声に続けて、「ギゅン、ヂヂッ、ギギュン」と彼女の握り締めたスパイル・トルクレンチが、ガッチリと組み合った緩衝トラスと激闘している音が響き渡る。
「アル、《ミッドガルド》の換装コンテナは全て揃っていたよ。ああ、それとフィールド・キャンセラー・ユニットも良好だし、簡易シェルターも無事だったよ」
明利は残っているユニット・コンテナを寄せ集めて開封すると、中に納まっていた武装ユニットセットアップ・パッケージパーツの換装品目をチェックし始めていた。
彼の頭上では、相変わらず契機よく発するアルの掛け声とともに、今度はトルクレンチに代わって彼女の小気味よくリズミカルに振うハンマーの音が、「ガン、ガン」と響いて来る。
「んんっ、一斉、のぉ、せぃ!!あっ・・・やだっ!!」
その時、不気味に軋む機材の音と共に一瞬、アルの声色が悲鳴に変わる。
「キャアァア!!!」
突如、《ミッドガルド》を固定していた緩衝トラスのフックが荷重に耐えかねて、「ギィュン、ビキ、バチバチ」と弦の千切れる奇妙な音と共に一斉にイジェクトし、「ドム、ドム」と弾丸のようにコンテナ・ユニットを貫通して応力を失ってしまった緩衝トラス自体が、雪崩を打つように激しい音を立てて崩れ落ちてきた。
その弾みで、緩衝トラスの上に乗っていたアリュナールはバランスを崩し、緩衝トラスの破片を伴いながら、ラッゲージ・ユニットの内壁を伝って真っ逆さまに落下する。
「アルッ!!危ないいッ!」
明利は落下する瞬間のアルの姿を捉えると、反射的に彼女を受け止めるべく後方ラゲージ・ユニットの壁面へ勢いに任せて飛び込み、お尻から滑り落ちてきたアリュナールを辛うじて全身で受け止める。
そして彼の腕が、柔らかなアリュナールの躰をしっかりと抱きとめた瞬間、明利の胸部に鋭い衝撃が奔った。
「グっ!!」
落下してきた彼女の臀部に続いて、間髪を入れずステルスマッド塗装に仕上げられ黒光りする《ミッドガルド》がコンテナ・ユニットを突き破り、破片の雨を伴って猛然と二人へ向かって迫って来る。
「やばいッ!!」
明利は勢い迫る《ミッドガルド》の姿に臆することなく、アリュナールを抱きかかえたまま身を翻すと、植物樹塊群に敷き詰められた植生絨毯の上を転がるように滑り落ちて行った。
間一髪の処で、大音響を響かせて落下してきた《ミッドガルド》から逃れた明利は、確りと抱き込んだアリュナールの柔らかな感触と優しい香りを感じると同時に、次第にハッキリとする焼き付く様な鈍い痛覚を左胸部に覚える。
「不味いな・・・やっちまったか・・・それより、アルは無事なのか?」
網目状に絡まった植物樹塊群の上を転がり終えた明利は、片目を開けてそっとアルの様子を窺ってみる。
「痛ったたた、大丈夫?明利?」
アリュナールの様子は然程心配なく、逆に確りとした声で明利を呼んでいた。
「ああね、僕は心配ないよ。それより君の方は、怪我は無いかい?」
「ええ、有難う明利。私は何とか無事だけど、はぁ、ちょっとビックリしちゃったなぁ・・・でも、あのぉ、ちょっとこれって・・・」
植生絨毯の上で確りと抱き合ったままの姿になっていた二人は、その絡みつく様な容態に傍と気付くと、照れくさそうにゆっくりとお互いの体を離した。
「いっけない!ミッドガルドは大丈夫かしら?」
ほんのりと顔を赤らめ乍ら、すっくと立ち上がったアリュナールは額に架かった黒髪をサッと掻き揚げ、未だ転がったままの姿でいる明利には目も刳れず《ミッドガルド》へと駆け寄りると、そそくさと起動点検を始める。
「ふぅ、無事で良かったわ。スラスト・カウルが少し曲がっちゃったくらいかな?でも、・・・やだなぁ、これって伽罹那に、絶対怒られちゃうかもね」
