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「せやけど、宮田が犯人やとして、何でそないに入れ墨に拘ってるんやろなぁ」
気怠そうなあくびを噛み殺して、重松は美由希に問いかける。日曜の午後で雲一つない晴天とあれば、渋滞に巻き込まれるのもやむを得ない。
「これってある意味無差別ですよね? 確かに共通点はあるけど、単に腿とか腰に入れ墨があるってだけで、そういう人物を無差別に狙てるのに違いないですし」
「まぁそうやな。単純に入れ墨を入れてる人間のことが気に入らんのか、もしくは何かそういう入れ墨のある特定の人間に恨みがあるんやけど、その人物に復讐をすることが出来んから代わりに同じ特徴を持った人物を憎悪の対象として、次々に手にかけてるか」
「どっちもようあるパターンですね」
美由希が呆れたような声を発した。
整然と列を作った車の帯に、脇道から何台もの車がクラクションを鳴らしながら捻り込もうと試みる。耳障りな警笛があちらこちらから苛立つ人々の神経を逆撫でする。
「まさか被害者八人と宮田が、患者と医者の関係以外にも個別に接点があるなんてことはないですよね?」
「今の所は考えにくいなぁ。まぁその辺も、あったら被害者の周りを洗てる班が報告してくれるやろ……」
アスファルトから放出された熱が遠くの景色を霞ませる。重松は無意識のうちに貧乏揺すりを始めていた。
遅々とした車列の流れに仕方なく身を委ねていると、宮田整形外科医院に到着したのは午後三時半頃だった。
それなりに広い駐車場には、埃をかぶった乗用車ややけにカラフルな軽自動車など、乗っている人間の顔が想像出来るような車で溢れていた。
「えらい混んでますねぇ」
美由希は右手を庇のようにして両眼の上を覆っている。車体の海からの照り返しが二人の瞳を突き刺すのだ。
重松も上瞼と下瞼が触れ合う程度に目を細めていた。
「今から乗り込むけど、あくまでもこの病院との関係は、菱谷に関してだけしか分かってないっちゅうことを忘れたらあかんで」
「まだ深く突っ込むのは避けるんですね?」
「そや。俺らが宮田修治のことを犯人ちゃうかと疑うてることは、勘付かれたらあかん。被害者の一人について、この病院に来たことがあると分かったから、ちょっと話を訊きに来ただけ。そういう体裁で行くで」
重松は威勢良く親指を立てて建物を示した。
「あの……カルテを見せてもらうことは出来へんのですかね? 見せてもろたら、一発で他の被害者達がここに来てたかどうか分かると思いますけど?」
眩しさからでなく、美由希の提案に対する難色から、重松の眉間に皺が寄った。
「そら無理やろな。患者のカルテは個人情報やから、ただ菱谷が来てたっちゅうだけで令状なしに見せろとは言えん。まぁ、頼んで見せてくれるんやったらそれでええんやけど、俺らの見立て通りに被害者達が皆ここの患者なんやったら、確実に拒まれるで」
重松が神妙な面持ちで煙を避けるように顔を横に振る。尻込みしたような提案者は小さく息を吐いた。
「そうですね……」
「と言うよりも、もう古い被害者のやつは処分してるんちゃうか?」
「ほかしたってことですか?」
「そらここは宮田の病院やで? 言うたら城みたいなもんや。新しいやつはすぐに隠滅したらバレる危険があるけど、古なったら被害者がこの病院を訪れてた事実は、隠滅してしもうた方がええに違いないからな」
美由希の唇が歪む。今から宮田の牙城に乗り込むという実感に襲われたのだ。
「勝野君は変に喋らんでも大丈夫やから、メモを取っといてくれ。ただ菱谷についての話を訊きに来ただけやと、自分に言い聞かせたらええ。敵を欺くにはまず自分の心からや」
美由希は黙って頷いた。意図的に力を抜こうと、二、三度肩を上下させる。
その遥かに小さな儀式を終えると、入り口の自動ドアに向かって二人並んで歩む。重松は飄々とした足取りで、普段と何ら変わらない様子だった。
ドアをくぐると、エアコンにより作り出された冷気が躯体を包み込む。汗に濡れたシャツが、冷たく肌に擦り合わされた。
内装は至って平凡な病院といった感じだった。受付の窓口を、コの字型に囲うように設置された待合席は、淡い桃色のソファになっており、暇潰し用の雑誌や漫画などの書棚がある。
日曜の待合室に現れた、殺気とワイシャツを着こなした二人組は、さぞかし異質な光景だっただろう。杖をついた老人や、脚にギプスをはめた青年が、奇怪な二人組の背中を目で追っていた。
「すんません? 我々大阪府警の者なんですが……」
重松が受付に座っている黒縁眼鏡の女性に警察手帳を提示する。栗色の髪を一つに結った、今風の小柄な女性は目を丸めて、絵に描いたような驚愕の色を示した。
「け、警察ですか? ……はい、何でしょうか?」
「実は、今我々が調べてる事件の被害者が、この病院に来とったことが分かりましてね。それで診察をした先生に、少し話を訊きたいと思いまして」