「やれやれ、《ミッドガルド》も君も随分と頑丈で良かったよ、でぇ、僕の方はほったらかしなのかい?」
明利は転がったままの姿勢で、樹塊の枝に凭れ掛りながらアルの反応を楽しむ様に話しかけた。
「あら、大きなお世話です!あっ、いえ、ごめんなさいね明利。直ぐに《ミッドガルド》を起動させちゃうから、ちょっとの間そこで休んでいて下さらない?」
「ラジャーです。宜しくどーぞ」
思わずプッと噴き出した明利は、笑いながら手をあげてゆっくりと立ち上がったが、その動きに攣れ明利の胸部には再び激痛が襲い、彼はアリュナールに気付かれないようにそっと胸元を庇いながら勤めて平静を装う。
「痛ツぅ・・・くそ、どこまで持つかな。何れにせよ、あの金剛結界は人の手の造作物だった。そこへ辿り着けば何とかなる・・・かな」
それまでは、出来るだけ体力を温存しなくてはならない。
明利は忙しく動き回るアリュナールの姿越しに、【香忰】の遥地平に続く目的地へと楽観的な思いを馳せながら、彼女に感付かれないようラッゲージ・ユニットの壁に身を預けて体を休めた。
その間にも、アルは手際よくあっという間に《ミッドガルド》を重武装陸戦強行型《特別仕様ベルセルク・パッケージ》に装換し終えると、颯爽とシートに跨り明利に向かって手招きをする。
「そこのお兄さん、乗ってかナイ?」
その姿は、あの日惑星【シルフィード】の何処までも続く白い砂浜で初めて出会った時のそのままで、彼女の一際輝く無邪気な笑顔が彼の心をガッツリと捉えて離さなかった。
「ああ!お願いするよ、アル」
明利は、胸部に疼く痛みを庇いながらも、あの時と同じように清々しい気持ちで《ミッドガルド》の後部座席へと乗り込んだ。
「さぁてと明利。行先は、やっぱりさっき貴男が言ってた、大陸南端にある金剛界結界なの?」
「そうだね、あれは明らかに人類の創作組式で括られていたものだよ。【中央構造同異帯】が開発していた最新の多重防護重幫程式の様だが、あんな複雑で強力なものを一体誰が組上げたのか。確かめる価値は十分にある」
アリュナールは操縦グリップを握り締め、《ミッドガルド》の発進シーケンスに入る。
「でも、見当付いてるんでしょ?呪幫術師さん。そして、其処にターゲットのリディス少佐が居ると?」
「ああ、まあね。厭くまでも僕の憶測に拠るところなんだけど、恐らく当たってる」
小気味よく始動した《ミッドガルド》のイオノエンジンが、心地よい振動と共に勢い唸りを上げ始める。
「うン!じゃぁ決定。貴方の憶測に賭けるわ。それと、・・・貴男となら何だか楽しそうだもの」
遠慮がちに発したアリュナールの最後のセリフは、装着しかけた明利のヘルメット越しに辛うじて彼の耳元へと届く。
流れる風の音に混じって届いた彼女のその何気ないセンテンスには、明利の心の空隙に暫くの間忘れていた「きらきら」として、そして仄りと暖かな慕情を抱かせていた。
勇ましくも《重武装陸戦強行型特別仕様》となった《ミッドガルド》は、アルの操縦で重厚なエンジン音を響かせて、あっという間に空中に浮かぶ植物樹塊群《浮島》を離れる。
何時しか明利の胸の痛みも、不思議と薄らぐような気分になると同時に、忘れていた何かで彼の心は少しずつ満たされて行くのを感じていた。
あの日、初めてアリュナールと出会った惑星【シルフィード】の海風に乗って飛んだ時の様に、明利の心は一頻り爽快になる。
「あっ、そうそう、明利。【ルーミィ】も無事みたいよ、何とか【ルーミィ】のビーコンサインを受領してるわ。北東方向約20,000クリルNE-17エリアの海上に居るようね」
「そりゃ、ちょっと遠いな、20,000クリルか・・・じゃあ、僕らが南へ行く方が早いかな?」
何があったのだろうか、明利は墜落時の救助到達想定範囲よりかなり距離が離れ過ぎている事に疑問を感じ、事態は一層困難な様相を呈するのではないかと訝しむ。
「でも大丈夫、安心して下さいね明利。ここから随分と離れてはいるけど、《ミッドガルド》のビーコン受領範囲内で稼働している3基のリレー・ピケット衛星が、ずっと私達を追尾してカバーしてくれているわ、私達の位置も【ルーミィ】がモニターしている筈よ」
アリュナールは彼の心情を察知したのか《ミッドガルド》を器用に操り、流れるような手捌きでフォロ・コンソールを操作しながら【ルーミィ】とのリンクが確保されている事を伝え、取り敢えず【ルーミィ】の無事に安堵していた。
「・・・んでもって、こちらの状況を一先ず送信しておくわね。でも、衛星経由でのFTL-Live通信は全然送受信出来なくなっちゃっているの、ビーコンサインだけみたい。多分この【香粋】の、と言うより恐らく此処の陸塊構造自体に何か問題が潜んでいそうね」
アリュナールの脳裏には、掴み処の無い断片的なアナライズのビジョンが見え隠れする。
「FTL通信を撹乱する、何かがあるって訳か?」
一見美しそうに見えたこの惑星【香忰】には、得体の知れない何かが潜んでいる予感がするのだが、明利にも、未だそれを具象化できるだけの情報ピースが絶対的に不足していた。
「そうね、地表や地質組成でなく、地下に、そう、この堆く積層した樹塊群層の下には何か指向性エネルギーを妨害するような物があるんだわ。・・・取りあえず、【ルーミィ】へのビーコン・サインに目的地の座標を乗せといてっと・・・ちょっと急ぐわね」
アリュナールはスロットルを踏み込み、二人を乗せた《ミッドガルド》が、次第にスピードを上げてゆく。
「それも、大規模なものが潜んでいる・・・か」
明利は絶対的に不足する情報に歯噛みしながらも、大凡の仮想想定結論を導こうと半瞑想状態へと大脳活動領域を活性化し始め、蓄積した情報群を解き放って遊離ストームタキシングを始める。
「ええ、そうね。だけど、調べようにも《テイントⅢ》を失っちゃって何も出来ないんだけどね・・・あら!本当だわ!大変よ、どーしよう明利!結局、伽罹那の《テイントⅢ》壊しちゃったしぃ!!伽罹那に悪い事しちゃったわぁ。あぁ、どうしようーうぅぅ」
少し跋の悪そうに話す、アルの柔らかで心地善い音色のソプラノの声が明利の耳に届くと、【香粋】に潜む仮想想定結論を急がずとも如何でもいいような気がして、明利は始まっていた情報群の遊離ストームタキシングを意識的に停止させた。
「・・・うん。そうだね・・・でも無事で良かったよ。心配ないさ、僕らが助かったのも伽罹那のチューニングの御蔭だから。さて、アル?目指す南半球の多重金剛界結界までは随分と遠いよ」
「そうね。だけど、ほーんと貴方も随分と世話の焼ける人なのですね。フフフ、【シルフィード】の時と一緒よ。あハハハ、良いでーす。良いわ、あなたと一緒なら必ず辿り着いてやる、そう、きっと辿り着いてみせるから。きっとね!」
階段状になった植物樹塊群の空中庭園を跳び《ミッドガルド》の高度を一気に下げながら、それは楽しそうに澄んだアルの声が響いていた。
「そうかい。じゃぁ、イケるところまで僕を連れて行ってくれないか?」
「もっちろん!ラジャーでーす」
植物樹塊群の《浮島》に沿って舞い降りる様に高度を下げて行く《ミッドガルド》。
まだ見ぬ道程は遠く、その先の微かな希望を胸に感じながら二人は今、生きている喜びを噛み締めていた。