「そのひ、被害者の方……というのは、いつ頃当院にこ、来られたんでしょう?」
しどろもどろになる女性に美由希が微笑みかける。
桜の代紋を目にしただけで、縮み上がってしまう一般人というのは、割合頻繁に存在する。そのような時に安心させて正確な情報を得ることも、刑事としての素養だと、新人の頃に教わっていた。
「ええと、二年前の五月頃の筈です」
重松は淡白な口調で答えた。
「あのぅ……、今は診察時間中なので、先生はお忙しいと思います。当院は宮田先生一人での診察体制ですので……」
「ほんなら、診察時間が終わってからやったら話してもらえますか?」
少し逡巡してから、女性は先生に確認してくると口早に告げて、奥に去っていった。
受付から女性が姿を消したのに困惑していたのは、ちょうど自動ドアをくぐって来院してきた老夫婦だ。
男にしては小柄な重松と比べてもなお小さく、宇宙の大きさに押し潰されそうな老父は、明らかに入れ歯と分かるような人工的な白さと歯並びの歯を見せて、ぽかんと放り出されている。付き添いであろう夫人が美由希に視線を向けて、何事かと無言で問うている。
「あ、ごめんなさいね。すぐに戻って来はるから……」
その言葉に偽りは無かった。一分程で女性が戻って来た。
重松は自分の後ろで立ち尽くしている老夫婦の背中を軽く押して、先に受付をしてあげてくれと、女性に告げた。
あまり一般人に迷惑を被らせると、過剰に非難される身分だと自覚しているからこその行為だった。但し、そこに一片の良心も無かったわけではない。このか弱な老父に医療の施しを早く受けさせてやりたいとの、慈悲の心も確かに内包していた。
「今日は初めてですか?」
女性が大き目の声で話しかける。老父は決して耳が遠いなどと申告したわけではないが、無意識のうちに大声で話しかけてしまう雰囲気を、彼は醸し出している。
「ああ、そうですそうです」
「そしたら、この問診票に記入してもらえますか? 書き終わったら、保険証と一緒に持って来てくださいね」
女性が問診票を挟んだクリップボードを差し出すと、老父がそれを持ってたどたどしく待合席に向かって行く。
「――あっ、すいません。先生に訊いたら、診察時間後なら話をしても良いと仰ってました。本日は五時半までの診療になります」
「でも、五時半ぴったりには終わらんでしょう?」
「そ、そうですね……日曜は混みますから……。六時過ぎくらいになると思います」
二人は女性に礼を言い、医院を後にした。
短時間の滞在だったが、車内は直射日光で暖められていた。
「ふぅ……。結局今は宮田には会えんかったか」
「これから六時までどうします?」
重松は左腕を持ち上げて腕時計に目をやった。
「まだ二時間くらいあるんか……。まぁそれを考える前に、さっきの爺さん婆さんおったやろ?」
自分達の後に来院した老夫婦の丸まった背中が自然と思い出された。
「ええ。ちょっと邪魔してまいましたね……」
「あの時、受付の彼女が問診票を渡してたやろ? あの問診票、どうなってたか見たか?」
「え? いえ、私の方からは見えませんでした」
美由希は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「俺は確かに見たで。最初に住所を書く欄があったわ」
重松の言わんとすることは美由希にもすぐに理解出来た。
昼に会議室で話していたように、患者の住所は病院側に雨垂れのように次から次へと、止め処なく滴り落ちてくるようだ。そして、当然それはデータとして蓄積される。この『宮田の城』にだ。
「あの問診票はカルテにでも一緒にして保管してるでしょうから、宮田にとっては簡単に住所を知ることが出来ますね」
「住所さえ分かったら、何日かそこに通ったら生活パターンも分かってくる。仕事終わりに帰宅したところを拉致された被害者が何人もおったやろ?」
「随分地道なことしましたね。矢沢殺害に至っては、山梨まで行って帰宅途中を待ち構えてたんですから」
重松は口の中でぶつぶつと何かを呟いていたが、唇の堰で遮られ、その内容は隣の美由希にも聞こえなかった。
「……そうやなぁ、とりあえず府警に帰ろか。道が混んどったら、とんぼ返りになるかもしれんけど……」
それだけ言うと、気怠そうに背中をシートに埋める。
「警部、寝るつもりですか? よう寝られますね。私は神経が昂ぶって全然寝られませんよ」
「勝野君は何でも一生懸命頑張り過ぎや。適度に力を抜きながら、メリハリをつけてやっていったらええ」
「佐久間君みたいにですか?」
冗談とも本気とも取れる調子で槍玉に挙げられた佐久間に、重松は憐憫の情を寄せた。
とは言えそのような愚直さが、美由希の刑事としての魅力でもあるとも考えていた。どちらが正解かなど、誰にも分からない。それが本心だった。
「ほなら戻ろか。他の被害者がこの病院に来とったっちゅう報告もあったらええなぁ……」
語尾が微睡みの中に消え入る。車が走り出すとすぐに重松は船を漕いでいた。