アリュナールと明利は、【香粋】の衛星軌道上から明利の記憶巣にインプットされていた位置データを頼りに、多重金剛界結界の在る南半球大陸南端、オペレーションターゲット「リディス」の潜伏所在地であると想定したその場所へ向けて行動を開始する。
アリュナールは気丈に《ミッドガルド》を操縦して、植物樹塊群の巨大な木々の間を擦り抜けながら、一気に地表層ラインと思われる平原部を目指して《浮島》伝いに次々と降下ジャンプを繰り返していった。
「明利、地上の様な樹塊平原までちょっと揺れるけど、辛抱してね」
「ああ、アル、大丈夫だよ」
気丈に返事を返す明利であったが、《ミッドガルド》が降下する度に生じる激しい衝撃と振動が、彼の胸に負った傷に負荷を掛けて確実に彼の体力を奪い去って行く。
幾ら飛行可能であるイオノビーグルとは言え、気圏内仕様の他の航空機類とは本質的にその構造は異なっており、特に最大速度に於いてはイオノプレーン等とは比較にならず遅く、また長距離移動にも決して適しているとは言えなかった。
それに加えて、高機動イオノビーグルである《ミッドガルド》は、今や2人乗りのうえ、最大積載となったフルセットの重武装陸戦強行型《特別仕様ベルセルク・パッケージ》に装換されている。
刻々と時間だけが過ぎ、漸く香粋の地表層と思しき樹塊平原へと二人が辿り着いた頃、【香粋】の双連主星ラーナティⅠ・Ⅱは地平線へと大きく傾きながら、その青と黄色の輝きに蔭りを帯び始めていた。
「(くそっ、手に力が入らなくなって来た。内出血が止まらないようだな)」
明利は次第に酷くなる眩暈に襲われながらも、必死に姿勢を維持していた。
やがてアリュナールは、植物樹塊群の《浮島》が遥かに望める小高く密生した丘の様に盛り上がった樹状様丘の上で《ミッドガルド》を一旦停止させると、警戒用ナノドローンから送られてくる広域早期警戒情報を確認し始める。
「良し、善いわ、周辺30リル四方に異常なし。と、やがて夕暮れかな?。明利、もう少し距離を稼いでおきましょうか?」
「あ、ああ。そうだね・・・」
彼女の問いかけに答えようとした明利は、体を支えてしっかりと握り締めいたグリップから指を離そうとした途端、突如アリュナールの背中が眼前に迫って来る様な奇妙な感覚を覚えた。
「うっ、アル。ちょっと休まないか、・・・その、僕も・・・少し疲れたなぁ」
そう言いながら明利の腕は急速に躰を支える力を失うと、《ミッドガルド》の後部シートからアリュナールの腰元の辺りへと崩れ落ちるように倒れ込み、柔らかなアルの躰の感触と、その躰の温かさが明利の頬に感じられると間もなく、明利の意識は急速に混沌の中へと引き摺り込まれる。
「ちょっとぉ、やだ明利!何してるんですか!!えっ?明利・・・ちょっ、ええっ?しっかりして、大丈夫?明利!明利ったら・・・」
明利の頬を伝うアルの躰の温かみと、彼に向けて問いかける彼女の心地よい呼び声が安心感を与えたのだろうか、繰り返し重なるアルの声を最後に彼の記憶は完全に薄れて行ってしまった。
一瞬瞼の上を通り過ぎた光源に重たい瞳を開いた彼は、薄明りの中にどこまでも続く荒涼たる大地を一人彷徨っていた。
其処は、一面見渡す限り続いている荒涼たる砂の海原。
見覚えは無い筈なのだが、何時か知っているようで彼は独り永い時をずっと其処に居続けているようにも感じられる。
彼の傍を一塵の砂を巻き上げて、只漂々と吹き荒ぶ風だけが過ぎ去り、この滅び行く茫漠たる世界へと際限なく広がって行った。
彼は、生命の欠片さえ存在を許され無くなった其の世界を唯一人、前方遥彼方の丘陵に微かに聳える三本の塔を目指して、何故か歩き続けなければならなかった。
いや、其処へ至るべく歩み続ける事こそが、彼自身の存在意義を問うていたのだろう。
「・・・あれは都市の灯り、いや違うな、微かに脈動しているようだ」
彼の行く手には、蒼白く茫と灯る光の一群が誘う様に惘と揺らめいていた。
其の光を見つめ続けていると、朧げながらも彼にはこれだけは明瞭にはっきりと意識できる事があった。
「歩け、僕は行かなければならない」
「歩け、立ち止まるな、其処へ行かねばならない」
あの塔に何があるのか、其処で何が待ち受けるのかさえも解らない儘、寧ろその未知なる物の誘う衝動に突き動かされ、ただ只管に彼は歩き続けるのだが、彼の足は纏わり着く砂塵に獲られ遅々として進まない。
加えて、更に彼を苛みその歩みを阻む物は、茫漠たる砂塵だけで無く彼の体を切り裂くように吹き荒ぶ、過酷な寒さでもあった。
彼は襲い来る凍てつく寒さに震える肩を、独り両の腕で包み込み必死に耐え、そして激しい息使いでその遠い道程を黙々と踏み締めながら、再び彼は自問を始めていた。
「俺は、一体何の為にあの塔を目指すんだ?世界の救世か?自己生存の為か?はたまた、其処に待つ者が居るのだろうか?其処に俺が求めるべきものがあるとでも云うのか?」
答えの無い問いを前にして、再び還らない答えを求める様に彼は歩き続け、どれほどの時が経っただろうか、軈て彼は見上げる程に、呆れる程に巨大なその尖塔の袂へと辿り着いていた。
その尖塔の遥上空からは、微かな風の音がまるで舞い降りてくるかの様に彼の脳裏へと降り注ぎ、そして彼を静かに包み込んでは響き渡る。
いや、その風に乗って届いた物の正体は、いつか聴いた覚えのある柔らかな音色の「声」だった。
その声は淑やかな螺旋の旋律を奏でながら、舞い降りては繰り返し彼を誘い呼んでいる。
「俺を呼ぶのは誰だ?・・・エリス?・・・ああ、エリュスロネゥラ、君なのか?いや、違うな。これは彼女の声じゃない・・・もっと温かな・・・そしてもっと遠く・・・何処か懐かしい」
その昔、明利が所属していたMID特別ミッション・チームで、一時の間ツーマンセル・ユニットを組み公私共に《特別なパートナー》だった女性の姿が、朧げなまま彼の前を霧の如く搔き消えて行った。
「ま、待ってくれ!俺を呼ぶのは誰なんだ?」
明利は、浅く朦朧とした意識の中で呟く間もなく、前頭部を「ぺちっ」と叩かれたような感触で急速に意識を取り戻すと、閉じた瞼をゆっくりと開いた。
「あら、気が付いちゃった?」
「エ、エリ・・・ああ、アリュナール。アル・・君だったのか?」
覚束ない彼の眼前には、少し困り顔をしたアルの顔が滲んで浮かび、彼の瞳には仄と涙が浮かんでいた。
我に返った明利が周囲を見渡すと、どうやら其処は携行簡易シェルターの中の様だ。
「良い夢だったかしら、すっごい魘されてたわよ?突然貴男が、急に倒れ込んで来ちゃうんだもの。ビックリしちゃったわ」
明利の様子を心配そうに窺いながら、少しご不満げの様子をしたアリュナールの瞳が、明利の瞳を再びジッと覗き込む。
「大丈夫?私の所為で怪我させちゃったみたいね。寝ている間にPCMバイタルセンサーユニットで診察させてもらったわ。貴男の左胸部、第五、六胸骨が圧迫骨折していたうえ、肺の一部に傷を付けていたの。でも・・・借りが出来ちゃったわね。痛む?」
済まなさそうに俯きながらそっと唇を噛んだアリュナールの表情を前にして、明利は一瞬「ドキッ」と強く心を奪われそうになる衝動に引き摺られ、その気恥ずかしさをアリュナールに気取られない為に思わず体を動かしていた。




